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009

 髪を撫でられる感覚に目を覚ます。先生の肩を借りたまま眠ってしまったようだった。

「ごめん、起こしたかな?」

「いえ。わたしこそごめんなさい。ずっとここに?」

「うん」

 月あかりに照らされた先生の顔が、少し悲しそうに見える。

「先生? なんだか悲しそう」

「……」

 先生が語り出してくれるのを待っていた。

「あのね」

「うん」

「……ぼくはね、本当は医者なんかじゃないんだ」

「えっ?」

「ここは、ぼくの祖父が開いていた診療所なんだ」

 わたしは先生の話を邪魔してしまわないように小さく頷く。

「本当は、ぼくは、患者だったんだ」

 わたしは、やはりという気持ちになる。

「ぼくは、睡眠障害があって、普段は夜眠ることも出来ないんだ」

「えっ」

 眠れないことの辛さは身を持って体感しているので、先生の辛さはわかる気がした。

「だけど、冬が近づくと、ドンドン眠気が襲って来て、長いと一ヶ月以上眠ってしまうこともある。普段眠れない分を取り戻しているのかもしれない。だから、ここのところはずっと専門の病院に行っていたんだ」

 わたしは先生を見つめた。

「こんな話驚くかもしれないね」

 首を振る。

「具合が悪かったりはしないの?」

「うん。熱が出たりして体が重く感じる時もあるけど、大概は、世間一般の人が夜眠くなるように、眠りにつくだけなんだ」

 何も言えなかった。

「でも、僕は戻った。だから、これから次の冬が近づくまではきみと一緒にいられる」

「一緒って……わたしの為に戻って来てくれたの?」

 先生は小さく頷いた。

「だけど、きみの為だけじゃない。あの日。あの時、遊園地でぼくがあかりを誘ったのは、ぼくの心の氷も溶けてほしかったからだ。きみと一緒にいることで、ぼくも安心したかったんだと思う」

 そう言うと、先生は俯いた。

「きみが、求めているものが医師と言うものなら、ぼくではもうダメかもしれない」

 先生の悲しみが胸に沁み込んで来る。

 わたしは大きくかぶりを振った。

「先生がね、本当のお医者さんじゃなくたって全然いいの。かまわないの。ただ、わたしの話を真剣に聞いてくれる先生が……先生がいてくれたら、それでわたしは……」

 心の奥に隠しておいた気持ちがとめどなく溢れて、歯止めがきかなくなった。

「ずっと寂しかったから。ずっとずっと寂しかったから。ほんとは誰でもよかったのかもしれない。だけど、わたしが心を開いたのは先生だけだよ? わたしが勘違いしちゃって、先生なんて呼び始めちゃったのが悪かったんだけど、どこか、その先生って言葉に安心しちゃってた部分もあると思うけど、でも、先生じゃなかったら、きっとダメになってたよ」

 荒れた手の甲に涙がポタポタと落ちた。

「わたし、あの時先生に出会ってなければ、きっと……」

 言葉に詰まってしまう。

「きっと……」

 その先を言おうとした瞬間「もういいんだ」と、いつもの優しい声がした。

「もう、ぼくのことを信じられない?」

 わたしは、強く強く首を振る。

「そんなことない。先生も辛かったのに……ごめんなさい」

 先生はわたしを抱きよせ、震えていた。わたしはそんな先生の背中をゆっくりとさする。

「いつもの、逆みたいだ」

「……うん」

 少し先生に元気が戻ったのかもしれない。

 わたしも、自分のことを話したくなった。

「先生」

「ん?」

「わたし、今もやっぱり母がいないことが辛くなる時がある。学生時代なんか、回りがみんなお母さん手作りのお弁当を持っていて、本当に羨ましかった。自分だけ、どうして? って、思わない日ってなかったかもしれない。それが、まだ今も続いてるの」

「うん」

「だけど、おかしいって思うかもしれないけれど、わたし、時々、母がまだどこかで生きているんじゃないかって思うときがあって」

「うん」

「わたしに疲れちゃって、どこかで違う生活を送りたくなってしまっただけじゃないかなって」

「うん」

「だから、先生がいなくなってしまった時、少しだけ、母のようにわたしに疲れてしまったんじゃないかと思った」

「ごめん。そうじゃないんだ」

「うん。わかってる。だけど、寂しいけど、そうやって考えると少しだけ、嬉しい気持ちになるというか、悲しい気持ちが和らいだ。この世界のどこかで、母も先生も笑っていてくれるならって」

 そこまで話すと、先生が言った。

「ねえ、あかり? そう思うことで、あかりが少しでも悲しい気持ちを忘れることができるなら、その先を一緒に考えてみようか?」

「その先?」

「そう」

 わたしは少し首をかしげ、先生を見つめた。

「難しくないよ。ただね、もしの世界を作るんだ」

「もし、母が生きていたら? ってこと?」

「そうそう」

「実は地球を守るために戦っているとか」

「うんうん」

「実は、消えた父を探しているとか……」

 自分から父のこと話すとは思わなかった。けれど、考えたことがないわけではなかった。どこか、そんな風に思いたい部分があった。

「そう。そして、ぼくが話を書く」

「えっ?」

「実は、ぼくはね……」そう言ってまた先生が話しだす。

「うん」

「小説を書いてるんだ」

「えっ?」

 先生は頷いた。

「それで、きみの物語を書こうと思ってた」

 わたしは驚き、声も出せずにいた。

「ダメ?」

 首を振る。

「ダメじゃない」

 先生も小さく頷く。

 また、涙が止まらなくなった。

「どうした? やっぱりダメかな?」

 もう一度首を振る。

「違う。やっぱり、先生は、先生だったんだなって思って」

「えっ?」

「だって、小説家の人だって、先生って呼ばれるでしょ?」

 先生は少しはにかむように笑った。

「そう言えばそうだね」

「楽しみ。すごく、楽しみ」

 先生は、頷き言う。

「あかりがいいならね。やってみよう」

 わたしは、考える必要もなく深く頷いた。

 長い、長い夜が明けようとしていた。


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