第二話 そこから一ヶ月経った
こちらが土下座している間に、美叶木さんは逃げ去ってしまった。
思うに、ぼく以外の誰かからも逃げている様子だったから、純粋な回避行動だろう。
ただ、翌日から彼女があからさまな壁を作ったことには、かなり困ってしまったというのが、本音である。
ぼくらは同じ学校に在籍しているから、話しかけようと思えばなんとかなる。
しかし、心理的障壁を立てられるとそうはいかない。
元より深窓の令嬢。
教室の奥でジッと参考書なり小説なりを熟読しているのが美叶木夜目という人物だ。
コミュニケーションを取れるのは、とくに仲の良い人物に限られる。
そして、ぼくは情けがないことに、そのひとりには数えられていない。
本当に不甲斐ない。
恩義を返すと言いながら、近づくことさえままならないのだから。
ただ、ようやく彼女を見つけたのだ。
そして、美叶木さんは明確に問題を抱えている。
手をこまねくなんてこと、できるわけがなかった。
なので、まずは彼女について、徹底的に調べ上げることにした。
いま、ぼくらは高校二年生だ。
受験を控えて勉強に勤しむ日々。
そんなものはすべて投げ捨て、ぼくはひたすら彼女の身辺調査を行った。
「どうかと思うなー、そーゆーの」
とは、美叶木さんの友人からの言葉だったけれど、ここは無視させて貰う。
恩返しは、ぼくの至上命令、主義信条だ。
……などと大言壮語を吐きながらも、彼女のことをよく知らなかったのには、事情がある。
恩義を返すべき相手、その人物のことを、ぼくはほとんど知らないのだ。
なんなら数日前まで、やや年上のお姉さんとまで考えていた。
まったくもって手痛い失策だ。
おかげで、同学年に目を向けることが出来ていなかった。
結果として美叶木さんがそうだったのだから、まさに灯台下暗しである。
さて、ひと月をかけて、彼女のことを調べた結果、幾つかの事実が浮上した。
あとはその意味を考え、行動に移すだけ。
だから、学校からの帰り道。
ぼくはいよいよ意を決して、美叶木さんへと、声をかける。
「話を、させてくれないかな?」
「――」
「待って、待って! 無言でスポーツバッグに手を差し込むのは無し! ここは学内でもないし、人の目に触れて困るのはきみだ!」
「ちっ」
露骨に不愉快そうな舌打ちを一つ。
彼女は作り笑いを浮かべる。
それはまるでお姫様のような……
「一昨日来なさい、鶴屋恩義。私はおまえに話してやることなんて、ひとつもないの」
その通りだろう。
正論だ。
けれど、彼女は会話に乗った。
ゆえに切り込む。
「家には長らく帰っていないみたいだね」
「……帰れないのよ。あー、マジで度し難い。おまえ、他人様の家庭事情に首突っ込んだら戦争でしょうが、もう少しデリカシーを持ちなさいよ」
私じゃなかったら裁ちばさみで腹をぶち抜かれてるわよ、と告げられるが。
彼女じゃなければ、裁ちばさみを常時携帯などしないだろう。
「生憎、恩返しが優先されてね」
「そもそも恩を売った覚えがないの、私は」
「ぼくにはある。ぼくは生きる意味をきみから貰った。でも、今それは重要なことじゃない」
「ハンっ! 生きる意味、ね」
彼女が、鼻で笑った。
皮肉げに。
自分のなにがわかるのかという顔で。
……そう、ぼくは全知全能じゃない。
だから、手元の材料から推測し、アクセスするしかないのだ、彼女の抱える問題に。
「きみは吸血鬼だ、違うかい美叶木さん。怪力を持ち、不死身で、古い伝承によれば太陽すら弱点になり得ない、真祖と呼ばれる強力な怪異」
「だったらどうしたっていうのよ、その怪力で引き裂かれたいとか――」
「きみ、死んでるよね?」
「――――」
終始勝ち気な様子だった彼女が。
不機嫌さを隠しもしなかった彼女が。
ピタリと、押し黙る。
「美叶木夜目という人間は、とっくに死んでいる。それが、君の抱えている本当に拙い問題なんじゃないかな?」
「だったら、なによ……おまえなんかに、なにが出来るって言うのっ」
声を荒らげる彼女へ。
ぼくは精一杯の誠意を込めて、告げた。
「恩返しさ。そして、約束を果たすこと」
さしあたっては。
「全ての元凶である、この街で流行っているあること。即ち――〝おまじない〟と向き合うことが出来る」




