第4話:her voice
「先生、左に逃げて──!」
突然耳元で、風切り音と共に声が聞こえた。
目の前の"凍狐"は、尻尾を振り回しながら突進してくる。
その長い爪が、瞬の右肩を目掛けて振り下ろされた。
「──ッ!」
体育館の床を蹴って左に飛ぶ。
"凍狐"の攻撃を避けながら、瞬は灼けた煙草を"凍狐"の脇腹に押し当てた。
『グァァァ痛ェェェェ!!!』
"凍狐"が叫ぶ。
『手前ェ、この童、殺してやるゥゥゥ!!!』
「うるせェ」
喚き散らす"凍狐"から距離をとり、もう一本煙草を取り出して火をつけた。
またも"凍狐"が向かってくる。
左右に鋭くステップを踏みながら、一気に肉薄。
鋭い牙が左右に揺れ、瞬の瞳もつられて右へ左へ振り回される。
このネムリケ、すばしっこい……!
"凍狐"が口を開けた、その時。
「次、左に来ます!」
またも声、耳たぶをなぞる風。
背筋をぞくりとさせながら、反射的に体を右へ。
同時に、空いた左の拳を突き出した。
"凍狐"は瞬の左脇腹を噛みちぎろうとして虚空へ飛び出し、咄嗟に出した瞬の左手に激突した。
『ンアアアアア!!!』
"凍狐"の苛立つ声を聞き流して、瞬は振り返る。
「……風見か」
体育館倉庫でおとなしくしていろ、と告げた女子生徒。何組のどんな生徒かあまり印象のない、地味な黒髪を思い出す。
……黒髪だよな? ショートだっけロングだっけ?
『そっちに居るのかァァァ!!』
"凍狐"が瞬を無視して駆け出した。
一直線に、体育館倉庫へ。
それに気づいた心の顔が引きつるのが見えた。
「風見!!」
瞬は"凍狐"を追いかける──先ほどよりも、速く。
煙草を咥え、勢いよく息を吐き出した。
大量の煙が"凍狐"を追い越し、心との間に分厚い壁を作る。
『グルルルル……』
行く手を阻まれた"凍狐"が、牙を剥き出して苛立ちの声を上げた。
瞬はスライディングの要領で"凍狐"の足元に滑り込むと、"凍狐"の尻尾を掴んで壁に向かって放り投げた。
"凍狐"が空中で鋭く回転しながら、体育館の壁に叩きつけられたのを、瞬は見ていない。
「生きてるか、風見」
煙の壁の向こうに声を掛ければ、か細い声が返ってきた。
「……ビビりすぎて立てませんけど」
「よし」
口に残った煙をふっと吐き出して、瞬は"凍狐"に向き直る。
心臓がうるさい。
嫌な記憶を思い出しかけた。
だから、生徒を巻き込むのは嫌なんだ。
「先生……」
「お前、いい声してんな」
「あ、私、一応その、合唱部なので……」
「ウチ合唱部なんてあったっけ?」
「ありますよ!」
拗ねた声が背中に刺さる。
どうでもいい。
生徒に干渉せず、干渉されず、興味ももたない。
そうやって、守ってきた。
今までもこれからも同じだ。
「ありがとな、風見。いいから座ってろ」
ゆっくりと立ち上がる"凍狐"を見据えながら、瞬は心に声を掛けた。
「え、でもまだ、ネムリケが……」
「うるせェ黙ってろ」
言うが早いか、瞬は駆け出した。
"凍狐"も勢いよく向かってくる。左右に身をよじり、鋭いステップを刻みながら。
右から来るか、左から来るか、それとも飛び上がってくるか──
「下です先生!!」
「くッ……!」
予想していなかった方向、予想していなかった心の声。
振りかぶっていた拳を、垂直に落とす。
『ギッ…………』
脳天に一撃を食らった"凍狐"が短い悲鳴を上げた。
そのまま頭を掴み上げ、薄く開いた口に煙草の煙を吹き込む。
『グフッ……この……ッ、オマエがあの……烟山か…………』
恨めしそうに。
ネムリケ、"凍狐"は低く呟くと、静かに目を閉じた。
"凍狐"の身体がゆっくりと透明になっていく。
まるで、そう。煙のように。
音もなく溶けていく。
「風見、悪ぃ」
瞬は"凍狐"の亡骸を床に投げ捨てると、心を振り返った。
「換気しといてくれ」
「……へっ?」
セミロングの黒髪を揺らして、心が口を開けたのが見えた。
髪の長さの答え合わせをしながら、瞬は体操服姿の女子高生たちの元へ。
丸一日と30分間、微動だにしなかった生徒たちの睫毛が、指先が、ゆっくりと動きだして──
「てか先生見て、ネイル変えたんだけど」
「色気づくなよガキが」
「烟山先生マジ煙草くさーい!」
「うるせェ、まだ授業中だろうが。あっち並べ」
「はぁーい」
流れ始めた時間に合わせながら息を整え、足を体育館の外に向けた。
特に章分けはしてないけど、ここで一区切り!
まだまだダウナー教師と風見鶏のちょっぴり変わった学園ライフは続くぜ!
引き続き応援よろしくおねがいしまっしゅ!




