第五話 親友としての願い
放課後、美叶木さんのおんぼろアパート。
そこに、三名が顔を揃えていた。
ぼく、鶴屋恩義。
家主である美叶木夜目。
そして、家入蜜璃。
三人がちゃぶ台を囲んでいた。
全員の前には、コップに入った水道水。
美叶木さんはそれをぐいっと呷り。
家入さんはメガネをカチャリと押し上げると、大きくため息を吐く。
「あのねぇ、美叶木っち。女の子なら、もう少し防犯意識がしっかりしてるところに住んだほうがいいよ……?」
「この場面でド正論をぶちかましてくる貴女の胆力に恐れ入るわ」
互いに表情も変えず応酬をはじめる二人。
「それで、二人であたしを囲んで棒で叩こうって算段だったり?」
「馬鹿言いなさい。親友にそんな狼藉働くわけないでしょ。でも、この家のこと忘れてたのはだいぶ困ったわ。家賃とか引き落とされ続けるんだから……」
「それはメンゴ、マジメンゴ」
ペコペコと頭を下げる家入さんを見て、美叶木さんはため息を吐いた。
「そもそも、貴女がおまじないを信じるなんて思わなかった。そんなもので、人が変わる、変えられるなんて判断しないと思っていたもの」
「……だね。美叶木っちが正しい。でも、あたしほら……あなたの、親友のつもりだから」
出来ることは、全部したかったのだと、彼女は微笑んだ。
「中学の想い出は消してない。それは、この消しゴムでも消せない」
メガネの彼女が取りだしたのは、美叶木さんの名前が書かれた消しゴム。
その全体の三分の一ほどが、すでに消滅していた。
「なにより、消したくないんだよね」
「なぜ」
「……知らないと思うけど、あたしはずっと見てた」
中学の頃から、二人は友達だったらしい。
けれど今とは違う形のつながり方をしていたのだという。
「美叶木っちは深窓の令嬢じゃなかったじゃん。あの頃は孤高の姫だった。女子陸上部のエース。長距離の星」
「過ぎた話よ、脳みそ筋肉だっただけだから」
「ずっと見てた。放課後、校庭を走るあなたの姿を」
遠い、遠い眼差しをする家入さん。
その瞳は、美叶木さんを通じて、過去へ。
「ぐるぐると、ぐるぐると、同じところを、景色も変わらない校庭を、何周も何十周も走っているのを見て、何が楽しいんだろうって思ってたよ。さっさとやめちゃえばいいのにとも思った。だって、美叶木っちは頭もよかったし、普通に勉強した方が未来がひらけただろうし……でも、違ったね」
「ええ」
「あなたは、本当に休まなかった。来る日も来る日も、雨の日も晴れの日も風が強いも霰が降る日も、ずっと走り続けてさ。あたしは、羨ましかったもん。そんなに必死になれるものがあるんだって。こんなにも人間って頑張れるんだって。実際、駅伝でも賞を持ち帰ってたでしょ?」
「駅伝はチーム戦ね。なので私ひとりの努力は無関係よ」
「無関係なんかじゃないよ」
ほんの少し、強く。
家入さんが、踏み込む。
「対等になりたかったわけ。見下したくもなく、見上げたくもなかったよ」
「…………」
「だから、一緒の高校に入れたとき、すっごく嬉しかった。けど、あなたは身体を壊して。そこでね、補佐をしようって決めたの。対等であり続けるために。だって、美叶木っちはそんなになっても、あの頃と何も変わらなかったから」
「けれど」
「うん。変わっちゃったよね、いまは。弱くなった。あなたのまわりを、そこの鶴屋くんが嗅ぎ回り始めて、あたしも、遅ればせながら調べたって訳。そしたら……死んじゃってたじゃん!」
声を荒らげる彼女。
両目には、大粒の涙が溜まり、今にも決壊しそうで。
「助けを求めてよ! 親友でしょ!? なんとかしてってムチャブリしてよ!」
「悪かったわね。虚勢を張るのが美叶木夜目の流儀なのよ」
「……いいよ、終わったことだし。それに、いまは美叶木っちを生き返らせる方法がある」
「なるほど、それで貴女みたいな論理の塊が〝おまじない〟を信じた訳か」
「うん。あとは、残りの記憶を消すだけ。死んだ日より遡れば、ただの健康な人間として、美叶木っちは生きられる」
……そうはいかない。
美叶木夜目は吸血鬼だ。
とっくに、ひととしての生活を送れなくなっている。
それを家入さんは知らない。
だったら、これを暴露してしまえば、思いとどまってくれるか?
……いや、この選択をすべきはぼくじゃない。
美叶木さん本人だ。
だから、彼女を見遣る。
美叶木夜目は、ゆっくりと頷いた。
「家入ちゃん。家入蜜璃ちゃん」
「…………」
「貴女なら、私が一番嫌うこと、解ってるでしょ?」
「…………」
「勝手に決めるな。私のことは、私が決める。感情も、記憶も、想い出も、人生も。出来ないことも、失うものも、この手から滑り落ちてしまったものへの妄念も、寂しさも。私が、決める。それはね、家入ちゃん。私が、責任を負うということよ」
「だったら!」
ぎしりと床が鳴った。
畳を蹴って、家入さんが立ち上がったからだ。
彼女はぼくを見下ろし、糾弾するように叫ぶ。
「こいつは、なんなのかなっ? 恩義だとかなんだとか知らないけど、こいつだって、自分の都合で美叶木っちに干渉してる! おまけに、きっと酷いこともした!」
「……誤解を解くつもりはないわ。そんなの鶴屋恩義の自業自得だし」
え?
「そして家入ちゃんの言っていることも正論。この男は基本的にデリカシーがないし、自分の都合と感情で私に介入してくる」
いや、その、それは……。
「でもね」
すっと。
美叶木さんも立ち上がる。
家入さんと視線の高さを合わせて。
一度深呼吸をして、向き合う。
「この男は、私の尊厳を踏みにじることはしない。ときどきキモいし、余計な気遣いをするし、暴走なんてしょっちゅうだけど、それでも――私の選択を、尊重する」
「美叶木さん……ぼくは」
「黙ってなさい鶴屋恩義、いまいいところなのよ」
……さっきからちょっと、ぼくへの当たりが強すぎないか?
まあ、大事なところなのは本当だから口を閉ざすけれども。
改めて、仕切り直すように美叶木さんは、家入さんを見遣る。
真っ直ぐに。
ただただ愚直に。
その眼差しに、家入さんは、
「っ」
耐えられず、目をそらしてしまう。
小さな息をついて、美叶木さんが切り出した。
「そう、後ろめたくはあるのね。私の記憶を消したこと。一度決めたことをなかったことにしたこと。それ自体は悪いと思っている?」
「……だって、あたしは」
「ええ、貴女はそういうひと。ずっと私を支えてくれた。高校に入って、病気がちになった私が深窓の令嬢を装うようになっても、合わせてくれた。信じてもらえないかも知れないけれど、私、とてもとても感謝しているの」
だから、と。
明確に言葉を句切り。
美叶木夜目は、ハッキリと告げる。
「これ以上、私を消すのは、やめてくれる?」
「…………」
「解っていないみたいだから言葉にしておくけれど、記憶が消えるのって、結構イヤな体験なのよ。そして、消える記憶には、貴女のことも混じっているの」
「――!」
家入さんが顔を跳ね上げ、唖然と目を見開く。
「やっぱり気が付いてなかった。そういうの含めて、私メチャ許せないのよ。なので、ここでキッパリ言っておくから」
「なに、を?」
「家入ちゃん、まだ、私と親友でいてくれる……?」
それは、たぶん殺し文句だったのだろう。
親友を名乗る彼女にとって、何より重要な言葉だったに違いない。
だって。
「……っ」
決壊したんだ。
家入蜜璃の涙腺が。
ボタボタと、ボタボタと、彼女の瞳から涙がこぼれ落ちる。
ブルブルと震え、その場に座り込んでしまう彼女。
美叶木さんはゆっくりと歩み寄り、彼女を優しく抱きしめた。
「家入ちゃん」
「……ごめんな、さいっ。あたしはっ」
「よく言えました。そして、続きは結構よ。今後、行動で示して頂戴、私の親友?」
「っ、っ」
ガクガクと頷く家入さん。
かくして、美叶木夜目記憶喪失事件は、一つの決着を見た。
だから、あとは。
「ところで鶴屋恩義」
「なんだい?」
「私、一人暮らししてたのよね?」
「うん」
「どうやって、生計を立てていたのかしら……」
「あ」
……彼女が無断欠勤した喫茶店への謝罪というタスクが、ぼくらの前には残されていたのだった。




