第四話 ゼロからではなく
昼休みの空き教室。
ぼくは、肌身離さず持っていたビー玉を、取りだした。
それを見て、彼女。
美叶木さんは、しばらく考え込む。
ゆっくりと、彼女の双眸が上がった。
そこにあったのは、彼女らしからぬ迷いの色で。
「……なんでこんなものを持ってるか、正直覚えていないわけ」
申し訳そうでもなく。
ただありのままを語る調子で、美叶木さんは言う。
「けれどね、ポケットに入っていたこのビー玉を見てから、ずっと不思議な気持ちでいる。楽しいような、くすぐったいような、切ないような……まあ、言語化できない以上なにを言ってもおまえには通じないでしょうけど、これだけは話しておきたかったの。私は、おまえ、鶴屋恩義を見ると、少しだけ嫌な気分になる」
当然だろう、昨日はあんな真似をしてしまった。
いきなり吸血鬼ですといって、小指の爪を引きちぎって、誰も知らないはずの彼女の秘密に無粋にも触れた。
嫌われて当然だ。
なのに。
「それよりたくさん、おまえの話を聞いてみたいという気持ちになった」
「……え?」
「私は自分が嫌いだし、世の中も嫌いだし、何もかもが嫌いだけど……それだけじゃないから。人間なんて、そんな簡単に割り切れるものでもないでしょ?」
まぁ、おまえは私が吸血鬼だって、知ってるみたいだけど。
美叶木さんはそう言って、ほんの少し、笑った。
「話を、してくれるのかい?」
「おまえがするの。場合によっては、私もする。なんと言えばいいのかしらね……妙に気になるのよ、おまえ」
「それは」
「あー、恋愛脳禁止。そういうのじゃなくて……いや、これはそういう? とにかく! 話をしましょう」
願ってもない機会だった。
けれど、何から切り出せばいいだろうか?
彼女との思い出も、何もかも消えてしまったのなら。
――違う。
そうじゃない。
ゼロになったからこそ。
もう一度、はじめるんだ。
「知らないだろうことを、ひとつだけ話させて欲しい」
「なに」
「ぼくは、君に恩義を受けた。一度目は小さい頃。二回目は、ぼくが吸血鬼になる前後」
「…………」
「でも、それとは関係なく、ぼくは美叶木さんと」
彼女と、どうしたいのだろう?
具体的なことは何も思いつかない。
ただ、あのとき。
マジックアワーを見ながら。
ふたりぼっちになって欲しいと願われたことが、心に深く刺さって抜けなくて。
「……友達に、なりたいんだ。困ったことがあったら、いつでも手助けできる。そんな関係に」
「キモ」
一蹴された。
思わず俯いてしまう。
解っていたことだ。
彼女はコミュニケーション強者だが、けっして群れることが好きなわけではない。
ぼくは、また間違えて。
「でも、伝わった」
頬に、なにかが当たった。
彼女の手が。
特有の、温度のないひんやりとしたそれが、添えられて。
顔を上げさせられる。
美叶木夜目は、勝ち気な表情を浮かべていた。
「幼稚園の頃、お父さんが本棚を作ってくれた。上手じゃなくて、ハンマーを何度も手にぶつけて血豆を造りながら。私はそれが嬉しくて、誇らしかった。こんなにも誰かのために一生懸命なんだぞって」
「美叶木さん?」
「小学校の頃、お母さんみたいに料理をつくれるようになりたくて、勝手に冷蔵庫の中身をぶちまけてフライパンで焼いて怒られた。卵の殻は入ってるし、野菜は煮えてないし、肉は生だし、私は火傷してたし。でも、お母さんはそれをちゃんと料理に変えてくれた。翌日、卵焼きの作りかたも教えてくれたの」
「それは」
「教えてあげる。私のこと。苦しかったことも、哀しかったことも。だから、おまえも語りなさい。恥ずかしいことも、嬉しいことも、全部。そうしたら」
ちょっとだけ視線を逸らし。
はにかむようにして。
美叶木さんは、ぼくへと手を差し伸べる。
「友達、なってあげても、いいから」
その手を取る。
今一度差しだされた手を、今度こそ離さないように。
「ありがとう」
§§
「私が、よりにもよって、眷属を作った!? ~~~~っ!」
顔を真っ赤にして、机に突っ伏す美叶木さん。
呻くような声音で、彼女は自嘲と諦観を垂れ流しはじめる。
「ふふ……あれだけ一人でいい、一人がいい、人間は孤高こそ完成形という思想を持っていた私が眷属を作るだなんて……惨めったらしくしがみついて、孤独に耐えられなかったなんて……ふふ……おまえなんて嫌いよ、鶴屋恩義!」
「八つ当たり!?」
「そう、八つ当たり。自分のことが一番嫌い。けどね、眷属を作るという選択をしたことだけは、褒めてやりたいわ。これは、たぶん重要なことよ」
「どういう意味だい?」
本当に解らず訊ね返すと、美叶木さんは机から起き上がり背筋を伸ばした。
「私は、自分が死んだことを覚えているのに、実家に帰ろうとした」
「……! そうか。かつての美叶木さんなら」
「そんな真似、するはずがない。眷属を作ったことが、影響していると私は踏んでいるわ」
互いの中を流れる同じ血液が、情報を保管しているのではないか?
彼女はそんな仮説を立てた。
「まるで、奇跡みたいだ……」
「必然よ。美叶木夜目は運命になんて頼らない。そして、おまえから聞いた限り、私の記憶を消しているのは家入ちゃんで間違いない。問題は」
そう、ここで最大の難問が立ち上がる。
家入蜜璃は、決して悪意から記憶を消しているわけではない、ということだ。
「控えめに言って、私と彼女は親友よ。マヴ。結構小さい頃からの仲。勘違いした程度で、私が一番嫌がることをやっては来ない。つまり、理由があるはず」
「美叶木さんにも、解らない?」
「……解ってても言葉にしたくないことってあるわよね」
「そこを曲げて、お願いするよ」
盛大にため息を吐き。
吸血鬼の少女は。
こう結論づけた。
「私が死んだから。あの娘は、逆説的に私を死ぬ前に戻そうとしているの」




