第三話 願いを叶える〝おまじない〟
ぎちぎちぎちぎち……と、異音が響いた。
爪を食む音。
美叶木さんが、親指の爪を噛んでいる。
「おまじない、おまじない、おまじない……」
歯が噛めば爪は折れ、割砕かれて地に落ちて、そのときにはもう元の長さまで再生している。
目前の吸血鬼は、再生と破壊を繰り返す。
……まるで、それが自意識を保つために必要な儀式だというかのように。
「おまえ」
ピタリと、美叶木さんが爪を噛むのをやめた。
そうして、こちらを睨む。
凶相。
ひとつ答弁を間違えば、今度こそ敵対すると言わんばかりの圧力。
「おまじないの、何を知ってるの?」
「……知っていることは、三つだけだよ」
「度し難いにもほどがある。いいわ、どうせ信じるなんて出来ないし、聞かせなさいよ、判断材料ぐらいにはしてあげる。まさか、ここに来てだんまりでもないんでしょ?」
「そこに異論はないけどね。ただ」
ぼくは周囲を見渡す。
「校舎の前でいつまでも、ってのは、ちょっとよくないんじゃないかな」
「私と噂になるのが気に食わないって?」
「逆だよ、ぼくと噂になるのは、不本意だろう?」
「……及第点以下、赤点以上ってことにしといてあげる。行きましょう」
さっさと歩き出す彼女。
どこへ行くかなんて、当然教えてくれない。
それでもあとを追うしかないぼくは、連想ゲームで一つのことを思い出す。
「そういえば、美叶木さんは誰かに追われているんじゃなかったっけ?」
大丈夫なのだろうか、こんな大手を振って学外を歩いて。
そんなことを言外に含めて訊ねれば、彼女は小さくため息を吐き、
「学生をやってるうちは、大丈夫よ。あれは、そこを逸脱すると襲ってくるの。まあ、見えてないんでしょうね。おまえたちと同じよ」
どういう意味だろうかと考える前に、彼女が進んでいる方向から解ることがあった。
「ひょっとして、自宅へ?」
「そこまで調べてるわけ? マジでゲロゲロって感じだわ」
「君の友達に教えて貰ったんだ」
「友達、友達ね」
今度は大きなため息を吐き。
立ち止まって、こちらを振り返って。
ぼくの恩人は、こう訊ねてきたのだった。
「ねぇ、友達って、死んでも友達?」
§§
「おまじないについて、わかっていることは3つだ」
ぼくは立てた指を折りながら、説明をしていく。
「ひとつ、願いを叶える。ふたつ、叶えた結果、怪異が生まれる。みっつ、このおまじないをばら撒いているやつがいる。美叶木さん、きみは、なにかを願ったのかい? おまじないを見つけて、それに願いを託した。だから吸血鬼になってしまった?」
彼女は答えない。
答えないことが、雄弁な答えになっている。
美叶木夜目は、なにも願ってはいない。
すくなくとも、〝おまじない〟に対して、なんら願望を有していない……ように思う。
さすがにわからない。
ただ、推論を立てることは可能だ。
「きみは願わなかったんじゃないか? 願わず、望まず、ただ……死んだ」
「悪趣味」
笑った、少女が。
あんなにも嫌悪感をこちらへ向けていた彼女が、ただ困ったように。
「調べ上げたことで相手を追い詰めていいのは、物語の名探偵と警察だけよ」
「……ごめん。ただ、ぼくは恩義を返したい。きみが現状、吸血鬼になったことに困っているというのなら」
「そこじゃないと言っている」
冷たく。
突き放すように。
直前の笑みさえ消して。
氷のような表情で、彼女は言い放つ。
「私は困ってない。今の状況に満足すらしている。けれどね、おまえ」
歩みを再開しながら。
吸血鬼の少女は、諦観を吐き出す。
「私以外は、そうじゃなかった」
眼前に、一軒の家屋が見えてきた。
豪邸だ。
美叶木家。
美叶木夜目の生家にして、一帯でも有数のお金持ち。
そして。
「だって、家族はおかしくなっちゃったんだもん。私、家に帰れないのよ?」
少女が門扉を潜ろうとする。
途端にバチリと音がして、彼女は弾き飛ばされた。
その手が、真っ赤に腫れ上がり、ゆっくりと再生する。
ぼくは、ようやく現状を理解できてきた。
美叶木夜目が抱えている問題、それは。
「きみは……いや、きみの家族は、まさか美叶木さんのことがわからないのか?」
「おまえが言ったんじゃない」
吸血鬼が、鼻で笑う。
「私はとっくに死んでるの。愛娘の死を、家族が受け容れられるわけ、ないでしょ?」




