第五章 母の裏切りと、桐子の半生
その夜、三好は伯父の家を訪ねた。
「伯父さん、これを見てください」
書類を突きつけられた伯父は、長い沈黙のあとで、ようやく重い口を開いた。
「……お前にはずっと、黙っておくつもりだった」
「教えてください。母は、何をしていたんです」
「その前に、お前は『M資金』というものを、どこまで知っている」
「噂程度です。戦時中に旧軍が海外から持ち帰った、莫大な隠し財産だとか」
伯父は頷いた。
「そうだ。表向きはそう言われている。金塊やダイヤモンド、外国の債券——戦争が終わる間際、旧軍の一部の人間が国外に流出させまいと隠し持った資産だ、とな。戦後の混乱の中で、それを『経済復興のために役立てる』という名目で、密かに運用しようとした連中がいた」
「それが、組織の始まりですか」
「ああ。だが実際には、復興のためなどという建前は早々に消えた。政治家、官僚、闇の金融屋——そういう連中が、その存在すら定かでない資産の噂を担保に、互いを脅し合い、利用し合いながら、私腹を肥やす道具に変えていったんだ。『M資金詐欺』という言葉を聞いたことがあるだろう。世間には、それが単なる詐欺話として広まっている」
「詐欺、ですか」
「表向きはな。だが、その噂の奥に、本当に隠された資産が存在した。それを知る、ごく一部の人間たちが作った組織——それが、お前が今属している場所の、そもそもの成り立ちだ」
三好は絶句した。伯父の口から語られる組織の姿が、自分がこれまで「貿易会社の裏の顔」としか捉えていなかった世界の、もっと深い根の部分を暴き出していた。
「桐子は東北の生まれでな。貧しい家だった。終戦後、上京して女中奉公をしながら、夜学に通っていた。そこで出会ったのが、お前の実の父親だ」
「父は」
「ある省庁に出入りする、小さな会社の経理係だった。その男の口利きで、桐子はある『特別な仕事』を手伝うようになった。それが、お前も知る通り、この隠し資産の運用に関わる仕事だった」
「最初はただの使い走りだったそうだ。だが、そのうちに、あの世界を回している人間たちの本性を、桐子は見抜くようになった」
「本性?」
「国家だの経済の再建だのと言いながら、結局は互いの利権を分け合ってるだけの、卑小な人間たちだ、とな」
伯父はそこで一度、言葉を切った。
「お前の実の父親は、ある不正の露見の際に、証拠隠滅の巻き添えで死んだ。事故として処理されたが、桐子はそこに組織の意思を感じ取っていた」
「使い捨てにされた、と」
「ああ。それから桐子は変わった。表向きは何も知らない女のふりをしながら、裏では長い年月をかけて、奴らの隠し資産のありかを少しずつ突き止めていった」
「その最中に、俺が生まれたと」
伯父は目を伏せた。
「愛情と、憎しみと、復讐と。桐子の中では、その三つがどうしようもなく絡まり合っていた。俺には、最後まで、その糸をほどいてやることができなかった」
三好は書類を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
「じゃあ、この背中の入れ墨も」
「息子を愛して彫らせたものじゃない。桐子が突き止めた、本物のM資金の隠し場所を示す座標を、自分の身代わりとして、お前に背負わせたものだ」
三好は言葉を失った。皮肉なことに、母がかつて命がけで潜り込んだ世界と、今の自分が生きる世界は、同じ根から伸びた、同じ木の枝だったのだ。
その夜、下宿の呼び鈴が鳴った。届いたのは翠からの速達だった。
「三好さんへ。誰かに見張られている気がします。念のため、これを預けます――翠」
封筒の中には、短い手紙と、見慣れない鍵が一本、入っていた。
——この速達を最後に、翠との連絡は途絶える。鍵が開けるものの正体を、三好はまだ知らない。




