EP 8
みかん箱のステージと、理不尽への鉄拳
ポポロ村の広場に、不似合いなほど澄んだ歌声が響き渡っていた。
「♪絶対無敵のスパチャアイドル! 五円が積もれば山となる! 御縁をちょーだい、キラキラ☆キラリ……!」
広場の中央。農家が太陽芋の運搬に使っているお下がりの『みかん箱(木箱)』をひっくり返し、その上に立って歌う少女がいた。
エンジ色の芋ジャージに、健康サンダル。どこからどう見ても極貧の村娘だが、その青い髪と透き通るような美貌、そして何より彼女の放つ『歌声』には、行き交う村人たちの足を止めさせる不思議な魅力があった。
シーラン国の人魚姫にして、地下アイドル・リーザ。
彼女がマイク代わりに握りしめた大根を振るい、満面の笑みで歌い踊るたび、聴衆の心に不思議な活力が満ちていく。農作業の疲労が抜け、明日への活力が湧いてくるのだ。
彼女の奥底に眠る強欲と純真が反転した力――【Love & Money】の片鱗である。
(……すげえな、あいつ)
広場の隅で、コンビニのコーヒーカップを片手にその様子を眺めていた丸川光雄は、感嘆の息を漏らした。
つい先日、「私が運命になって、全てを奪って宇宙一幸せにする」とアイドルの狂気を語っていた少女の姿がそこにあった。
どんなにみすぼらしい格好でも、どんなに安っぽいステージ(みかん箱)でも、彼女が本気で歌えばそこは彼女の独壇場(ライブ会場)になる。
光雄は商社マンとしてのロジックで、「あれは間違いなく化ける。投資のしがいがある」と確信を深めていた。
パラパラと、村人たちから拍手が湧き起こる。
そして、リーザの足元に置かれた空き缶に、チャリン、と数枚の銅貨や真鍮の五円玉が投げ入れられた。
「ありがとうございますの! 皆様の熱いスパチャ(御縁)、確かに受け取りましたわーっ!」
リーザが深くお辞儀をした、その時だった。
「うるせぇな! こんなド田舎の村で、何がアイドル気取りだ!」
ドンッ! という鈍い音と共に、耳障りな怒声が広場の空気を切り裂いた。
人混みを乱暴に掻き分けて現れたのは、三人の薄汚い男たちだった。装備からして、三国間の緩衝地帯をうろつく質の悪い傭兵か、野盗の類だろう。
「なんだその薄汚いジャージは! 乞食が歌ってんじゃねえよ、目障りなんだよ!」
先頭に立っていた脂ぎった髪の男が、下劣な笑みを浮かべながら、リーザが立っていた『みかん箱』を思い切り蹴り飛ばした。
「きゃあっ!?」
足場を失ったリーザは、無防備に空中に投げ出され、固い土の地面へと無様に転げ落ちた。
バキィッ、という音を立てて、彼女のたった一つの大切なステージであった木箱が粉々に砕け散る。
それだけではない。集まった大切な五円玉や銅貨が入った空き缶が弾け飛び、土埃の中に小銭が散乱してしまった。
「ああっ……! 私のお賽銭……私の、ステージが……っ!」
膝を擦りむきながら、必死に土の中の五円玉を拾い集めようとするリーザ。
しかし、男はその手に容赦なく汚いブーツを振り下ろそうとした。
「邪魔だって言ってんだよ、ゴミがっ!」
男のブーツが、リーザの細い指を踏み砕こうと迫る。
リーザはギュッと目を瞑り、体をすくませた。
――しかし、その痛みが彼女を襲うことはなかった。
「……おい」
地獄の底から響くような、低く冷たい声。
男がハッとして横を向いた瞬間、彼の視界は、ワイシャツの袖をまくり上げた大男の『分厚い胸板』で完全に塞がれていた。
「あぁん? なんだてめぇ……グガァッ!?」
男が言葉を発し終えるより早く、光雄は踏み込んでいた。
巨体からは想像もつかない、ゼロからトップスピードへ到達する爆発的な加速。ラグビー仕込みのステップで男の懐へ完全に潜り込む。
「【低空刺突タックル】」
ドゴォォォォンッ!!
闘気によって鋼鉄の質量と化した光雄の右肩が、男の鳩尾へ正確無比に突き刺さった。
巨漢の傭兵の身体が「く」の字に折れ曲がり、足が完全に宙に浮く。そのまま光雄の突進力によって数メートル後方へ吹き飛ばされ、広場の木箱の山に激突して白目を剥いて沈黙した。
「なっ……!?」
「あ、兄貴が一撃で……!?」
残された二人のチンピラが、顔面を蒼白にして後ずさる。
光雄はゆっくりと立ち上がり、ネクタイを少し緩めながら、首の骨をポキポキと鳴らした。
その瞳には、社畜時代に培った冷徹な合理主義と、理不尽を絶対に許さないラガーマンとしての静かな怒りが同居していた。
「……営業妨害だぞ、三流チンピラ」
「ひぃっ……!」
「そのアイドルには、俺っていう『スポンサー』がついてるんだ。俺が投資した夢を、土足で踏みにじるのは許せねえな」
光雄は一歩、チンピラたちに向かって歩み寄った。それだけで、彼らには巨大な肉食獣が迫ってくるような圧倒的なプレッシャーがのしかかる。
「次、彼女のステージの半径十メートル以内に近づいてみろ。……お前らの関節という関節を、合法的に全部外して回るぞ」
光雄の凄絶な殺気を叩きつけられ、二人の男は腰を抜かしそうになりながら、気絶したリーダーを引きずり起こした。
「お、お、覚えてろよぉぉぉっ!!」
三流悪党のテンプレのような捨て台詞を吐きながら、彼らは脱兎のごとく村の出口へと逃げ去っていった。
広場に静寂が戻る。村人たちはぽかんと光雄の圧倒的な暴力……いや、制圧劇を見つめていた。
光雄は短く息を吐くと、土にまみれて座り込んでいるリーザの前でしゃがみ込んだ。
「怪我はないか、リーザ」
「ミツオ様……」
リーザの両手には、泥だらけになった真鍮の五円玉がしっかりと握りしめられていた。
しかし、彼女の視線は、無残に砕け散った『みかん箱』の残骸へと向けられていた。
「私の……ステージが……。みんなが笑ってくれていた、私の大切な場所が……っ」
ポロポロと、彼女の大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
たかがみかん箱。されど、それは彼女がアイドルとして生きるための、誇り高き城だったのだ。
光雄は何も言わず、大きな掌でリーザの頭をポンッと撫でた。
「あんな脆いみかん箱、最初からお前のステージには狭すぎたんだよ」
「え……?」
「泣くな。俺がスポンサーだって言っただろ。次は、あんな三下チンピラが蹴ったくらいじゃビクともしない、頑丈で立派なステージを俺が用意してやる。それに……お前にはもっとデカい場所が似合う」
光雄の力強く、揺るぎない言葉。
それは、彼女の夢を誰よりも肯定し、絶対に守り抜くという『責任』の証だった。
リーザの唇が、わなわなと震えた。
極貧生活の中で、ずっと一人で戦ってきた彼女の心に、絶対的な安心感が津波のように押し寄せる。
「ミ……」
「ん?」
「ミツオ様ぁぁぁぁっ♡!!」
リーザは手の中の五円玉を放り出し、光雄の首に思い切りしがみついた。
芋ジャージの泥も構わず、光雄のワイシャツの胸元に顔を埋め、子供のように声を上げてワンワンと泣きじゃくる。
「うわあああんっ! ミツオ様ぁ、ミツオ様ぁっ! 一生、一生ついていきますのぉぉっ!」
「おいおい、鼻水つけんなって。ワイシャツのクリーニング代、時給から引くからな」
口では冷たいことを言いながらも、光雄は彼女を引き剥がすことはしなかった。
細く震える彼女の背中を、不器用な手つきでポンポンと優しく叩き続ける。
(……やれやれ。これで完全に、後戻りできなくなったな)
村人たちの生温かい視線を一身に浴びながら、光雄は小さく苦笑した。
合理的に考えれば、アイドルへの投資などリスクの塊でしかない。
だが、自分の胸で泣きじゃくるこの少女を、宇宙一のアイドルにしてやりたいという想いは、彼の中で確かな熱を帯び始めていたのだった。
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