第7話:haunt
「こころちゃん嫌い!!」
鼓膜に突き刺さる金切り声。
消されゆく黒板には、「学しゅうはっぴょう会」の文字がまだ残っていた。
「……しょうがないじゃん、そういう空気だったんだから」
「空気ってなに?!」
ツインテールの少女が叫んでいる。
「こころちゃんが、ヨサコイに入れてくれたら、ヨサコイに決まったのに!」
「そんな僅差じゃないでしょ、私が選んでもヨサコイにはならなかったよ」
地元の詩人が書いた詩の朗読か、ヨサコイ演舞か。
演目投票の時間、ヨサコイに執着していたのは、心を親友とよぶ彼女ただ一人だった。
ただクラスの空気感的に。
教室内に吹く風向き的に。
小学校低学年だった心はあの日、詩の朗読を選んだ。
「こころちゃんのバカ!!」
その細腕が、心を突き飛ばそうと迫ってきた。
心は無意識のうちに身体を傾けながら、風の塊を、彼女の肩に叩きつけた。
⬛︎
「……行くぞ、おい。風見」
瞬に声を掛けられるまで、心はその場に棒立ちになっていた。
風で殴りつけたはずの"蜒蛇"は、いつの間にか消えていて。
両手をスラックスのポケットに突っ込んだ瞬が、気怠そうな表情で心を見つめていた。
「…………あ、はい」
「あぁーっ、烟山先生、敷地内は禁煙ですよー?」
「うわほら、面倒なのに捕まったべや」
瞬が振り向きもせずに言った。
さくさくと芝生を踏みしめる足音が微かに聞こえて、心はようやく意識を現実に戻した。
初めて、風を使ったあの日から。
「黙っといてくださいよ、村崎先生」
「昨日校長先生にバレたばっかりじゃないですか……っていうか、さっき私のこと"面倒なの"って言いました?」
「空耳じゃないっすか? おい風見、ぼけっとしてないで練習行け」
「あら、心ちゃんこんな所に!」
瞬の後ろから、長い茶髪が覗く。
合唱部の顧問で数学教師の村崎紫は、楽譜の詰まったファイルを重そうに両手に抱えていた。
「練習いこ、今日は音楽準備室ね」
「……はい」
"風見鶏"は風を読む。
風を動かす側になってはいけないのだと、祖母から教わった。
風に身を任せ、身も心も委ねるのが風見鶏。
同級生を風で殴ったことも、ネムリケと呼ばれる異形と戦ったことも、祖母には話していない。
気付かれていない。今は、まだ。
「じゃーな風見、あんまり──」
瞬は真顔のままもう一本煙草を取り出すと、口に咥えて言った。
「関わんなよ」
「そうそう、こんなダメな大人に関わっちゃいけませんよー」
紫も笑いながら心に近付いてくる。
心は顔に愛想笑いを浮かべて曖昧に頷いた。なんとなく、そういう空気だ。
瞬に背中を向けて、紫と歩調を合わせた。
そういえば合唱練習開始まで、あと数分しかない。思ったより、"蜒蛇"の処理に時間が掛かった──
「ごめんねえ、練習場所が急に変わっちゃって。烟山先生、あんなところで何してたのかしら」
「……サボってたんじゃないでしょうか。楽譜、持ちますよ」
少し強引に手を伸ばして、紫から楽譜を半分だけもらった。ありがとー、なんもですー、なんて言葉の掛け合いで、"烟山先生"の空気を消す。
……烟山先生は。
烟山先生なら、異能との付き合い方を教えてくれるだろうか。
「あ、そういえば心ちゃん、相談があって。まだみんなには伝えていないんだけど」
校舎の日陰、黒く変色した雪の脇に差し掛かった頃。
紫が不意に口を開いた。
「今年の皇文連アンサンブルメンバー、心ちゃんに入ってもらおうと思って。どう?」
皇国文化連盟主催合唱コンクール、高校生の部。
選抜を勝ち抜けば、全国大会への切符を手にする重要な大会──
まさか、自分が……?
「へぇ、心がアンサンブル出るっすか」
背後から言葉が聞こえた。
刺すような風と共に。
「……紅」
……風向き、変わったな。
むらさきむらさき。




