第二話 深窓の令嬢とその友人
走った、走った。
じくじくと痛む胸を押さえて、ぼくはあちこちを走り回った。
美叶木夜目のことを知るために。
図らずも、彼女が吸血鬼だと知ったとき、ひと月も調査に明け暮れたように。
今度は、もっと急いで、慌てながら。
がむしゃらに調べて回った。
石にかじりつくような聞き込みを続けた結果、ある事実に行き当たる。
美叶木夜目は、逆行している。
死者であった、あの頃に。
理由は不明だ。
現段階で、どうしてこうなったのかが思いつかない。
ざまぁない。
あれだけ必死に調べても、こんなことすらぼくは解らないのだ。
くらりと目眩がして、自分の机に突っ伏す。
気が付けば放課後になっていた。
精神面と肉体面、両方から来る疲労は、限界が近いことを示している。
だって、もしかしなくとも、これは〝おまじない〟だ。
ぼくが生まれた最初に経験した〝おまじない〟に近いもの。
死者のことを忘れてしまう儀式。
……解っている。この歳にまでなれば、死者を弔うためにあえて明るく振る舞ったり、故人を偲ぶ以外の見送りかたがあるのだと理解はしている。
けれど、怖い。
記憶が消えることは。
誰かに忘れ去られてしまうことは。
怖い。
「このままじゃ、美叶木さんは」
彼女は。
子どものぼくが危惧したように。
「――あの娘は元通りになるかも知れないねー」
背後から、声をかけられた。
不意打ちに、震える。
反射的に振り返れば、そこにクラスメートがいた。
夕暮れ時が迫る教室にぼくと、その人だけがいる。
眼鏡をかけた、ショートカットの女の子。
たしか。
「家入、さん?」
「家入蜜璃。あんまり話したこと、なかったかな?」
彼女は、ずっと机に視線を落としている。
ノートへ消しゴムをかけている。
ただ、そのノートは真っ白で。
ゴリゴリ、ゴリゴリと、ただ消しゴムが往復する。
「家入さんは、美叶木さんの友達だよね」
事実、よく話を聞かせてもらっていた。
ぼくが聞き込みまがいのことをしたとき、注意していたのだって彼女だ。
至って常識的で、美叶木さんの善き友人。
「そう、あたしと美叶木っちは親友なのだ。だから、わかるよ」
彼女の口元が、弧を描く。
「美叶木っちは、以前の通りになる。元通りになって……もっとさかのぼるかも」
緊張が、億劫さを消し飛ばした。
疲れたとか、解らないとか、四の五の言っている場合ではない。
このひとは。
家入蜜璃は、何かを知っている。
ぼくは慎重に言葉を選び、問い掛ける。
「さかのぼるって、いうのは?」
「一晩ごとに過去へ戻るってこと。記憶がねー」
彼女は顔を上げない。
ただノートと向き合っている。
ゴリゴリ、ゴリゴリ。
消しゴムが擦れる音。
「そしたら――あんたみたいなのに脅される前に、美叶木っちに戻れる」
「脅すだって?」
ぼくが、彼女を?
ありえないと驚けば。
ようやく彼女が、顔を上げる。
「ひとの周囲を嗅ぎ回っておいて、よくもまあヌケヌケと言えるよね」
「……それは、素直に謝らなくちゃいけないことだ」
「美叶木っちは、変わっちゃった。前はあんなにお嬢様だったのに、それより前はもっとずっと活発だったのに……いまは、クラスから浮き始めちゃってる。全部、あんたのせいだ、鶴屋くん」
「…………」
「高そうなネックレスを差しださせているのだって見た。なに、貢がせてる? それとも盗ませた? どんな弱みを握ったわけ?」
「違う、断じてぼくはそんなこと!」
「なにより!」
こちらの言葉を遮るほど大きな声で。
家入さんは、叫んだ。
「あの娘の家を無茶苦茶にしたのも、あんたかな!?」
……知っているのだ、家入蜜璃は。
美叶木夜目の家族が、すでに崩壊してしまっていることを。
だが、それならば解るはずだ。
理解できないわけがない。
「このまま美叶木さんの記憶がさかのぼるっていうなら」
「そうだね、あの娘は家に帰る。一人暮らしなんてやめて、幸せな場所へ」
ふざけるなっ。
そんな怒声を、グッと呑み込む。
ぼくは見てきた、美叶木夜目がどんな地獄をみてきたか。
死者として、どう扱われてきたか。
彼女はやっと、やっと過去と決別し、今を生きようとしている。
それを失わせるなんて――
「あたしはね、知ってるんだ。友達だから。親友だから」
ゴリ、ゴリ、ゴリ……。
消しゴムが止まる。
眼鏡の少女が、顔を上げる。
家入さんの懐かしむような眼差しが、ぼくなど見ていな視線が、どこか遠くを見て。
「家族と一緒にいる頃の美叶木っちは、幸せそうだった。だから、あたしが元に戻す。この」
彼女が掲げたもの。
それは消しゴムだった。
ただし、表面に深く『美叶木夜目』と書かれたもので――。
「嫌なことを消す〝おまじない〟で。だからさ、鶴屋くん」
ゾッとするほど冷たい眼差しで。
少女が、警告を発する。
「あの娘が幸せになるの、妨げないでくれるかなぁ……?」




