十五話 邂逅編その三(前はもっと優しかったです)
「どうしよう。普通の組み手であれだろ? 何でも有りとか、俺生きてられるのかよ。不安だ。不安でしかない」
俺がトイレに閉じこもってから数分。未だに俺はトイレから出ようとはしていなかった。
と言うのも、このあとに待ち受けている組み手の内容が内容だったからだ。ただの組み手だった先程でさえ、俺は数時間も倒されては立たされ、気絶しては起こされ、サンドバック状態と化していた。それが今度は何でも有りだ。
果たして、俺はそんなサンドバック状態だけで済むのだろうか。否、済むわけがない。良くて半死半生。悪ければ、いや、そんな事考えたくもない。
何故、今回に限ってこんな事になったのか。昔はまだ優しかった。鍛錬と言っても、流石にあんな状態を何時間もさせられる事はなかった。ぶっ倒れるまでが精々で、あとは基礎トレーニングだったのだ。
「ヤバい、本気でヤバい。どうする、美魅子さんの能力と俺の能力じゃ差があり過ぎる。多少は加減してくれても、あんなのと数時間も戦闘してられるわけないだろ」
美魅子さんが加減してくれたとしても、数分。加減など無く攻めてきたら、数秒だって保たない。それが美魅子さんと俺の今の差だ。正直言って、圧倒的過ぎる。
「仮にだ。今日を乗り切ったとして、明日もあるんだぞ? どう考えてみても無理だろ。絶対、俺生き延びられないって」
最悪のイメージしか出来ない。そんな時だ。一つの声が届いた。
「大丈夫だろ。ミーコは兄貴殺すような真似はしねぇよ。ただ強くなってもらいたいだけでな。――みたいに……」
最後の言葉だけは声が小さく聞き取れなかったが、それは確かにクリスの声だった。いつの間に。それが、俺が第一に抱いた思いだった。そして、それは口からも出ていたらしい。クリスの声が再び届く。
「兄貴が一人寂しく泣いてる時からだが?」
「最初から!? えっ、てか何で、俺口に出してた? ……ってそうじゃない。泣いてない! 身体中痛くて呻いてただけだから!」
「まぁ、そう言うことにしといてやるよ。聖女様の癒やし受けても痛かっただけだよな」
痛いところを突かれた。実は、朝食の前に俺はリリーから癒やしの力を受けていた。それによって、怪我はもちろん、失われた体力すら回復したのだ。一日に何度も使えるような代物ではないらしいが、その時は非常に助かった。今はクリスに皮肉を言われる要因になってしまっているが。
俺はクリスのそれには答えず、先を促すことにした。何故、今話し掛けてきたのか。理由くらいはあるはずだ。
「……それで、何の用だ? 盗み聞きしたかっただけじゃないよな」
「ちげぇよ。さっきミーコが言ってたんだろ。そろそろ、鍛錬再開するって。リビングから声張り上げてたってのに、聞こえなかったのかよ」
全然聞こえていなかった。と言うか、だ。
「早過ぎだろ、おい。もう少し休ませてくれても……」
俺はクリスのその言葉に、げんなりとした気分になった。流石にまだ、あの状態になる覚悟は出来ていない。
「初日だから張り切ってんだろ。あれでミーコもテンション上がってんだよ」
「勘弁してくれよ。あっ、でも、それなら今日を乗り切ったら少しは助かる可能性も出てくるんじゃないか?」
「あるかもな。……逆にもっとテンション上げてくっかもしんねぇが。それより、分かったらドア開けろ。立てこもってもミーコにこじ開けられるだけだ。そうなったら、誰が直すと思ってんだよ」
「だよな、あるよな! よし、なら何としても今日を生き延びやる。そうすれば、死に際まで追い詰められるような鍛錬ともおさらばだ!」
敢えてクリスの呟きには触れなかった。例え開き直りだと言われようとも、やる気になったのは事実。それを削がれるのは困るのだ。
そうして、俺はトイレを開け放ち、やる気に満ち溢れた状態で美魅子さんの下へと向かった。後ろでクリスの溜め息が聞こえてきたが、今は鍛錬だ。今日を生きる。それだけに集中する。
そして、俺は早朝と同様の場所に辿り着く。そこには既に美魅子さんの姿があった。準備も出来ているようだ。
「準備出来たのか、クロ坊」
「当然。さっきはサンドバックにされたけど、今回はそうはいかないからな。美魅子さん」
「期待はしとく。それじゃ、組み手始めようか。合図と先手はクロ坊に譲ってやるから、自分のタイミングで仕掛けてみな」
「なら、お言葉に甘えて!」
俺はその台詞と同時に、美魅子さんへと全力で駆け出した。何でも有りとは言っても、俺には飛び道具などの遠距離から攻める手段は無い。魔法や能力も然り、素手の俺に出来るのは先程までと同じ近距離戦闘だけだ。
俺は美魅子さんとの距離を縮め、そのまま正面から踏み込む。次いで、拳を続けざまに振るう。しかし、これは意図も容易く防がれ、逆に戻そうとした腕を掴まれてしまう。フェイントも何も入れていないのだから、この結果は当然だ。
だが、それでいい。俺は掴まれた腕をそのままに内側に入り込み、美魅子さんとの距離をゼロにする。そして、肘鉄を鳩尾目掛けて放つ。
これもぎりぎりの位置で、残っていた片手で防がれてしまったが、予想の範囲だ。まだ俺の攻撃は終わっていない。
続いて、俺は半身と肘鉄の状態を利用し、美魅子さんの顔に裏拳を打つ。しかし、これも回避されてしまった。美魅子さんは俺の腕を放し、身体を仰け反らせたのだ。
飛び退いて避ける手段もあったはずだが、こちらの土俵で組み手をしてくれているらしい。どうやら、先手を譲ると言う発言はこちらの土俵で組み手をする事も含まれていたようだ。そうだとしたら、こちらとしては都合が良い。俺はひたすら攻めるだけだ。
裏拳を避けられた俺は、少しの間も置かずに攻める。片腕も解放されたことだ。今度はそちらの拳を使う。
俺は後方に残した足で美魅子さんの横に踏み込み、仰け反った状態でさらけ出された脇腹に渾身の一撃を振るった。これは確実に当たる。そう思った。
だが、美魅子さんはあろうことか、そのまま仰向けに倒れ込むことでそれを回避してみせた。次いで、力の入った拳は空を切り、その体勢から続けざまに攻撃出来ない俺は、不覚にも一瞬止まってしまった。
そして、それが不味かった。攻撃の停止は先手の終了を意味する。つまり、美魅子さんが攻勢が移ると言うことだ。
次の瞬間、俺は足を絡められてしまい、バランスを崩す。俺が体勢を立て直した頃には、美魅子さんは距離を開けてしまっていた。
「クロ坊、惜しかったな。流れは問題なかったが、最後の一撃。あれは駄目だ。踏み込みは良いが、力を込め過ぎだ。次の動作に支障を来して、隙だらけになってた。あれじゃ、どうぞカウンターしてくださいって言ってるようなもんだ」
まさしくその通りで返す言葉も見つからない。実際、美魅子さんが距離を開ける選択をしてくれていなければ、俺は手痛い一撃を受けていただろう。
俺は美魅子さんに頷くほかなかった。
「まぁ、今朝に比べれば少しはマシになったな。いい感じだ。……それはそれとして、そろそろこの組み手の本番を始めようか。クロ坊」
来た、と俺は顔を強張らせる。自然と身体にも力が入り、それを美魅子さんに知られてしまう。
「大丈夫、流石に本気で能力は使わないから。クロ坊がぎりぎり防げるレベルまで落としてやるさ」
だから安心しろ、と美魅子さんは語るが、残念ながら全く安心出来ない。ぎりぎり防げるとは、何がしかの動作を誤れば当たる可能性が高いと言うことだ。そして、それは致命傷になりかねない一撃を食らうと言っているも同然。こんな事を言われて、安心出来るだろうか。少なくとも俺は出来ない。逆に恐怖が増すだけだ。
だが、今更俺が何を言おうとも、美魅子さんは方針を変えないだろう。何より、既に美魅子さんは能力を発動しているようだ。何か意見をするよりも今はこの組み手に集中しなければ、確実に俺は生死の境目を彷徨う羽目になるだろう。
「にしても、久々に見たな。美魅子さんの放電現象。相変わらず、目に優しくないよな」
俺は皮肉混じりにそう言いながら、美魅子さんを見やる。そこには言葉通り、放電している美魅子さんの姿があった。地面に生えていた草花の焦げた様子が、その放電の強さを表している。
「言うようになったな、クロ坊。昔はこれ見て、ビビってるだけだったくせに」
「そりゃビビって当然だと思う。かすって火傷、直接当たれば心停止なんて聞かされたら、近付きたくないって」
現に草花は焦げ付いていて、下手したら火事になりそうだ。だが、美魅子さんは怪訝な表情で俺に聞いてきた。
「誰だ、そんなデマ流したのは。この放電くらいなら当たっても火傷が精々で、心停止なんかさせられないんだが」
「え……あー、ほら、あの人。おちゃらけ担当みたいな、慈乃さん。慈乃さんが言いふらしてた」
俺は一瞬戸惑い、次いですぐに察した。慈乃さん、騙したな、と。
慈乃さんは美魅子さん同様、ここで暮らしていた転生者の一人だ。楽しみが見付かると、人に迷惑を掛けてでも楽しむ女性で、逸楽とした性格をしている。通り名、トラブルメーカー慈乃の名は、今も至る所で語られる伝説だ。
そんな慈乃さんの性格的に、嘘だとは薄々感づいてはいたが、やはりそうだった。ただ、美魅子さんが知らなかったのは予想外だったが。
「ちょっと待て。言いふらしてた? クロ坊にだけ言ったわけじゃないのか?」
「うん、まぁ。結構色んな人に言いふらしてたかな。美魅子さんと戦ったことのある人には大体吹き込んでたみたいだし」
「……あいつ、今度会ったら締めてやる」
次の瞬間、美魅子さんの放電が増した。これは確実に怒っている。どこにいるのかも分からないが、多分、次に二人が会ったその時が慈乃さんの命日だ。
いや、慈乃さんは何だかんだと生き残るタイプだ。今度もまた、言いくるめて有耶無耶にして終わらせるのかもしれない。どちらにしても、地雷を踏んだ俺の命日は今日この時だと決まった。
美魅子さんのやり場の無い怒りは、全て俺に向かってくる。予想ではない。事実だ。現に、俺は美魅子さんの怒りによって増した放電に曝されているのだから。
辛うじて避けたり、能力でもって防いだりしているが、このまま組み手など行えばどうなるかなど目に見えている。俺は助からない。
そんな諦めの気持ちを抱いていた時だ。放電が急激に増したのは。
膨大な眩い光に、目をやられそうになる。俺は何事かと思いながらも、一気に距離を開くことにした。それでも避けられない放電の数々は、どうにか能力でもって防いだ。所々掠ったりもしたが、直撃よりは幾分マシだ。
それよりも、と俺は美魅子さんの方を見据えた。光も随分収まって、最初の頃の放電と大差無くなっている。美魅子さんの姿も目視出来た。
「ふぅ……よし、発散出来たな。クロ坊、悪かったな。あいつへの鬱憤晴らしに少し派手に放電しただけだ。もう大丈夫だから戻ってこい」
少しどころの話ではなかったが、触らぬ神に祟りなし。要らぬことは言わないで、大人しく従っておこう。
「ん? 所々掠ってるが直撃は避けたんだな。流石、クロ坊」
「褒められても嬉しくないのは何でだろ」
「そう言うな。悪かったよ。にしても、クロ坊の彼女達も流石だな」
「え? あ、ルビー達か。あいつら、いつの間に?」
美魅子さんの視線を追ってそちらを見やれば、レジャーシートを敷いて菓子を頬張りながらこちらを眺めているルビー達の姿があった。そこにはクリスも混じっている。俺と美魅子さんが見ていると分かると、軽く手を振ってきた。
「クロ坊が来た時に一緒にだな」
「知らなかった……。それで、あいつらの何が流石? 普通に菓子食べて観戦してるだけに見えるけど」
本当に何で観戦などしているのだろうか。暇なんだろうか、五人とも。
と言うか、だ。あいつらは俺の嫁だと言い張っているが、嫁同士で張り合おうとしないのは何故だろう。今も仲良く観戦しているわけだし。
いや、望んでいるわけじゃないが、不思議だ。普通なら諍いの一つや二つ、起きてもおかしくないと思うのだが。まだ互いに会って日が浅いために牽制し合っているだけか、他に理由があるのか。考えても分からない。
分からないが、気になるには気になる。今度、直接聞いてみることにしよう。
それよりも、今は美魅子さんが言ったことだ。返事が無いのでもう一度聞き直してみた。
「いや、気にしなくていい。全く動じてなかったから感心しただけさ」
返ってきたのは、取り繕った台詞だった。何か違うことを言おうとして、止めた。そんな口振りだった。
ここで聞き返したとしても、美魅子さんは話してくれないだろう。無理に聞くのも気が引ける。ここは話を合わせておくことにした。
「あー、確かに。全く動じてないな、あれは」
「だろ? と、そうだ。今は組み手だったな。落ち着いたことだし、そろそろ再開するか」
そして、そのまま美魅子さんは話を早々に切り上げ、組み手の段取りをし始めてしまった。
あれ? そう言う流れ? …………あ、なるほど。また同じパターンですね。分かります。このあとの流れも大体予想出来るよ。あの流れでしょ? せーの。
美魅子さん、マジ鬼畜!




