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十六話 邂逅編その三(休みたいのに休めない一日です)

 酷い目にあった。本当に死ぬ間際だった。何度気を失ったか。その度に、何度叩き起こされたのか。リリーの治癒術が無ければ、俺は多分生きていない。それだけ、美魅子さんは鬼畜だった。


 あれから、何とか鍛錬初日を終えた俺は、昼食を食べ切ってリビングのソファーに倒れ込んでいた。もう起き上がる気力すら湧いてこない。


 だと言うのに、うちの住人達はここからが本番とでも言いたげに、俺にちょっかいを掛けてくる。今もまさにシスとアリアに絡まれている最中だ。


「クロ、暇だから遊んでよー」


「……遊戯……所望……」


 アリアが俺を揺さぶり、シスが顔を突いてきている。だが、俺は何の反応も示してやれない。本当に、精魂尽き果てた状態なのだ。これを奮い立たせるのは今の俺には無理だ。


 だから、二人には申し訳ないが諦めてほしい。そう目で訴えてみるものの、二人は気付いた様子すらなく絡んでくる。


「遊んでよー。強者狩りでもいいからお願いー」


 おい、遊びよりハードなお願いするな。今の今まで、強者にいたぶられてた俺に、よりにもよってそれか。


「……チョコ……食……」


 お前もか、シス。お前が言ってるのはクリスのあのチョコだろ。ふざけるな、今食べたら魂抜けるぞ。お前ら二人とも追い討ちだけはするな、頼むから。


「ねー、遊ぼーよ」


「……チョコ……チョコ……」


 煩わしい。アリアはともかく、シスは既にチョコを食べたいだけになっている。そんなに食べたいなら、俺ではなくクリスに言ってほしい。


「こら、お前たち。クロは疲れている。休ませてやれ」


「そうですよ? 二人とも今はゆっくりさせて上げましょう。いい子ですから、あちらで遊んでいて下さいね」


 そんな二人を叱ってくれたのは、ルビーとリリーだった。二人をソファーもとい俺から退けてくれた。何だろう、初めてこの二人に感謝の念を抱いた気がする。リリーに関しては治癒してもらった恩もあるが、あれは別だ。


 酷いとは思うが、恨み辛みの面もあった。頼むからもう治さないでくれ。昼までエンドレスは嫌だ、と。いや、自分勝手なことだとは分かっているが、あれは相当の地獄だったのだ。理解してほしい。


 と、そうして二人を有り難く思っていたのも束の間。今度はこの二人が俺に絡んできた。それも、アリアやシスの二人より悪質な絡み方で。


「さて、クロ。本当なら夜の部の方が私も本領を発揮出来るのだが、この際だ。四の五の言うつもりはない。さぁ、ベッドで横になろう。私と添い寝しようではないか」


「いけません。クロは私の抱擁で眠りに就くのです。さぁ、行きましょう。人肌に包まれながらの眠りは心地いいものですよ?」


 駄目だ。この二人、俺を食らう気だ。逃げる気力も無いのを良いことに、食らい尽くす気だ。


 こういう時に限って、クリスは居ない。クリスならこの二人を追い払ってくれると言うのに。美魅子さんを送るついでに、買い物に出掛けてしまっていた。


 そうなると、俺に残された手段は一つしかなかった。大きな代価を支払うことになってしまうが、贅沢は言っていられない。


「……アリア、遊ぼう。今すぐ遊ぼう!」


 俺は身体中の気力の残りカスをかき集め、アリアを呼び戻す。そう、残された手段とは、アリアと遊ぶことだった。案の定、まだ近くに居たアリアはシスとともにソファーまで戻ってきてくれた。


 助かった。アリアの遊びがどんなものかは分からないのが不安だが、ルビーやリリーに食われるよりはマシなはずだ。そう思いながら、俺はソファーからゆっくりと起き上がる。


「クロ、遊んでくれるの!?」


「もちろんだ。何がしたい? シスも、チョコ食べるよな? ちょっと待ってろ。取ってくるから」


 気力をかき集め、更にそれを振り絞って固めた力で、俺は台所に歩を進める。多分、これが尽きたら俺は本当に倒れるが、問題無い。その時にはもう、クリスが帰ってきてくれるはずだ。


 どうだ、とルビーやリリーに勝ち誇った顔をしてやれば、二人は悔しそうな表情を浮かべてくれる。しまった、とでも思ったのだろう。同意もなく襲おうとするからだ。自業自得としか言えない。


 そうして、二人の愚行を未然に防いだ俺は、台所の戸棚からチョコを取り出す。どうでもいいが、チョコは冷蔵庫に入れとくべきだと思うのは俺だけだろうか。溶けかけが美味いから、とクリスは頑なに拒むので現状は戸棚だが、どうなのだろう。


 と、そんなことよりも今はこれをシスに渡さなければ。シスを動かすには賄賂が必要だ。ついでに、アリアにも何か持って行ってやろう。


 俺は戸棚にしまってある菓子を適当に選び、チョコとともにリビングへと持って行く。リビングではまだルビーとリリーが悔しそうにしているが、それはスルーして二人に菓子を手渡す。


「ありがとー、クロ」


「……供物……感謝……」


 二人とも満面の笑みだ。もっとも、シスに関しては俺が勝手にそう判断しただけなのだが。


 ちなみに、アリアには普通のチョコ味クッキーを渡した。他意はない。適当に選んだだけだ。本当だ。


「……クロ、私には無いのか?」


「私も、その、欲しいです……」


 そうして、二人の笑みに和んでいると、ルビーとリリーの弱い声が届いた。仕方なくそちらを見てみれば、悲しげな雰囲気を纏った二人の姿が。


 先程まで悔しがっていたというのに、今度は仲間外れにされて落ち込んでいるのだろうか。それとも、自意識過剰かもしれないが、俺に無視されて悲しんだのか。どちらにしても、多少は反省したように見える。


「……あるよ。ほら、ルビーにはこれ。リリーにはこれな」


 それぞれ、ルビーにはマシュマロを、リリーには菓子パイを渡した。


 襲われそうになったと言うのに、こうも簡単に許してしまうのは甘いと言われるかもしれない。だが、反省した者に対して、俺はそこまで厳しく出来ないのだから仕方ない。


 ただ、俺もまた襲われそうになるのはごめんだ。二度としないように、菓子を渡す際に念入りに言い含める。


「仕方ない、クロが疲れている時は襲わないと誓おう」


「私は本当に添い寝だけのつもりでしたのに……。いえ、分かりました。クロの意志に従うと約束します」


 若干不安の残る言葉だったが、今はこれで良しとしよう。次にまた同じことをやったら、その時にきっちり猛省させればいい。


 俺は二人に菓子を完全に手渡し、再びソファーに座り込んだ。流石に、これからアリアの遊びに付き合うとなると、少しでも気力は回復させておいた方がいい。そう思ってのことだ。


 そして、俺は四人が菓子を時折交換しながら食べるのを眺め、束の間の休息を得るのだった。それはまさに嵐の前の静けさだったことを、俺はこのあと思い知らされる事となる。


 ◇


 あのあと、数十分程の時間を挟んで、俺達は玄関先に集まっていた。アリアの希望で、外で遊びたいと言われたからだ。


 具体的な内容は聞いていないが、外でとなるとそれなりに動くことにはなるだろう。あまりハードなもので無いことを願いたい。


「それで、外に出て何するんだ? アリア」


「えへへ、今日はクロも疲れてると思うから、散歩する事にしたんだ。気が利いてるでしょ」


 いや、本当に予想外だった。まさか、普通に散歩とは。一瞬、何を言っているのかと勘ぐってしまったほどだ。


 だが、それならちょうどいい。俺も散歩がてら、この辺りを案内しておきたかったのだ。と言うことで、俺はアリアの意見に賛成した。


「なるほど、そうだな。ありがとう、アリア。みんなにここら辺のこと案内しないといけなかったし、ちょうどいいな」


「でしょ?」


 俺が賛成を示すと、アリアは満面の笑みでそれに応えてくれた。


「ルビー達もそれでいいか?」


「私は構いませんよ。日射しもまだ心地良い時期のようですし」


「……承諾……」


「ああ、私もそれで構わな……」


 他の者にも確認しようと尋ねたが、ルビーだけが途中で言葉を詰まらせてしまった。次いで、何を言うでもなく周囲を頻りに見渡す。忙しなく動く視線の先は、林の中。何か気になるものがあるのかと、俺も軽く見渡したが特に変わった様子は無い。


 首を傾げつつ、俺はルビーに直接尋ねてみることにした。


「ルビー? どうした?」


「あ、いや、何でもない。私もそれで構わない。……気のせい……か? だが、今のは確かに……」


 しかし、返ってきたのは先程言いかけていた言葉のみで、あとは独り言を呟き始める始末。何かあったのは確かなようだが、そちらについては答える気が無いようだ。


 仕方なく、ルビーはひとまずこのままにする事にした。気に掛けるようにはしておくが。


 それよりも、今起こっていることについてだろう。これは由々しき問題だ。


「……何でドラゴン」


 そう、ドラゴンだ。どこからどう見ても、昨日見たばかりのドラゴンの姿がそこにはあった。


「何でって、もちろん散歩するからだよ?」


「いやいや、だから何で散歩にドラゴンが必要なんだよ」


「えー、散歩って言ったら空中散歩でしょ?」


 何を当たり前みたいに言うのだ、このドラゴンは。常識を考え……ドラゴンの常識とは何だろうか。駄目だ、分からない。


 いや、そんな事はどうでもいい。ともかく、今はこのドラゴンを何とかして、一般的な散歩にしなければ。住宅街にドラゴンが舞ったとあっては、流石にまずい。まず過ぎる。


 そう思い直した時には、俺は空の上に居た。


「……え?」


「あっ、やっと気付いた。遅いよ、クロ。クロが何か考え込んでたから、もう飛んじゃった」


「……え? あ、他のみんなは?」


「シスちゃんとリリアーヌさんはクロの側に居るはずだよ? ルビーさんは自分で飛んでる。ほら、そこ」


 アリアの指差した先には、確かに三人が居た。シスとリリーは傍らで一緒にアリアに乗り、ルビーは自らの羽で宙を舞っている。だが、そうじゃない。そうじゃないんだ。


 俺が本当に聞きたかったのは、そんな事ではない。急な展開にテンパって、逆に冷静になってしまっただけと言うか。つまり、そういうことだ。


「何で空を飛んじゃったんだよ、アリア」


「ドラゴンだから?」


 それ言っちゃお終いだろ、アリア……。


 俺は心の中で呟いて、頭を抱えるしかなかった。


 何故、俺がこんなになっているのか。理由は二つある。一つは、クリスに怒られると言うもの。もう一つが、いや、これはそのうち分かる。どうせ、もう手遅れだ。ならいっそのこと、このままそれが来るのを開き直って待ってやろうではないか。


 どうにでもなれ、と早々に考えを放棄したこの瞬間、俺は特技を発動した。現実逃避、発動。


「風が気持ちいいな、アリア」


「でしょ? えへへ、クロも前世まえはこうしてよく散歩してたんだよ」


「ああ、何かそんな気もするな。と、リリー、シス、大丈夫か」


「大丈夫です。日の光が心地良く感じますし、良い眺めです」


「……快感……」


 現実逃避したおかげか、心にゆとりが出来たようだ。難しいことを考えずにこの状況を楽しめている。同乗している二人の心配も無用らしい。二人とも、アリアの背中で寛いでいる。


「大丈夫そうだな。ルビーはどうだ?」


 これならルビーの方も大丈夫だろう、と尋ねてみたのだが、どうしてか返答がない。少し離れているため、聞こえていなかったのかもしれない。そう思って、今度は声を張り上げて尋ねることにした。


「ルビー! 大丈夫か!」


「……っ! 何だ、クロ」


 どうやら今度は聞こえたようだ。次いで、ルビーは聞き取りやすいようにか、こちらに接近してきた。接近してきて分かったが、ルビーの顔色が優れないように感じる。体調でも悪いのだろうか。


「大丈夫か?」


「あ、ああ、問題無い。それより、クロ。少し尋ねたいことがあるんだが」


「何だ? 俺に答えられることなら答えるけど」


 そう言って少し待ったが、ルビーからの応答がない。顔を俯かせて口を噤んでしまっている。やはり、本当に調子を崩してしまったのか。それならば、アリアの背中に乗せて休ませる必要がある。そう判断して、再び口を開こうとした時だった。ルビーが重々しく口を開いた。


「……この世界には、勇者は存在するのか?」


「勇者? あー、まぁ、一応居るな。転生者の中には勇者とか英雄の類いの奴も居るし、転移者にも確か一人居たと思うけど。それがどうかしたのか?」


 本当にどうしたのだろうか。俺が答えると、ルビーは顔を曇らせてしまい、口ごもってしまった。


「……いや、気にしなくていい。少し気になっただけだ。ほら、私は魔王だろう? それで、な」


 ようやく話したかと思えば、歯切れの悪い言い方で答えるのみ。それ以降は再び口を閉ざしてしまった。


 何かあったのは確かなようだが、それが一体何なのか分からない。もしかしたら、先程林を見渡していたことと関係があるのか。尋ねてみても、ルビーは曖昧な返答しかしてくれなかった。


「本当に問題無い。私は大丈夫だ。クロは気にしなくていい。それよりも、この景色を眺めないか。案内もしてくれるのだろう?」


 ここまで言われては、俺にはどうすることも出来ない。懐かしさや親しみを感じる相手だが、実際に会ったのは最近も最近。強引に話させたところで、正直に話してくれるとも限らないのだ。今は引き下がるとしよう。


 俺は仕方なく、ルビーの言う通りにする。俺とルビーの会話で、少しばかり雰囲気も沈んでしまったことだ。ここは楽しくいこう。


 そう思い直して、俺はご希望の案内を始めるのだった。ちょっとふざけ気味に、ツアーガイド風の案内をしてみたが、好評だったと言っておこう。意外に俺も楽しかったので何よりだ。


 そうして、このあとに待ち受ける事態など忘れた振りをして、俺は散歩を楽しむのだった。


 現実逃避って便利だな。



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