写真
「着いたぞ」
妖精の援助とルドルフの護衛のお陰で何とか辿り着けた。中央神殿――実際はただの火口なのだが――に。追い剥ぎやスリみたいなのには出くわしたけど、道自体は単調だった。この世界はどういう仕組みなのか、平地に火口があるから。大陸の中央にあるこの火口は、毒ガスや熱風が大変危険らしいので、柵やしめ縄みたいなので付近を囲って人が入らないようにしてはいる。
……ルドルフと別れるのは、この柵の辺りでだろうな。いてもらってはまずい。コルセッポの目的はおそらく……。
「ありがとね、ルドルフ。じゃあここで……」
「……ああ」
「うん」
「……」
「えっと……」
どうしよう。帰ってほしいんだけど。頼む、空気読んで。
「……別れか」
「! うん」
「……じゃあ、な」
沈黙が続いたあとに察してくれたのか、身を翻して来た道を歩いていくルドルフ。完全に見えなったのを確認して、私はコルセッポに問いただした。
「私、死ぬために呼ばれたんでしょう。違う?」
少女が一人で危険な場所に用事なんておかしい。旅の途中の雑談で聞いたが、東で片目を奪われ、北で同じ不具者からも憎まれ、西で容赦ない嫉妬のすえ片腕の自由を失い、南で同胞の行く末を憂いた。……誰だって少女の自殺を予感するだろう。
そう考えたルドルフは、帰ったように見せかけてすぐにレンゲのいる火口へ舞い戻った。そこで見たものは、誰もいない場所に独り言をぶつぶつ言うレンゲの姿。……やはり精神に異常を来たしていたかと考えるが、どうもその内容がおかしい。
「分かっていたのだ?」
実際は横にいる妖精コルセッポが応答しているのだが、普通の人間であるルドルフには見えないし感じない。
「夜は消えるっていったよね。……最後のほうなんか、もう隠す気なかったじゃん。普通に宿で寝てて」
「……すまないのだ。僕も、結局は神に利用される身」
「いいよ、別に」
それから蓮華は物憂げに火口を見る。
「……ここに、飛び込むの?」
「そうだ。現地人ではできないのだ。異世界より来た者だけが、火の魔力と呼応して魔物を封じられる。それも、一時的にすぎないが」
「仕組みは分からないけど、考えても無駄なんだろうなあ」
そうぼやいた蓮華は、じっと火口を見つめる。今は落ち着いている状態だが。
「選ばれた神子が入った瞬間に熱が噴き出す。怖いか?」
「そりゃあ、怖いよ」
「安心するのだ。熱いと感じるより先に熱風で窒息死するから」
「どっちもどっちすぎる……」
「でも、死ぬ気なんだろう? 僕を責めたりしない程度に」
その問いに、蓮華は一瞬躊躇って、ぽつぽつと話した。親のところにも帰ろうと思わず、このまま死のうと決意したその心境を。
「教科書の、写真」
「?」
「あのね、小学校の教科書で見たの。授業でね、生まれつきの障がい者の写真」
「……それがみっともなかったから、そうなる前に死にたいと、そういう事なのだ?」
結論を聞く前に早合点したコルセッポに蓮華は怒る。
「違う! 大体、障がい者だけの写真じゃなかったから。お母さんも映ってた。お母さんが、障がいを持つ我が子をお風呂に入れてあげてる、そんな写真だった……。私、それ見た時はふーんってしか思わなかった。障がいとか、実感なかったから。でもね、先生がこう言ったの」
『さて皆さん、この子は母親が死んだ後はどうなると思いますか』
「クラスの皆、静まり返ってた。誰も、何も言わなかった。ううん、言えなかった。白黒だったから、もう何年の前の出来事なんだろうけど、きっとあの子、先に死んでなければ死ぬまで母親が世話したんだと思うよ」
ここで耐え切れないというように、蓮華が嗚咽を漏らす。
「わ、私、この身体で将来どうなるのかなあ。普通じゃないんだよ? それにそれに、やっぱり障がいって理不尽。唐突にこんな目にあうでしょ。周りから偏見の目で見られるでしょ。同じ障がい持ちでも優劣つけられるでしょ。自称ボランティアの偽善にだって合う、でも優遇されてそれに満足できるほど、私は心臓に毛が生えてない。帰れば、お母さんは私を労わってくれるよ。きっと死ぬまで。でもそれが分かっててこんな身体で帰るのも同じくらい親不孝じゃないの。うちには、弟がいるから、最悪、一人消えても……」
残った右目からぽろぽろと涙を零す蓮華。それを左腕が使い物にならないから、右手だけで不器用に拭う。そしてそんな蓮華の様子を、感慨もなく見つめるコルセッポ。
「私は、こういう選択肢があっただけ、恵まれてた」
「そうか」
「うん。じゃあ……」
行ってきます
そう言って、少女は火口付近に足を踏み入れた。と同時に、マグマが噴き上げ、彼女を飲み込む。
「……ハハハッ! 今回も大成功だ!」
さもおかしそうに笑うコルセッポ。その背後から砂利を踏む音が聞こえた。
「誰だ!?」
「……ルドルフ。名乗ったから教えろ、お前は何者だ」
一連の出来事を草木に紛れながら傍観していたルドルフだった。今の今までは情緒不安定なレンゲの狂言だと思っていたが、レンゲが入った途端噴き上げたマグマ。と同時に謎の生き物が目視できるようになった。一体こいつは。
「控えろ人間が。僕こそお前らを作った神だぞ」
「神? 神がなぜ生贄みたいな真似を……」
神であるという事に疑問は持たなかった。そうでもしないとレンゲとこいつに纏わる出来事は説明できまい。
「どうでもいいが……早く逃げないと、今はマグマが結界から出ていないが、直に吹き零れるから巻き込まれるぞ? まあそれでもいいなら教えてやるが。おい、老いた鶏を美味しく食べる方法を知っているか?」
「……は?」
「弓や剣でひたすら追い立てて殺す。そうするとどんな年寄りの肉も柔らかくなるんだ。恐怖は素晴らしい感情だ。この場合、抵抗を奪って自分から死にに行くように仕向けてくれる。レンゲが将来に絶望して死んだように。上位の者が下位の者を嬲るのは太古の昔からのお約束じゃないか?」
神じゃない、悪魔だ――。ルドルフはそう感じた。それにしても。
「わざわざ、他所から調達する必要があるのか?」
「ここの人間は事情があって生贄に適さない。しかし召還するのも、完全にランダムで聖女クラスの自己犠牲強い女なんて期待出来ない。世界を守るためには自分から死んでくれる人間が必要不可欠だったんだ。分かってくれるな? 人間」
「……ああ、分かった」
「そうか。なら当然、他言無用だぞ?」
「……しかし、少し、お耳に入れたいことが」
「あん? なんだ」
コルセッポは疑いなくルドルフに近づく。間合いに入った瞬間だった。ルドルフは見た目には小さな妖精を大剣で潰した。
「んな、ぜ」
「畜生が。そんな事情を聞いてはいそうですか、と納得できるほど俺は腐っちゃいねえ」
「……世界、を、ほろぼす……気か!」
「滅んじまえよ、少女を拉致して殺すような真似までして生き延びる世界なんてよ」
潰れた蛙のようになったコルセッポは、もうルドルフと会話もできず、しばらくピクピクした後ついに動かなくなった。
「……」
ピキピキと何かが壊れる音がする。先ほどコルセッポが言った結界だろうか。
「……レンゲ」
男は、ほんの少しの間だけ黙祷し、その場を走り去った。
その後の男の行方は誰も知らず、また世界の行方も知らない。