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二十一話 入学編(修羅場は修羅場でも、こんなのはごめんです)

 さて、ハルの予想外の行動によりここは修羅場と化したわけだが、俺は結局ヤマによって逃亡を阻まれてしまっていた。


「なぁ、ヤマさんや。遠巻きに眺めるだけじゃ駄目なのか」


「駄目に決まってんだろ。こういう修羅場ってのは間近で見てなんぼだろ。馬鹿なこと言うなよな」


 そうか、馬鹿なことなのか。けどな、ヤマ。俺からしたら、お前の言ってることの方が馬鹿だからな?


 何故わざわざ巻き添えを食わなければならないのか。俺にはまるで理解出来なかった。もしかしたら、ヤマと言う人物はM属性でも持っているのだろうか。そうだとしたら、俺には傍迷惑でしかない。


 そんな事をつらつらと心の中で愚痴っていると、状況に変化が起きた。いや、文字通り、ハルが起き上がっただけだが。今の状況を鑑みれば、十分変化に値する。


 だが、ハルはまだ頭がぼーっとしているのか、ぼんやりと辺りを見渡すのみで何か言葉を発する気配はない。この状況を打破するにはハルが目覚め、勝手に修羅場っている三人を宥めてくれるのが一番なのだが、どうしたものか。


 朝に弱いと言うだけあり、ハルの意識は目覚めてもなかなか覚醒しない。そう思った時だった。


「……血が足りない」


 ハルのその一言が、修羅場を更に発展させることになった。今度は、誰がハルに血を与えるかで揉め始めてしまったのだ。全くもって、ハルは余計なことを言ってしまった。火に油を注いでどうするのだ。


 俺は隣で笑うヤマの足を踏んで八つ当たりすることにした。元はと言えば、ヤマが俺を道連れにしようとしたのがいけないのだ。何故俺がこんな面倒に首を突っ込まねばならないのか。全く、冗談ではない。


 そうこうしているうちに、また状況に変化があったようだ。何と、三人が一斉にハルに向けて首筋を差し出したのだ。ブレザーの襟に結ばれたリボンを解き、Yシャツのボタンを二、三個外した様は、何というかエロかった。


 胸元の大小様々な谷がこちらにも見えそうで、俺は思わず視線を逸らす。ただ、隣のヤマはガン見していたようだった。


「なぁ……クロ。七瀬が男子でも、俺何かイケそうな気がしてきた」


 ごくん、と唾を飲み込んでのヤマのこの発言には流石に嫌な鳥肌が立ったが、確かに七瀬のあの色気は女子のそれ。だが、だからと言って、肯定する気にはなれなかったが。


 肯定したら、俺の中で何かが終わる。そんな気がしたのだ。これは多分、勘違いではない。


「どうでもいいけど、これ収拾つくのか。まだハル寝ぼけてるだけだぞ」


「ハァ、ハァ……そ、そうだな。これはまだまだ発展しそうな予感がする」


 ヤマ……、今明らかに興奮してたよな。お前、まさか七瀬の胸見て……。


 俺はヤマの予感よりも、そっちの方が気になって仕方がなかった。何だろう、隣で息を荒げられているのがあれなのだろうか。怖い。


 そうして俺がヤマに冷めた視線を送っていると、ハルから濃厚な気配を感じた。すぐさま俺はハルに視線を戻す。すると、そこにあったのは凄まじいまでにフェロモンを撒き散らしたハルの姿。理性が崩壊しかけたヴァンパイアの姿だった。


「っ! おい、ヤマ! 流石にこれはヤバいだろ!」


「ハァ、ハァ……ッ! なぁ、クロ。もう七瀬好きになってもいいよな?」


「聞けよ! 人の話くらい聞けよ! 興奮してる場合か!?」


 どうしよう。ヤマが役に立たない。それどころか、邪魔にしかならない。と言うか、よくこの状況でそんな悠長にしていられるものだ。俺はさっさと逃げ出したいというのに。


「おい、ハルしっかりしろ。七瀬達もさっさと逃げろ!」


 最早仕方なし、と俺は口を出すことにした。こうなってしまえば、被害を最小限に抑えるしかない。とすると、七瀬達は却って邪魔にしかならない。逃がすしかないのだ。


 だが、七瀬達はすでにフェロモンに当てられてしまったのか、その場から動く気配がない。むしろ、自分からハルに近寄ってさえいる。正直、この場は本気でまずい状況と化していた。


 俺がいくら叫んだところで、逃げるのは周囲の人間のみ。七瀬達には一向に届かない。そのうちに、今度はハルが動き出してしまう。まだ緩慢な動き出しではあるが、三人のうちの一人の血でも吸った時には手遅れだ。ハルのヴァンパイアとしての本性が覚醒してしまう。


 これは非常に厄介なことだ。制御出来ないヴァンパイアの力など、危険以外の何ものでもないのだから。せめて、ハルの意識があってくれればどうにでもなるのだが、今はそれも期待出来ない。本当に面倒な事態になっていた。


 これでヤマも使い物にならないのだから、俺はどうすればいいのか。今のうちに教員が駆け付けてくれないものか。そんな他力本願さえしてしまいそうだ。


「ヤマ! いい加減に正気に戻れ! 本気でヤバい状況になってんだぞ!」


 もう、怒りに任せてヤマの肩を勢い良く揺さぶる。最悪、一発殴ってでもヤマを正気に戻さなければ。対処出来る人数は多いに越したことはないし、何よりヤマがこのままでは俺も動き難い。七瀬達にも気を回すと言うのに、ヤマまでは無理だ。


 そんな思いから、俺はどうにかヤマの意識を正常にしようとする。もう、本当に一発殴ってやろうか、と思い始めた時、ようやくヤマがこちらを向いた。


「俺は……一体。何か、新しい扉を開きそうになってた気がするのに、それが何だったか思い出せない。クロ、俺、何かやっちまったのかな」


「大丈夫、元々開いてる扉だったから問題ない」


「本当か? ならいいけど」


 俺がそう言っても、ヤマはしっくりこないようで、未だに首を傾げたりして唇を尖らせている。別にいいのだが、男がやっても似合わない仕草だ。


 さて、そんな事はどうでもいいとして。今の状況からすれば、ハルを何とかするのが先だ。俺は悩むヤマの意識を強引にこちらに向け、ハルの現状を知らせることにした。


「それより、今はあれを何とかするの手伝ってくれよ。流石に俺一人じゃ手に負えない」


「んあ? ……おいおい、流石にヤベェじゃないの。何やっちゃってんだ、あの貧血君は」


 ようやくか、そんな思いとともに、俺は溜め息を吐く。気付くのが遅過ぎるのだ。それもこんな状況の中、軽口を叩くとは。ヤマはまだ事態の深刻さを理解していないのか、とさえ思ってしまう。まぁ、確かにまだハルは緩慢な動きのままで、何も起きてはいないのだが。


 それにしたって、もう少し緊張感を持ってほしいとは思うのだ。軽い性格のヤマは友人としては楽しいが、この時ばかりは俺の中で苛立ちしか生まなかった。


「状況を理解してもらえたようで助かるよ。ついでに、いい加減手を離してくれ」


「悪い、悪い。そんな苛立つなよ。俺も深刻さは理解してるって。けど、まだ何とか出来る段階だし、そんな気負うなよ」


「……はぁ、分かった。それで、今回はどうするんだ。ハルと一番付き合いの長いのはヤマだろ。対処方法くらい考えてるよな?」


「おう、もちろん。伊達に前世からの付き合いじゃないぜ。対処は至ってシンプル。ハルをフルボッコにして気絶させちまえばいいんだ」


 簡単だろ? と、ヤマは平然と言った。本気で殴り倒してやりたくなったが、俺はグッと堪える。


 それが出来るなら苦労はしないのだ。出来ないからこそ、こうして二の足を踏んでいると言うのに。


 だが、ヤマはどうやら本気のようだった。いつもの軽い調子で言っているものの、目が本気な上に撤回もしない。つまり、それしか対処方法が無い。そう言うことなのだろう。


 よくよく見れば、ヤマの軽快な笑みの中にも引きつりがある。ヤマとて、ハルの現状には内心穏やかではいられないと言うことだ。


 そうなると、本当に今がラストチャンスと言える。ヴァンパイアとしてのハルが完全に覚醒、暴走してしまっては、俺達では手出しが出来なくなる可能性が高い。いや、正直に言えば確実に手出しなど出来なくなる。それほどまでにハルの暴走は危険なのだ。


 やるなら今。それしかない。


「ふぅ、はぁ、やるとしてどう動く? この椅子が並んだままの空間じゃ、こっちも動くのに支障が出るし」


「そりゃもちろん、こうするまでのことってな!」


 ヤマはそう言うなり、近場にあった椅子二つを軽く持ち上げ、ハルに投げつける。そのまま、手当たり次第にヤマは椅子を持ち上げては投げることを繰り返した。その間、ハルは微動だにせず、突っ立ったままだ。椅子が次々に激突しようとも、だ。


 全く効果が無い。だが、ヤマはそれでいいと言う。狙いは他にもある、と。察するに、空き地を作るつもりのようだ。ハルに当てるのは、ついで。何がしかの効果を発揮してくれればいい。そんな考えからのようだった。


 どうでもいいが、何個か七瀬達にも当たっているのは良いのだろうか。かなり悶えているようだが。


「良いんだよ。もしかしたら、その衝撃で正気に戻るかもしれないだろ? それより、クロもさっさと投げつけろよ。意外に楽しいぞ、これ」


 俺は改めて、ヤマの怖さを知った気がした。軽い調子のくせに、容赦がまるでない。それどころか、楽しんでいるとは恐ろしいばかりだ。


 取り敢えず、俺は七瀬達に当たらないよう気を付けながら投げるとしよう。当たりそうな位置の椅子は外側に放る。それを何度か繰り返した頃には、ヤマの狙い通りにここは空き地と化していた。


「――さて、と。ここからが本番だなぁ。クロ、手加減しない方がいいぞ。マジで死ぬから。それから、ハルが覚醒して暴走始める前に決めないといけない、短期決戦だかんな。最初っから全力。ペース配分なんて野暮な考え捨てちまえよ?」


「分かってる。俺だって高等部初日に死ぬとかごめんだし。てか、ヤマ。七瀬達、放置でいいのか。全力でやったら巻き込むぞ、あの位置じゃ」


「だーい丈夫。適当に蹴ったりして外側に転がしときゃ良いんだよ。ハルのフェロモンなんかに簡単に引っ掛かる方が悪いんだから。じごーじとくって奴だよ、気にすんな」


 ……本当に容赦ないな、こいつ。どうせ、あとでその事バレてスズと葉月に袋叩きにされるってのに。ヤマ、それも自業自得って奴だからな? 俺、助けないからな?


 などなど、ヤマの容赦の無さに引いてしまいながらも、俺はハルを見やる。まだ動きは無い。ヤマが引き付けている間にでも、七瀬達を回収すればいいだろう。そう判断した俺は、ヤマに頷く。準備は出来た。やるだけやってみよう。


 教員が来るまで数分あれば良い方だ。教員が来る前に片付けるためにも、さっさと始めるか。そんな意図の視線をヤマに送り、視線を返される。分かってくれたのかどうかは分からないが、開始の合図としては受け取ってくれたようだ。


 ヤマがハルに向かって駆け出す。俺もそれに追随し、なるべく丁寧にまずは七瀬を後ろに放る。ヤマもそれに倣ってか、スズと葉月を最初に退かすことにしたようだった。ただし、俺と違って本当に蹴って退かしていた。あれはかなり痛そうだ。ヤマは何倍にして返されるのだろうか。自業自得だが、死なない程度にはしてやってほしいばかりだ。


 さて、そんな事もあったが、いよいよハルだ。俺とヤマは同時に急所を狙う。俺は鳩尾に拳を、ヤマは首裏に手刀を、それぞれ渾身の一撃をハルに食らわせる。更に続けざま、俺は脇腹に回し蹴りをお見舞いする。


 だが、ハルは微動だにしない。いや、そもそも、俺達の攻撃を食らってもその場から一歩も動かないのだ。まるで、床に極太の根を下ろしているかのように。


 肉体の柔らかさは感じた。何かで俺達の攻撃を阻んでいるわけではない。だと言うのに、どれもこれもハルには届いていないような、この感覚。一体何だと言うのか。


 しかし、今は疑問に思う時間すら惜しい。とにかく、攻め続けるしかない。


 そこから、俺とヤマは一撃一撃の重さを重視した攻撃をしていく。それでもハルは微動だにしないのだから嫌になるが、今はそれ以外に方法が無い。直接攻撃以外の攻撃手段があれば違うのかもしれないが、生憎と俺にもヤマにも備わってはいないものだ。悔しいが、このままハルに効くまで全力で打撃を繰り返す。せめて、スズか葉月が動ければ話は変わるのだが、無い物ねだりでしかない。


 ただ、そうは言ってもこうも何の効果もないと内心焦り出すのも確か。最初に諦めたのは、ヤマだった。一旦、態勢を立て直すと言う建前で下がってしまう。仕方なく、俺もそれに合わせることにした。


 ハルから距離を取った俺達は、改めて作戦の見直しを迫られることになった。


「かぁー、びくともしないってか。無理ゲーじゃんか。クロ、何か妙案あるか?」


「無い。あるとしたらお前の方だろ、ヤマ。てか、長い付き合いのくせにハルに攻撃効かないの知らなかったのかよ!」


「かしいなぁ。いくら何でも、ここまで効かなかったことなかったんだけど」


「前はどうだったんだよ。あったんだろ、ハルの暴走」


「あー、あったな。前は確か……ああ、そうだ。七瀬の加護の力と、葉月の呪印があったんだった。七瀬の加護で俺らを強化して、葉月の呪印でハルを弱体化させたんだわ」


 ……おい。本当に無理ゲーでしたって証言はいらないんだよ、馬鹿。欲しいのは希望だ、希望! 詰んだこと証明してどうするよ。本当に馬鹿なの? なぁ、ヤマさんよぉ。


 苛立ちと怒りで自然と、こめかみに青筋が立つ。俺は無意識に無言でヤマを睨んでいた。


「そんな見詰めるなよ。照れるだろ?」


 言うに事欠いて、そんな台詞を吐かれたら、殺してやりたくなるのも当然ではなかろうか。俺は当然だと思う。事実、この時ばかりは、本気でヤマに殺意を覚えた。


「冗談だよ、冗談。そんな怖い顔すんなって」


「時と場合によっては、冗談は通じないって知ってたか?」


 本当なら、今すぐにでもしばき倒したいくらいなのだ。我慢しているだけ有り難いと思ってほしい。今はそんな事をしていても意味が無いのは分かっている。だからこそ、俺は一つ息を吐き出して落ち着くことにした。


 しかし、困った。ヤマの話を聞く限り、手の打ちようが完全に潰えたことになる。何とかするには、七瀬達をどうにかするしかない。ただ、先のダメージもあり、七瀬達が使い物になるかどうか。


 それもこれも、ヤマの責任だ。そう思うと、静めたばかりの怒りが沸々とまた湧き上がってきそうになる。


 どうしてくれるのだ、と再びヤマを見やれば、何を思ったのか頷いて返された。次いで、ヤマはあろうことか、気絶している葉月の所に行って頬を往復ビンタし始めた。無理矢理起こすことにした、そう言うことか。いや、確かに非常事態で仕方のないことだとは思う。思うが、本当に容赦が無くて引く。


 せめてもの救いは、入学式に参加していた他の生徒が避難していたり、遠巻きにしていたりして、ヤマの所業が見えないことか。椅子が目隠しになっていて、本当に良かった。


 そうして、ヤマの仕打ちの成果か、葉月の意識は浮上してきた。呻き声が漏れ聞こえてくる。


「うっ……いっ……いたっ……痛いっ。痛いって言ってるでしょ! 何してんの、馬鹿!」


 そんな声が俺にも聞こえた時、ヤマは顔を軸にして回転しながら宙を舞っていた。見事なまでのクリーンヒットだった。



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