第二話 人食い鮫サメVS吸血鬼
美叶木夜目の反応は、あまりに迅速だった。
世を嫌い、人々を嫌い、自分を嫌い、死者であることを誤魔化すために深窓の令嬢を演じてきた彼女にとって、身を守るとは即ちそういうことだったのだろう。
敵対行動。
美叶木夜目は、これを赦さない。
スポーツバッグから流れるような動作で抜き取った裁ちばさみが、矢のような速度でサメへと投擲される。
吸血鬼の膂力で放たれる、必殺の一撃。
まっとうな生物なら回避不能のそれは。
しかし、サメが潜水――いや、道路に潜ってしまうことで、回避された。
ガツン! と音を立ててアスファルトにめりこむ裁ちばさみ。
子細を見届けて、美叶木さんは頷く。
「回収してくる」
「駄目だ」
慌てて、握ったままだった彼女の手を引っ張り、踏み出しかけていた足を白線へと戻させる。
彼女は小首を傾ぎ、何事かと考えた結果、「ああ」と手を打って見せた。
そうして、呆然としている親友。
つまり家入さんの肩を叩くと、こう告げる。
「なんか、白線から出ると死ぬみたいね」
「どういう理屈なのそれ!?」
軽いパニックを起こす家入さんだったが、〝おまじない〟なんて毎度理不尽なのだから真面目に考えても仕方がない。
とはいえ、ある程度、そこにはルールがあって、理屈がある。
今回は、おそらく白線から降りると死ぬという、その手の遊びが元になっているのだろう。
もしくはもっと別の理屈があるかも知れない。
背びれが現れる前後に起きたこと。
なにか、あっただろうか……。
辺りが暗くなって、ぼくらは変わらず騒いでいて。
ピンとこないまま、背びれを見る。
道路をすいすいと泳ぐ三角形のそれは、浮いては沈み、沈んでは浮いてを繰り返していた。
とくに、影が濃い場所では深く潜っているようにみえる。
海の色と同じ、ということなのだろうか。
日差しが届かない深度は暗く見える。
サメの巨体が十二分に潜める場所は、影が濃いと考えられる?
……駄目だ、判断材料が足りない。
どちらにしろ、サメは立ち去る様子はなく、こちらの周囲をぐるぐると回っている。
襲いかかってくる気満々だ。
「私、てっきり〝おまじない〟は願いを叶えるものだと思っていたわ」
美叶木さんの疑問は、おそらく正しい。
「基本的にはそうだと思う。ただ、願いというよりは望みを形にするという方が、いくらか事実に即しているかも」
「望み、ね」
だとしたら、この〝おまじない〟を使っている相手は、人間嫌いか何か? と美叶木さんはせせら笑った。
あるいは自嘲だったのかも知れない。
「同族嫌悪は後にしてもらって、ちょっとあたしは真面目に生き延びたいんでぇ」
ようやく状況に頭が追いついてきたらしい家入さんが、的を射たことを言う。
そう、まずは生存こそが肝要だ。
「ふたりとも慎重に。様子を見て、対策を立てよう。とりあえず、セーフゾーンである白線から離れないようにして」
「いいえ、生温いわ恩義ちゃん。あっちは私に、この私に敵対行動を取ったのだから」
諫めようとか、反論しようとか、そういった一切が思い浮かぶよりも早く。
美叶木さんは、行動に移っていた。
「まずは、ぶん殴る」
自ら白線より降りる彼女。
「私の親友たちを危険に合わせたあれを、ちょっと許せないもの」
啖呵を切ったのとほぼ同時に、美叶木さんの足下のアスファルトが隆起。
道路を突き破って、巨大なサメが真上へと飛び出す!
「美叶木っちが、食べられちゃった!?」
「いや!」
絶望に顔を覆う家入さん。
けれどぼくの目は、状況をまっとうに捉えていた。
「掴まえた」
美叶木さんは無事だった。
巨大な顎を広げたサメの口腔に、両手を突っ張るようにして、呑み込まれるのを防いでいたのだ。
それどころか、彼女は攻勢に打って出る。
サメの顎を、吸血鬼の怪力で引きちぎろうとしているのだ。
ミチリミチリと音を立てるサメの口腔。
だが、サメもなすがままになってはいない。
空中で身を捻る。
ただそれだけで、吸血鬼と人食い鮫の位置が入れ替わる。
そう、落下する。
美叶木さんを、下にして!
「迂闊」
今度こそ自嘲する彼女。
このままだと、美叶木さんは道路へ叩きつけられ、そのままサメに呑み込まれてしまうだろう。
それが解ったとき。
いや、もっと早い段階で。
ぼくは、地を蹴っていた。
美叶木さんは吸血鬼だ。
肉体が損傷しようが死なない。
だからなんだ? 友達が傷つくのを見るのが嬉しいわけないだろ!
「鶴屋くん!」
家入さんの警告。
白線から降りたぼくを、上空のサメが餌と見做す。
美叶木さんごとぼくを呑み込もうと、体勢を微調整、真上から人食い鮫が落ちてくる。
「馬鹿、恩義ちゃん逃げなさいっ」
彼女の命令は、とても聞けなかった。
大質量が、ぼくへと降り注ぐ!
反射の世界だった。
決して、頭で考えてその通りに動いて間に合う状況ではなく。
そもそもぼくは考え無しだった。
ただ、せめて美叶木さんをサメから取り戻そうとがむしゃらに飛び出しただけで――
カッと、視界が焼けた。
目が眩む。
太陽? このタイミングで日差しが?
最悪の中でぼくに出来たこと。
それは、闇雲に回し蹴りを振り抜くことだった。
なにかが足に当たる衝撃。
「ぎゃー!」
めちゃくちゃ変な悲鳴。
ガツンと大顎が閉じる音。
そして――来るはずの、衝撃と痛みが来ない。
蹴りを放った反動で、転んでしまい慌てて跳ね起きる。
回復した視界が捉えたのは、
「きゅー……」
白線の上で折り重なるようにして倒れている美叶木さんと家入さん。
あとは、地べたの上でのたうち回るサメが。
どろどろと融けるようにして姿を消していく光景だった。
§§
「影鰐じゃないかと思うんだ」
サメの妖怪のひとつに、そんな名前のものがいる。
この妖怪が、人の影に触れると、その部分を囓り取られてしまうとか、死んでしまうとか言われている。
これが〝おまじない〟によって拡大解釈され、影の中を自由に動く代わりに、日光に照らされると消えてしまうという性質を獲得したんではなかろうか?
ドッペルゲンガー然り、まくらがえし然り、何よりぼくら吸血鬼然り、〝おまじない〟を経由して産み出される怪異には、どうも伝え聞く話とは別の性質があるように思える。
そういう説明を、美叶木さんたちにしたところ。
「正座」
「……はい」
と、地面に座らされることになった。
残念でもなく当然である。
なにせぼくは、あの目が眩んだ窮地において、どうやら美叶木さんを蹴飛ばしてしまったらしい。
彼女はぼくより格上の吸血鬼だし、なにかあっても大丈夫だろうという反射的な行動だったけど、彼女は怒っていた。
家入さんも、怒っていた。
なにせ、跳んできた美叶木さんを受け止めて潰される羽目に陥ったからである。
「なにか弁明が、ある?」
「……せめて白線があるほうに蹴るべきだと思い」
「はぁ。解ってない」
「うん、これは解ってないね」
ボッロボロに言われてるね、さっきから!?
自業自得だし仕方ないけれど、二人してため息を吐かれるとちょっと堪えるよ!?
なんて言い出しそうになったときだ。
「馬鹿ね」
美叶木さんが、ぼくの頬を包むように撫でた。
「おまえは、本当に愚かよ、恩義ちゃん」
直前の怒りをあらわにした様子とは打って変わって優しげに。
壊れ物でも扱うような手つきで。
「おまえに、一つ訊ねます」
「いいけど……」
「私が死ねと言ったら、死ぬ?」
「そんなわけないよ」
ぼくだって生きているほうがいい。
「じゃあ」
彼女が。
美叶木夜目が。
真っ直ぐに、逃げることを許さず、ぼくの両肩に手を置いて、問う。
「そうしないと、私や家入ちゃんが死ぬとしたら、どう?」
ぼくは。
咄嗟に、答えられなかった。
そして、それは何より雄弁な回答になってしまう。
美叶木さんは大きな大きなため息を一ついて。
「さっきのこともそう。おまえは容易く、危険に身をさらす。私の直情とは違って、考えた末にね」
「…………それは」
「いい加減、語って見せなさい、鶴屋恩義。おまえは――私の何を、そこまで神聖視しているわけ?」




