EP 11
初めての給料日と、不格好な手作りショートケーキ
ポポロ村に異世界コンビニがオープンしてから、早くも一ヶ月の月日が流れようとしていた。
ニャングルとの提携による『おばちゃん弁当』ビジネスは軌道に乗り、三国国境へのロジスティクスは完璧に機能している。村の経済はかつてないほどの潤いを見せ、コンビニの売上も右肩上がりを続けていた。
そして今日、営業を終えた深夜のイートインスペースで、丸川光雄は二つの茶封筒をテーブルに置いた。
「リーザ、キャルル。今月分の給料だ。受け取ってくれ」
その言葉に、制服姿の二人はゴクリと息を飲んだ。
ミツオが差し出した封筒の中には、ずっしりとした重みを持つ銀貨が入っている。時給換算で計算し、深夜手当や大入り袋の特別ボーナスまで加味した、正当なる労働の対価である。
「……こ、これが……私のお給料……?」
リーザは震える両手で封筒を受け取ると、中から銀貨を取り出し、月の光にかざした。
つい一ヶ月前まで、彼女の全財産は真鍮の五円玉一枚だけだった。公園で野草を摘み、野良犬と廃棄弁当を巡って争い、ルナミスマートの試食コーナーで飢えを凌いでいた極貧人魚姫。
その彼女の手のひらに今、自分の労働によって稼ぎ出した、本物の銀貨が何枚も輝いているのだ。
「うわあああんっ! ミツオ様ぁっ! 本物ですの! 石ころを磨いた偽金じゃありませんのぉっ!」
「当たり前だろ。お前が毎日、みかん箱……いや、広場のステージで歌いながら、弁当工場のモチベーションを上げてくれた正当な対価だ。好きに使え」
「は、はいっ! 私、これでタローマンで新しいジャージを買いますの! あと、ルナキンで一番高いハンバーグ定食を頼んで、お釣りを貯金しますのぉっ!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら喜ぶリーザを見て、ミツオはふっと口元を緩めた。
商社マン時代、給料日といえば、ただ銀行口座のデジタルな数字が増え、家賃とカードの引き落としで右から左へ消えていく無機質な作業でしかなかった。
だが、こうして誰かの人生を劇的に変える『生きた金』を手渡すことには、数字の羅列では決して得られない、確かな体温があった。
「キャルル、お前もだ。バックヤードの在庫管理と、おばちゃんたちのシフト調整、完璧だった。お前がいなけりゃ、ロジスティクスはとっくに崩壊してたよ」
ミツオがもう一つの封筒を差し出すと、キャルルは兎耳をピンと立て、背筋を伸ばして両手でそれを受け取った。
「ありがとうございます、ミツオさん。……でも、私はお金のために働いているわけではありませんから。ミツオさんの事業を支え、ミツオさんの負担を減らすことこそが、私の至上の喜びです」
「おいおい、労働の対価はきっちり受け取れ。自己犠牲を前提とした組織はいずれ腐る。その金で、たまには美味いもんでも食って、しっかり『オフ』を満喫しろよ」
「はいっ♡ ミツオさんがそうおっしゃるなら、大切に使わせていただきますね」
キャルルは封筒を胸に抱きしめ、うっとりとした表情を浮かべた。
相変わらずベクトルの重いヤンデレ気質は健在だが、彼女が有能な右腕であることに変わりはない。
ミツオは二人の様子に満足すると、立ち上がって首を鳴らした。
「よし、給料の支給も終わったし、俺は外回りの最終確認に行ってくる。ニャングルが手配した防衛網のチェックが残ってるんでな。お前たちは戸締まりをして、今日はもう上がっていいぞ」
「いってらっしゃいませ、ミツオ様!」
「お気をつけて、ミツオさん。害虫が寄ってきたら、いつでも私を呼んでくださいね」
ミツオが自動ドアを抜けて夜の村へと消えていくのを見送ると、店内に残された二人の少女は、顔を見合わせてニヤリと笑い合った。
「……行きましたわね、キャルル村長」
「ええ。作戦開始よ、リーザちゃん」
普段はミツオを巡って牽制し合う二人だが、今日ばかりは利害が完全に一致していた。
二人は足早にバックヤードの簡易キッチン(ミツオが従業員用に設置した調理スペース)へと向かった。
「ミツオ様には、本当にお世話になりっぱなしですの。命を救ってもらっただけじゃなく、こんなにたくさんのお給料まで……。私、どうしてもミツオ様にお礼がしたいんですの!」
「奇遇ね、私も同じ気持ちよ。ミツオさんはいつも『見返りは求めてない』って言うけど、あんなに優しくされたら、お返しをしたくなるのが乙女心というものよ」
キャルルが腕まくりをしながら、机の上に食材を並べていく。
コンビニの棚から購入した薄力粉、新鮮な卵、上質な砂糖。そして、ポポロ村の酪農家から特別に分けてもらった濃厚な生乳と、真っ赤に熟した苺だ。
「よし、作るわよ! ミツオさんに日頃の感謝を込めて、私たちからの手作りショートケーキを!」
「おおーっ! 私、気合いを入れて卵を割りますの!」
極貧生活が長かったリーザは、料理の経験が皆無に等しい。彼女が力任せに卵を割ろうとすると、グシャッという音と共に殻ごとボウルに落ちそうになった。
「ああっ! リーザちゃん、力が強すぎるわ!」
キャルルが月兎族の並外れた動体視力と反射神経を活かし、落ちる寸前の殻を指先で弾き飛ばす。
「ふう、危ないところだったわ……。リーザちゃんは生クリームの泡立てをお願い。私はスポンジ生地の空気抜きと温度管理をやるから」
「任せてくださいの! この有り余るアイドルパワーで、クリームを極限までふわふわにしてみせますわ!」
シャカシャカシャカッ!と、親の仇のようにホイッパーを高速回転させるリーザ。
キャルルは異常な聴覚を研ぎ澄まし、オーブンの中でスポンジ生地が膨らんでいく僅かな音を拾いながら、完璧な焼き加減を見極めていく。
二人の作業は、ドタバタと騒がしくも、確かな熱量と愛情に満ちていた。
すべては、自分たちを拾い上げ、居場所を与えてくれた、不器用で優しい大男を喜ばせるために。
***
数時間後。
村の境界線に設置した魔導地雷の配置チェックを終え、ミツオがコンビニに戻ってきた頃には、日付が変わろうとしていた。
「ふぅ……。とりあえず、これでいつ三流チンピラが攻めてきても迎撃できるな」
ワイシャツの首元を緩めながら、自動ドアをくぐる。
すると、店内はなぜか薄暗く、イートインスペースの照明だけがポツンと灯っていた。
「……なんだ? まだ帰ってなかったのか?」
ミツオが訝しげに眉をひそめたその時。
バックヤードの扉が開き、制服姿のリーザとキャルルが、慎重な足取りで歩み寄ってきた。
二人の手には、白い皿に乗せられた、ひとつの『ケーキ』が掲げられていた。
「ミツオ様! お仕事、お疲れ様ですの!」
「お疲れ様です、ミツオさん。これ、私たちからの……ほんの気持ちです」
テーブルの上に置かれたのは、手作りの苺のショートケーキだった。
だが、その見た目は決して「完璧」とは言えなかった。
スポンジは少しだけ傾いており、生クリームの塗り方はあちこちムラがある。上に乗せられた苺も大きさがバラバラで、コンビニのスイーツコーナーに並ぶような洗練された美しさは微塵もなかった。
「……これは?」
「初任給のお祝いと、日頃の感謝を込めて、キャルル村長と一緒に作ったんですの! 材料費は、二人のお給料から出し合いましたのよ!」
「ミツオさんはいつも私たちのためにロジスティクスを整えてくれますけど、たまには私たちが、ミツオさんの胃袋を満たしてあげたくて……。不格好ですけど、味には自信があります」
二人は顔を真っ赤にしながら、もじもじとミツオの反応を窺っている。
ミツオは目を見張り、そして、ゆっくりとパイプ椅子に腰を下ろした。
商社マンとして生きてきた彼にとって、コンビニのスイーツというものは、何千回という試作と緻密なデータ分析の末に生み出された『工業的最適解』の結晶だった。
ファストフードのハンバーガーと同じだ。工場の製造ラインで徹底的に品質管理され、誰が食べても同じように美味しくなるよう計算し尽くされた、均一化された味。
それに比べれば、目の前にあるケーキは、素人が見よう見まねで作った、あまりにも非合理で不揃いな代物だ。
だが。
「……食っていいか?」
「はいっ! ぜひ召し上がってくださいませ!」
ミツオはフォークを手に取り、不格好なケーキを大きめに切り分けて、口に運んだ。
――瞬間、濃厚な生乳の風味と、ポポロ村の苺の鮮烈な酸味、そして優しいスポンジの甘さが口いっぱいに広がった。
クリームは少し泡立てすぎで固く、スポンジのキメも粗い。工業的に計算された均一な滑らかさはない。
だが、美味かった。
どんな一流パティシエのスイーツよりも、どんなに計算され尽くしたコンビニスイーツよりも、圧倒的に、涙が出るほど美味かったのだ。
「……どう、ですか?」
キャルルが不安げに兎耳を揺らす。
ミツオはフォークを置き、ふっ、と息を吐いてから、これ以上ないほど穏やかな笑みを浮かべた。
「美味い。俺の人生で食ったケーキの中で、間違いなく一番美味いよ」
その言葉を聞いた瞬間、リーザとキャルルの顔にパッと花が咲いたような笑顔が広がった。
「や、やりましたのぉっ! キャルル村長、ミツオ様が一番って言ってくれましたのぉっ!」
「ええ、ええ! 頑張って温度管理をした甲斐があったわ……っ!」
手を取り合って飛び跳ねる二人を見つめながら、ミツオはもう一口、ケーキを頬張った。
見返りを求めて投資したわけではない。彼女たちを助けたのは、ただの自己満足と、ほんの少しの合理的な判断だったはずだ。
だが、こうして不格好なケーキに込められた、不器用で真っ直ぐな『情』を受け取った時。ミツオの胸の奥にあった、社畜時代に冷え切っていた何かが、完全に溶けて温かい血を通わせ始めたのを感じた。
「お前らなぁ……。俺は別に、見返りなんて求めて——」
「分かってますの!」
リーザが身を乗り出し、ミツオの言葉を遮った。
「ミツオ様が見返りを求めない人だってことくらい、私たちが一番よく分かってますの。だから、これは見返りじゃありません。私たちが、勝手にミツオ様を笑顔にしたくてやった『投資』ですわ!」
「……そういうことです。ミツオさんのロジスティクスには、私たちのこの気持ちも、ちゃんと組み込んでおいてくださいね」
キャルルがヤンデレの影を一切見せない、純粋で慈愛に満ちた笑みを向ける。
参ったな、とミツオは天井を仰いだ。
言葉の揚げ足を取られ、論破されるのは久しぶりの感覚だった。
「……ああ。ありがたく受け取っておく。最高のROI(投資利益率)だったよ」
薄暗いコンビニのイートイン。
そこには、元の世界では決して手に入らなかった、確かな『家族』の温もりが満ちていた。
この小さな拠点を、そしてこの騒がしくも愛おしい日常を、絶対に守り抜く。
その決意を新たにしながら、ミツオは不格好な手作りショートケーキを、最後の一口まで綺麗に平らげたのだった。
迫り来る古代の絶望(死蟷螂)の足音が、すぐそこまで近づいていることなど、この時の彼らはまだ知る由もなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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