第六話 親友であるために
結局のところ、ぼくらは消しゴムに対してまったく手が出せなかった。
〝おまじない〟を打ち消したり、除去する方法はなかったのである。
なにせ、消しゴムを壊してしまったら、もしかすれば美叶木さんの記憶も壊れてしまうかも知れない。
そういう懸念がある以上は、これ以上使用しないのが一番だと考えたのだ。
というわけで、消しゴムは美叶木さんの手に渡り、厳重に保管されることとなった。
この〝おまじない〟から、どんな怪異が生まれていたのか、ぼくは知らない。
無理矢理に想像するなら、まくらがえしと呼ばれる妖怪だろうか?
一晩寝るたびに記憶へ消しゴムをかけていた何者かはいたのだろうが、それが世に出てくることは最早ないのだ。
「でも、あたしは謝らないよ」
八方手を尽くしても、美叶木さんの記憶は戻らなかったが。
だからといって、家入さんは謝罪をしない。
そして、美叶木さんもまた、これを責めはしなかった。
「とはいえ、私も怒っているわ。ケーキとか奢りなさいよ、高いやつ。ドーナツ食べ放題でもいいわ」
「美叶木っちは本当にドーナツ無限に食べるじゃん! あたし嫌だよ、太った深窓の令嬢なんて!」
「なんらかのハラスメントでしょその発言。いいのよ、ドーナツは穴が開いてるからゼロカロリーなの。あと、いまだから白状するけど、私は吸血鬼になっていて、どれだけ食べても太らない」
「はぁ!? 吸血鬼? なにそれー!?」
互いに臆面もなく、少しの陰りもなく言葉を交わす彼女たち。
とはいえ、それ以前にぼくらにはやるべきことがあった。
記憶が消えたことで、シフトに盛大な穴を開けてしまった喫茶店。
すなわち美叶木さんの勤め先へ、謝罪へ向かうことだ。
……まさか、彼女が携帯端末を未だに持っていないことでこんな悲劇が起きるとは、誰も予想が付かなかっただろう。
さて、喫茶店へ行くと、なぜか混みに混んでいた。
ひとり忙しく立ち回る店主の目がぼくらを捉えると、ぴかりと光る。
「働いていって、くれるね……?」
「有無を言わせるつもりがない……! あ、待ちなさい家入ちゃん、貴女も一緒に働くのよ、親友でしょ!」
「親友って言葉が軽いよー!」
というわけで、泣きが入りつつも、二人はこき使われることとなり。
「完璧だ……」
きゃるーんとしたウェイトレス姿のふたりを前にして、ぼくは感動を覚えながらケーキを食べていた。
もちろん支払いは自腹である。
それにしても、美叶木さんは当然として、家入さんも相当ウェイトレスの格好が似合う。
スレンダータイプの吸血鬼少女とは違い、家入メガネっ娘さんの体付きはメリハリがきいている。
そっと押し上げられるエプロンドレスが、なんとも言えない風情をぼくに与えてくれた。
うーん、紅茶が美味い。
「彼だけ一人勝ちしてるのは納得いかないなー」
「一時のことよ。いずれ鶴屋恩義も馬車馬のように働く日が来るに違いないの。というか、私がそうさせます」
などというふたりの言葉は、じつに耳当たりがよかった。
さてはて、そんなこんなでバイトに明け暮れる横で、ぼくらはもうひとつの問題にも直面していた。
つまり、美叶木さんの授業内容の遅れである。
「消せる記憶を選べなかったわけ?」
「そんな便利な〝おまじない〟だったら、とっくにあたしの計画は成就してたって」
「それもそうね……」
全般的にここ数ヵ月の記憶がない美叶木さんは、当然学生の本分である勉学の内容も忘れてしまっている。
これを補わないことには、今後の生活に差し支えが出る。
「待ちなさい……私は、この証明問題をすらすら解いていたというの? 小論文はともかく、古文の形容詞活用表が体感として納得いかないのは何故……? え? マジでこれを暗記できていたわけ、私は?」
と、すでに困り切っている美叶木さん。
これで学力が低下しようものなら、進学や就職にだって影響が出かねない。
「私の過失じゃないのに……」
「それは、本当にそうだね……」
まったく同情を禁じ得ない。
いまのところは深窓の令嬢という演技力でなにも解っていないのを誤魔化しているが、いつまで続くか解らない。
なので抜本的な解決。
家入さんとぼくで家庭教師となって、彼女へ授業を行うことになった。
「……これが罪滅ぼしになるかは解らないけどさー、でも親友として見過ごせないもんね」
「元はといえば貴女が……いいえ、いいわ。たっぷり優しく丁寧に教えて頂戴。出来るでしょう、親友?」
「もちろん!」
「鶴屋恩義、おまえも手伝って」
直々に頼まれて否やが言えるわけもなく、バイト帰りや休日、ぼくらは幾度も勉強会を催した。
ときには喫茶店で勉強したりもして。
その日も、そんな何気ない日常の一ページだったと思う。
喫茶店から帰る途中、美叶木さんがこう言った。
「もう少し復習がしたいの。夜、来られる?」
我が家には、家族で一緒に夕飯をとるというルールがある。
だから、そのあと抜け出してこられるか、というお誘いだった。
普通に考えれば、学生の夜更かしは推奨されない。
治安以前に、身体の発達に悪影響だからだ。
けれど、ぼくも彼女も吸血鬼だ。
睡眠のほとんどを踏み倒すことが出来る。
つまり、これはぼくらふたりだけが出来る勉強会ということで。
「……だったら、お邪魔させて貰うよ」
ちょっとだけ考えて、ぼくは彼女の申し出を受け容れた。
心の隅っこにあったわだかまり。
失われてしまった美叶木夜目の記憶と。
ぼく自身が、決着を付けるために。




