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茉莉花の少女  作者: 沢村茜
エピローグ
34/34

願い

 それから四年の月日が流れた。あれ以来、茉莉に会うことはない。だが、彼女から貰ったあの花は今でも季節になると花を実らせる。

 祖母は最初は勝手に変なものを植えてと文句を言っていたが、昔は祖母の言葉をとめることがなかった祖父や父にたしなめられ何も言わなくなった。

 父親も体調を少し戻し、入退院を繰り返しながらも比較的元気に生活をしていた。

 母親とは直接会うことはないが、元気にやっているらしいと父から聞いた。


 優人さんとはたまに会う。

 僕が大学時代に恋人の類が一度もできなかったことを気にしているのか、会うたびに僕の心配をしている。

 大学院に進んだ今もそんな気配は全くない。


 あの日以降、誰かに心惹かれることは一度もない。会えなくなって数年で他の人に心惹かれるくらいなら、あのとき彼女を好きにならなかっただろう。


 人から想いを伝えられても、真っ先に茉莉からの告白が頭を過ぎる。そのことが頭を過ぎる限り、誰とも付き合うことはないだろう。人にその話をしたことはないが、今でも交流のある三田や奈良、林などはそのことに気づいているようだった。


 別に新しい人を好きにならないからと言って困るわけじゃない。そう思うと、新しい恋人を探すなんて不要なことに思えた。


「別に恋愛だけが人生じゃないでしょう」


 僕の言葉に優人さんは困った顔をする。彼は昔の罪悪感を今でも抱き続けているのだろう。

 そんな彼を見るのが忍びなくて、わざと「そのうち誰かとつきあうかもしれませんから」言ったこともある。だが、そんなことを僕に言ってくる彼も未婚で、それどころか恋人らしい存在さえ感じたこともない。

 そんな世間ではいい年と言われる彼が、僕の結婚について心配しているのがおかしかった。


 土曜日の夜遅く、林から携帯に電話がかかってきた。


「お願い。ごはんおごるから」


 事の発端は林が家を出て一人暮らしをすることになったらしい。どうしても一人では物の整理がはかどらず、誰かに頼もうと考えたようだ。そして、思いついたのが僕だったらしい。最初は奈良に頼もうとしたらしいが、彼は用事があると断ってきたらしい。


 同性の友人に頼めばという気もしたが、重い荷物が多いらしく、どちらかといえば男手がほしいらしい。特に用事もなかったため、彼女と近くの駅で待ち合わせることになった。


 僕が家を出ると、冷気が肌を包み込む。そんな季節になってきていた。毎年、この季節になると否応なしに彼女とのことを思い出す。まだ林との待ち合わせに余裕があったため、僕の足は自然と彼女と茉莉花を見た場所に向かっていた。


 あの場所が空き地でなくなったのは今から二年前の出来事だった。やっと買い手がついたのか看板が下げられ、工事が始まった。


 僕が曲がり角を曲がり、その土地を視界に映し出す。その場所にはこじんまりとした花屋がたたずんでいた。店頭を鮮やかな花々が飾っている。そして、店の傍らにはあの花が咲いていた。


 工事が始まると、あの花はなくなるものだと思っていた。だが、この土地にできるのは花屋だったからか分からないが、工事後に以前より数は少ないものの茉莉花が再び同じ場所に植えられ、たたずんでいたのだ。そして、また花を開かせ、甘い香りを放っていた。


 僕の脳裏に思い出となったはずの彼女の声や笑顔が脳裏に鮮明に蘇る。今、彼女が目の前にいるかのように。鼻の奥が刺激されるような感覚を覚え、何度も首を横に振る。


 時間は人の心を癒してくれ、記憶を色あせさせるものだとよく言われる。だが、僕は茉莉花に触れるたびに、彼女のことを思いだし、あのときと同じ気持ちを彼女に抱き続けているということに気づかされた。


「茉莉」


 思わず彼女の名前を口にするが、自分を戒める。

 右手の人差し指で、目元を拭い、唇を噛むと林との待ち合わせ場所に向かうことにした。



「ごめんね」

 その言葉とともに現れた彼女はジーンズにショートタイプのトレンチコートを着ていた。バスに乗り遅れたらしく十分の遅刻だ。

「いいよ。三田と違って暇だし」

 その言葉に林は笑っていた。


 そう言ったのは、三田に最近彼女ができ、時間があればデートをしていると本人から聞かされたからだ。彼は僕や奈良だけには飽き足らず、林にまでのろけ話をしている。


「久司は誰から告白されても相手にしないからね。結局、久司とつきあえたのは茉莉先輩だけだもん」


 彼女たちは包み隠さず、自分たちが感じたことを僕に告げてくれる。だから今でも交流がもてたのかもしれない。


「茉莉先輩がうらやましいくらいあるよね。そこまで思ってもらえるなんて」


 僕の苗字は母親の家から父親の家に住んだときに岡村に変わった。それ以来、彼女たちはみんな僕のことを久司と呼ぶようになった。だれも久司君と呼ばないのは、それぞれの気質なのか、茉莉がそう呼んでいたからか分からない。


「そういうわけでもないけどなな」


 建前上はそういうことになっている。いつまでも彼女を忘れられないということは彼女との約束を破り続けていることになるからだ。もし、彼女より強く心惹かれる存在がいるならその人とつきあうかもしれない。


「表面は恋人募集中でも、全然募集してないじゃない」


 僕はそんな林の言葉に苦笑いを浮かべる。


「別に人を好きにならなくてもさ」

「日常生活に困るわけでもないし、でしょう?」


 彼女は僕の台詞をあっさりと奪う。


「そういうこと。そんながっつくのも違和感あるし」

「それはそれで久司らしいけどね」


 彼女はそう言うと、肩をすくめていた。


「茉莉先輩ってやっぱり広い家に住んでいるんだろうね」

「そうらしいよ」


 茉莉は彼の実家のほうに住むようになったらしい。

 秋人さんが泊まりなどで家をあけることが多いので、防犯の面からそうなったと優人さんから聞いていた。そして、彼が会社を継ぐ話も出ていることも教えてくれた。


 だが、先入観がありすぎるのか、茉莉は小さな会社の社長の娘であっても、社長夫人というのは絶対に合わない気がする。自由奔放に生きるのが僕のイメージする一番彼女らしい姿だった。


「近所にもすごい広い家があるんだよ。久司の家と同じくらい」


 彼女は何かをたくらむように僕を見る。


「その家を近くから見たいわけ?」

「よくわかったね。一人だと警備員みたいな人が出てきて追い払われそうで」

「そんなの普通の家にはいないと思うよ」

「前を通るだけ」

「分かった」


 普段彼女がその家をどう見ているのか思わず想像してしまい、笑みをこぼしていた。

 彼女はそこから細い道に入ると、どんどん進んでいく。そして、その道を抜けたところ人目を引くほどの大きな家がある。

 林はその家の前まで来ると、足を止め、その家を唖然とした表情で見つめている。


「すごいね。わたしの実家が何個くらい入るんだろう」

「足が止まっているんだけど」

「少しだけ」


 林もこうなりそうな予感があったのだろうか。そう言いながらも身動きしない。

 その時、向こう側から背丈の高い女性と小柄な女性が歩いてくる。

 このままじゃ完全に不審者だ。


「早く行こう」


 そう彼女の伝えたとき表札が目に入る。そこには内田と記されている。

 僕はその苗字を知っていた。

 忘れるわけもない。


 その時、向かいから着た二人組の女性がこちらを通り過ぎる。幸い話に夢中になっていて、僕たちには気付いていないらしい。


「そういえば、ここに住んでいた綺麗な女の人を最近見ないわよね」

「お兄さんは跡を継がずに、弟さんが跡を継ぐらしいわ。弟さんたちが越してきて、入れ違いで出ていったみたいよ」

「そう言えば、違うお腹の大きな人が入っていくのを見たけど、弟さんの奥さんだったのね。詳しいのね」

「お兄さんのほうから聞いたのよ」


 その時、門の向こうから窓の開く音がする。

 二人組の女性は足早に立ち去っていく。


 僕たちもここにいるわけにはいかないだろう。


 その話がどんな意味を持つのか、彼女たちの間にどのような話があったのかは分からない。茉莉のことを指すのかも分からない。そんな珍しい苗字でもない。


 だが、それが茉莉たちのことだったとしたなら、きっと彼は約束をまもってくれているのだろう。そんな気がした。


 この気持ちが一生彼女に届かなくてもいい。彼女が与えてくれた光を、この気持ちを決してむだにしないためにも、頑張っていこうと思えたのだ。


「久司、ごめんね。そろそろ行こう」


 林が苦笑いを浮かべ、こちらを見ている。


 頷き歩きかけた僕の脇を、冷たい風が駆け抜けていく。

 彼女に最初会ったときのような、呼び止めるようなそんな風だった。

 振り向いた僕の視界の隅に鉄製の柵の合間から風にゆれる花の存在が映る。


 彼女の部屋に並んでいた花たち。

 この家に移り住んだときに植えたのだろうか。

 その後、どうしたのかは分からない。


 それらは挿し木にすることもできるので、もって行くこともできるだろうし、置いていったのかもしれない。


 彼女の望んでいた奇跡を起こしてくれた、彼女を示しているかのような可憐な花。

 そして、追憶を意味する花。

 なぜか僕に似ているといった花。


 何度忘れようと思っても、彼女との記憶は鮮明に僕の心に蘇る。

 君が与えてくれたぬくもりとともに。

 彼女はこの家で暮らしているときに、これらの花を見る機会があったのだろう。そのとき、彼女がこの花を見た結果が、笑顔であってほしい。そう切に願っていた。


                           (終)


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