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第10話:close, yet

 

 煙草の匂いが鼻腔に流れ込む。

 横幅たったの45センチ。足の先から髪の一本まで、ぴたりと合わさり絡みつかないと収まらない狭隘(きょうあい)

 

 行き場を失った手はお互いの腰に。

 足を踏まないようにした結果、バランスが取れずに(しゅん)の胸板に倒れ込みながら。




「なくはないです。私、なくはないです」


「限りなくゼロだよお前は」


「B寄りのAです。なくはない」


「無ぇよ」



 (こころ)は自分の胸の存在を必死に主張していた。

 胸囲だけなら先生の方があるかもしれないな、なんて悲しくなりながら。



「こんな空き部屋あるなら合唱部にくれてもいいのにねーっ、先生に言ってみる?」



 ドア付近では、まだ部員がなにか喋っている──出られない。

 瞬が小さく舌打ちしたのが、頭のてっぺんから聞こえた。



「早く出てけよな……」


「日陰者らしく生きるのも大変ですね」


「あ? うるせェお前、二人きりになってるとこ見られたらやべえから仕方なく隠れただけだろ、好き好んで入ってる訳じゃねえぞ」


「それは……すみません」



 先生を追いかけて、この教室に押しかけたのは自分。

 こんなところに押し込められる羽目になったのも、自分の責任ではある。

 バレたら、まずいから。



「……先生は今までもこうやって、コソコソと」


「言い方」


「人目を避けながら忍者のように、ネムリケと戦ってたんですか」



 忍者なんて言い回しは幼稚だったかも。



「まあそんな感じ。お前にバレたのは大誤算だけどな」


「すみませ……いや、それは私悪くなくないですか」


「うるせェ」



 はぁ、と瞬が溜息を吐く。

 身長差のせいで、その表情はわからない。

 

 狭いロッカーに二人きり、なんて少女マンガでも最近見ないようなシチュエーションで、しかし胸がときめく様子もないのは、相手が不良喫煙教師(だめなおとな)だからか。



 ──しばし、無言。



 勝手に上がっていく体温と、呼応して首筋を流れる汗だけは制御できなくて。

 蒸れて臭くないかな、とだけ心配になった。



「……風見(かざみ)


「……はい」



 首を捻って見上げれば、瞬はいつもの気怠げな視線を落としていた。

 狭いロッカーに微かに対流する風には、棘がない。



「俺がいま何を考えてるか、わかるか?」


「考えてること……」



 人の思考までは読めない。

 ただ、纏う空気と引き連れる風を読むだけ。

 教室中の空気に、さっと目を通す。



「……もうアイツらいなくなったし、そろそろ出るか。煙草吸いたいし。 ……ですか?」


「正解」



 言うなり、瞬はロッカーの扉を蹴り飛ばしてこじ開けた。

 新鮮な空気に曝されて、思わず目を閉じる。



「俺は戦うことしかできねえけど、お前は気持ちを汲める。もし使うならそういう使い方をしろ。自分のためにもなるだろ」



 瞬はどすどす足音を立ててロッカーから離れると、窓辺に腰掛けて煙草を咥えた。

 定位置なのだろう。真上には換気扇、手元には灰皿代わりの空き缶。



「……うまく、使えるとは思えなくて」



 心はゆっくりとロッカーから脱出しつつ、スカートの裾を指でつまんだ。

 思い出すのはいつだって、小学校のあの日。風でクラスメイトを殴りつけた感触。

 "蜒蛇(エンダ)"を殴り殺したとき、完全に思い出した風圧。



「うまく使える訳なくね、そもそも異能力なんて」



 ふうぅ。

 煙を吐き出す音だけが、教室の空気を動かした。

 瞬の生み出した風は換気扇に吸い込まれ、どこかへ消えていく。



「お前はどうしたいんだよ」


「……えぇぇ」



 どうしたいかなんて、どうしたらいいかなんて。

 それを聞きに来たのに。



「め……目立たず……波風立てず……でも、なんかこう……」



 手に残る感触を、握り潰して。

 心は独り言のように、言葉を絞り出した。



「誰かを傷つけず……できれば、ほんのちょっと……なにかの役に立てれば、いいかもです」


「じゃあそれで」



 瞬は半ば吐き捨てるように言うと、煙草を放り投げて機材室のドアを開けた。

 ガタガタッという異音が、廊下の風と共に騒がしく入ってくる。


 なんとか言葉にできた気持ちを反芻しながら、瞬の背中を目で追った。



「あっ、烟山(けぶやま)先生、心ちゃん見ませんでした?」


「見てないっすよ村崎(むらさき)先生。ウンコじゃないですか?」



 あまりにも適当にはぐらかしながら、瞬の姿が消えた。

 ひとり残された心は、機材室に微かに残る煙草の煙をひとつにまとめると、そっとセーラー服のポケットに入れた。



 なんとなく──御守り代わりに。

 

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