第七話 恩義を返す
イツワリの影法師、その拳が、ぼくの腹を貫いている。
美叶木さんの言ったとおりの怪力。
けれど、ここでぼくを狙ったのは大きなミスだ。
……いや、もっと正直に言えば、狙わざるを得なかった、というところだろう。
なにせわざわざ、ぼくは彼女を庇うように立ちはだかったのだから。
「あああああああああああああああああ……!」
絶叫した美叶木さんが、携帯を投げ捨て影法師へと飛びかかる。
その手には、スポーツバッグから抜き放たれた裁ちばさみが握られており。
〝おまじない〟が生み出した影は、ぼくからひょいっと離れて、美叶木さんを迎撃する。
刺しに来た裁ちばさみを頭で受けて、そのまま微動だにせず、美叶木さんを殴りつけ、吹き飛ばす。
「ぎっ」
彼女の手から離れる裁ちばさみ。
影は、吸血鬼の少女を追い立てるように、歩き出す。
そこに、強い意志のようなものは感じられない。
機械的な、プログラムのような正確さだけがある。
……本来なら気持ちよく、べらべらと弁舌を重ねて、相手の注意を惹きつけて美叶木さんを援護してやりたいところだけれど、お腹に穴が空いているので勘弁願おう。
ぼくは吸血鬼のように頑丈でも、回復力に秀でているわけでもないのだから。
さて、影法師はぼくを狙わざるを得なかった。
なぜか。
こいつが美叶木夜目だからだ。
なにを言っているのかという話になるのはわかっている。
ぼくとて全ての物証を積み上げたわけではない。
曖昧な推論の綱渡りをしているだけだ。
嗚呼、ダメだ、身体から力が抜けて、ベチャリと地面に倒れる。
「影の分際でぇえええええええ」
鬼気迫る形相で、死闘を演じている美叶木さんの姿が目に入る。
彼女の右手が吹き飛び、影法師の左足がへし折れる。
だが、次の瞬間には両者とも復活。
いや、やや影法師の方が一瞬早く、振り抜かれた左足が、美叶木さんの側頭部へと直撃。
彼女は盛大に吹き飛ばされる。
身動きの取れないぼくに出来るのは、推論を重ねることだけ。
あるいは、視界の端に落ちているぼくの携帯端末を、ちょっと操作してやることだけだった。
推論。
なぜ影法師は、美叶木さんに学園生活を強要したか。
そんなもの決まっている。
それが、美叶木母の祈りだからだ。
病弱な我が子に、せめて学園生活を最後まで送らせてやりたい。
そのぐらいのことは、母親なら考えるだろう。
別に間違っていてもいい。
重要なのは、結果としてそれ以外の全て、学生としての美叶木夜目のリソースが余ってしまったことだ。
知っての通り、美叶木さんは吸血鬼になった。
なってしまった。
これにより、おまじないは上手く行かなかった。
その余剰の力が溢れだしたもの、本来なら美叶木母が帰ってきて欲しかったもの、招き寄せたかったもの。
それこそが、あの影法師の正体。
つまり、この怪異の名前は。
「ドッペルゲンガー」
出逢えば死ぬ、二重写しの影。
いま、美叶木さんと殺し合いをしているのも、そのへんが理由だろう……たぶん。
いやホント、格好が付かないのだけど、ぼくに確証はない。
あくまで影法師は学生以外の彼女だと当たりを付けて、机上の空論をぶん回しているだけなのだ。
ひょっとするとぜんぜん見当違いのことを言っているのかもと思わなくもない。
まさに、死ぬ間際の譫言というわけだ。
けれど、こう考えれば得心がいく。
影法師は学生以外の美叶木夜目――普通に生活し、普通に生きて、普通に家で暮らしていた姿なのだと。
だから、美叶木さん本人が、影法師のテリトリーを侵すと襲いかかる。
何故って、決まっている。
「いまのままがいい」
それが、美叶木夜目の願いなのだから。
変わってしまうことを、彼女は誰よりも怖れているのだから。
翻って、ぼくを狙わざるを得なかった理由も自明になる。
このまま鶴屋恩義を野放しにすれば、美叶木さんの意思を無視して美叶木母へ直談判を迫るかも知れない。
それは、ドッペルゲンガーの世界が、美叶木さんの〝いま〟が、崩壊してしまうことを意味する。
そう、影にとっても美叶木さんにとっても望まないことだったわけだ。
そりゃあ、真っ先に排除されるだろう。
これが、一定の根拠としてぼくが提示できる全て。
身を挺してまで得ることが出来た情報の限り。
「くそっ、くそっ、くそっ――私みたいに、振る舞うな……!」
霞みはじめた視界の中で、美叶木さんとドッペルゲンガーの戦いは激化する。
疾走する吸血鬼と影。
そのフォームは、鏡写しのように相似形で。
ああ、と。
ぼくは自らの推論の不足を悟る。
ドッペルゲンガーは、美叶木さんだ。
あれは、美叶木夜目の過去そのものなんだ。
美叶木母に呼ばれ、死者となった美叶木さんを拒絶する、生きていた頃の彼女の残滓そのもの。
いまのままがいいと縋る美叶木さんに対するカウンター。
そんなもの、反発しない方がおかしい。
美叶木夜目の抱える葛藤……いや、美叶木家自体が持つ問題の表出なのだから。
であるなら、どちらにしろ鶴屋恩義は邪魔だっただろう、佳かったこの部分の推測は外れなくて。
「ぎっ」
脳みそが、推理に使う少ない血流を使い潰し。
強い眠気に襲われはじめた頃、美叶木さんは影法師からフルボッコにされていた。
壁にめりこんだ状態で、殴る蹴るの防戦一方。
美叶木さんの言っていた通り、実力の開きは間違いない。
彼女の人生そのものが殴りかかってきているのだ、そりゃあ圧倒的にもなる。
「だけど、さ。ドッペルゲンガー」
美叶木さんは、一歩を踏み出したぜ?
過去じゃなく、未来を向いたんだ。
「ああああああああああああああああああああああああ!!!!」
彼女が叫ぶ。
雄叫びを上げる。
どうしようもなく、狂おしいぐらいに絶叫する。
だから――届いた。
ずっと、隔絶されていたものに。
見向きもしてくれなかったひとへ。
祈りが。
「夜目……?」
ガチャリと、音を立てて開かれる。
美叶木家の入り口のドアが。




