第13話:get hold
ホール裏を駆け抜け、ホワイエ横の階段を段飛ばしで飛び降りて。
心は瞬を追って、地下のリハーサル室へ飛び込んだ。
「待てやコラァ!!」
瞬が空中に向かってパンチを放っている。
うりゃ! おりゃ! と火災警報に負けじと大声を張り上げながら、なにもない空間を蹴りつけているのを見て、心は一瞬放心した。
「な……なにしてるんです……?」
「うるせェ黙れ!」
「そこにネムリケが?」
「あぁクソッ、そっち行った!」
「え──」
聞き返す間もなく、肩になにかがぶつかった。
ぶつかった、と感じた瞬間には、目線はすでに天井。
風が真上に吹き抜けて、両脚が宙へ──
「……ッぶねえ馬鹿!」
背中から床に叩きつけられる直前、瞬に抱き止められた。
膝裏と肩に、筋肉質な腕の感触。
絵に描いたようなお姫様抱っこ。
髪が床に擦れて乾いた音を立てた。
「ふぅぅぅ…………っ」
瞬が煙草を咥えたまま鬼の形相で吐き出したのは、安堵のため息ではなく大量の煙。
グレーがかったそれは、意思を持つように一箇所に集まると、空気中に壁を作った。
その壁に小さな手形が浮き出て、心は小さな悲鳴を上げた。
「なっ……んですか、あれ……」
「クソガキだ馬鹿野郎、お前と一緒!」
瞬は心を床に放り投げると、咥えていた煙草を手にとった。
尻餅をつきながら、心はなにもないリハーサル室の天井を見上げる。
「透明なネムリケなんですね?」
「見りゃわかんだろ!」
「見えないから言ってるんです」
「うるせェ!」
「先生は見えてるんですか?」
「なんとなく!」
瞬が鋭い蹴りを空中に見舞うが、長い脚は空振り。
短い舌打ちは、リハーサル室の真っ白な吸音壁に吸い込まれて消えた。
惜しい……!
もう少しで当たりそうだった。
瞬の蹴りが到達する一瞬前に、空気が真下に引っ張られるのが見えた。
しゃがみ込むようにして蹴りを躱したんだと、今気づく。
まるで人間みたいに動く、透明なネムリケなんだ。
「……っ、先生、ぶわーって煙吐いてください!」
「あァ?」
「ぶわーって!」
心は腕をいっぱいに広げた。
その動きと同時に──リハーサル室の風をすべて、自分のものにする。
スピーカーから流れる小刻みに震えた風。
音もなく駆け回るネムリケが起こす風。
壁の有孔ボードの、小さな穴の中で反響する風の音。
瞬の荒い息が小さな渦を巻いて、空気中の塵を巻き込みながらゆっくり下降していく姿を、鮮明に捉えながら。
「先生!!」
「……ッ!!」
瞬が煙草を吸い込んだ。
空気が爆ぜる。
酸素が高熱を帯びて、風が甲高い悲鳴を上げた。
瞬の肺が動く音が、微かに聞こえる。
ぶわ──
吐き出された煙、瞬の歯の隙間から飛び出した風をすぐさま支配して、心はリハーサル室の空間を煙で満たした。
ずっと走り回っていたネムリケの姿が、煙の中にくっきりと浮かび上がる。
「そこかよ"透融"、逃さねえぞガキが!」
ネムリケ、"透融"がたじろいだ。
一瞬その足を止めたのを見逃さず、瞬の拳が"透融"の顔面を捉える。
小学生くらいの背丈の男児の、驚いて引き攣った顔を。
目が合う。
口が開く。
鼻の穴が広がって、その頬が瞬の硬い拳で歪んだ。
殴りつけた音も、"透融"が壁に叩きつけられた音も、吸音壁は逃さず消し去って。
「…………ふぅ」
瞬は一撃で、"透融"を音と共に消滅させた。
そこに残ったのは、渦を巻く一陣の風と、天井から降り注ぐ鳴り止まない警報音だけ。
「……せ、先生……」
「何」
「今の……男の子、でしたよ」
「"透融"な」
「今までのネムリケって、キツネとか、ヘビ、だったのに……」
「あれもネムリケだ、人じゃねえよ」
「で、も……」
薄く視界がけむる地下室で、高校教師が男子児童を殴り殺すというビジュアルが、脳裏に焼き付いて離れない。
あれがネムリケで、たまたま人間のカタチをした異形の化け物だと言い聞かせても。
「…………先生。ネムリケって……なんなんですか……?」
心はぺたんと床に座り込んだまま、微かな声でそう問うことしかできなかった。
「関わるなって言ってんだろうが」
先生の言う通り。
警報が鳴り響く中、友達の手を離してまで走ってきたのは、自分だ。
巻き込まれたわけじゃない──
「……どうしても知りたきゃ、日曜日に学校に来い」
ため息混じりに瞬が言ったのと、教育文化会館の係員がリハーサル室に飛び込んできたのは同時だった。
教育文化会館の小ホールに立ったのは何年前だろうか…(遠い目
数億光年ほど昔になりますが、演劇を少々嗜んでおりまして。何度か立ったことあるんですよー、教文。
その時撮ってた地下リハーサル室の写真を見返しながら書きました。
みなさんは小説以外にやってたこと、ありますか?




