俺の気持ちが一方通行すぎる(彼目線)
机の上に購買で買ってきたパンを広げ、俺と春翔は一つずつ手に取る。
春翔は焼きそばを口に含み、俺はチョココロネにかぶりつく。
「春翔、最近美弥ちゃんとどう? うまくやれている?」
「うまくやれていないことはないが……強いて言えば、最近ろくに会えていないな」
「なんで? 忙しいの?」
「お互いにな。美弥、受験勉強している俺を気遣ってくれたのか、あまり誘ってこないんだ」
「へー、いい子だね」
昔付き合ってきた元カノたちを思い返す。
(隙あればデートに行きたがるのが多かったなー……あと、俺からブランド物を送られるのを期待してくるのも)
別に遊びに行くのはいいんだが、プレゼントを要求してくるのはちょっとなー。
俺、一応学生だし。
「美弥ちゃんから誘いにくいなら、春翔から誘えば? 今週末とか」
「そう思って聞いてみたが、今週はダメらしい。先約があるんだと」
「先約? カレシよりも優先するような?」
「お前の恋愛観はどうなっているんだ? 恋人をどうでもいいように言う時もあれば、恋愛至上主義みたいなことも言ってきて、時々混乱するぞ」
俺としては特におかしなことを言っているつもりはないけどな。
男女の付き合い自体は、お互いが楽しければいいと思っているし、付き合っている間は相手を最優先にしたいのも、まだ本当だ。
(彩陽とは偽の付き合いだから、このケースには当てはまらないけどね)
「今週末は宇佐野さんの誕生日らしい。美弥はそのお祝いをする約束をしているんだと」
「へー、そうなんだ……」
(ん?)
「……誕生日? 誰の?」
「宇佐野さんの」
「宇佐野って……ゆうちゃんのこと?」
「そうだが」
頭がしばらくフリーズし、数秒後、やっと回り始めた。
「それって、何日のことを言っているの?」
「……確か、土曜日だったな」
想像よりも間近に迫っていることに、俺は動転してしまい、机の上に突っ伏す。
「……なんで早く教えてくれなかったの」
「すまん。知っていると思って。お前は俺より宇佐野さんと親しいから」
「そうだけど……そうであってほしいけど」
(ゆうちゃんって、自分から誕生日をアピールしてくる子じゃないんだよね)
そんな控え目なところもかわいいけどさ。
誕生日くらいはもっと主張してほしいんだよね。
こっちはわがままを聞く準備はいつでもできているのに。
むしろ、わがままを聞いてあげたいくらいなのに。
「誕生日プレゼントは何にしたほうがいいと思う?」
「知らん。宇佐野さんとは部活以外のことを話したことがない」
「だよね。知っている。むしろ話していたら恨む」
「お前な……」
俺は残りのパンを飲み込みながら、スマホで検索エンジンをかける。
(女性 誕生日 プレゼント……)
いろんなサイトを調べるも、一番に出てくるのは高価なカバンや化粧品ばかり。
(どれもピンと来ないんだよね……ゆうちゃん、高い物を贈っても気後れしそう)
「颯真、お前……」
「ん? なに?」
「宇佐野さんのことになると、人が変わるな。別人を見ているみたいだ」
「それって褒めているの? 貶しているの?」
「褒めているさ」
春翔はくすっと笑い、見守る母のような慈しみに満ちた眼差しで見つめてくる。
「何、その目。気持ち悪い」
「失敬な。俺は友人がやっとまともな男女関係を築こうとしたことに喜んでいるだけだ」
「あっ、そっ。良かったね」
春翔とのじゃれ合いをやめ、スマホに視線を戻す。
(せめてゆうちゃんの好きなものがわかればなー)
「なー、颯真。お前、やっぱり本気で宇佐野さんのこと――」
「――それ以上は言わないで」
俺に遮られ、春翔はすぐ口を噤む。
「……すまなかった。余計なお世話だったな。精々嫌われないように頑張れよ」
「言われなくても分かっているよ」
(本当はとっくに気づいている……でもこの感情に、最初に名前をつけるなら、ゆうちゃんとがいい。ゆうちゃん以外の人に、踏み込んでほしくない)
* * *
放課後、ゆうちゃんとのふたりきりの時間で、俺はゆうちゃんを膝に乗せながら、ゲームをしようと提案した。
「サイコロゲームだ。一人ずつサイコロを振って、数字が大きい方が小さい方に一つ質問できるってルール」
ゲームでなら、さりげなくゆうちゃんのことを知れるし、ゆうちゃんにも俺のことを知ってもらえる。
まさに一石二鳥だ!
「……いいんですけど。何かおかしなことを企んでいませんか?」
「企んでない企んでない。ただ、ゆうちゃんと遊びたいって思っただけだよ。はい、どうぞ」
ゆうちゃんと俺は順番にスマホのサイコロを回し、質問しあった。
「ゆうちゃん、いつまでバスケ部のマネージャーをやっているの?」
「何ですか? その質問。私を退部させないようにしたのは先輩じゃないですか」
「そうだけどさ。俺、もう引退したし。ゆうちゃんが他の子の面倒を見る必要なくない? もうやめれば?」
(特にあの鈴木っていう一年坊とか、ゆうちゃんが少しでも優しくしたら、すぐ犬のように尻尾振ってついてきそうで、邪魔。どうにかして遠ざけたい)
そんな念を、ゆうちゃんに飛ばす。
「……部活に美弥がいますし、案外楽しくやらせてもらってますので、しばらくはやめないかと」
「ふーん」
失敗だった。
なぜかゆうちゃんは退部する気がない。
(やっぱりあの時、ゆうちゃんを引き留めたのは失敗だったな。ゆうちゃんのかわいさは俺だけ知っていればいいのに)
不満を覚えつつも、ゆうちゃんが俺に質問してきた。
「そうですね……先輩って、今まで何人とお付き合いしたのですか?」
「何人? さあ、何人だろう。数えたことないな」
「……それ、今までの彼女さんに失礼じゃないですか?」
「そう? 俺は誰とも楽しくやれているつもりなんだけど」
「……ソウデスカ」
ゆうちゃんは以前からやたらと俺のカノジョのことを気にしてくる。
(気にしなくていいって言ったのになー)
多分、彼女は健全な男女関係に夢を見ているのだろう。
(そんな初心なところもかわいいけど)
その後、俺たちは10回ほどゲームを繰り返し、ゆうちゃんの好みについていろいろ聞き出せた。
アクセサリーには興味がありそうなこと、好きな色、モチーフ、行きたい場所……
ゆうちゃんにもいっぱい質問されたけど、そのほとんどが俺の恋愛経験についてだった。
(もっと俺自身に興味を持ってほしいのに)
どこまでも一線を引かれているようで、もどかしい。
(でも、色々聞き出せたし、収穫はあったかな)
下校時間になり、俺は仕方なくゆうちゃんから手を放す。
部室を出る前に、俺は最後の悪あがきをする。
「そうだ、ゆうちゃん。今度の土曜日、時間ある?」
「土曜日? ……確か、美弥と約束が――」
(だよね、知ってた)
「じゃあ、日曜日は?」
「その日は家族と……」
「……どこか時間、作れない?」
いつもなら、また誘えばいいって引き下がるけど、誕生日は直接祝いたい。
その気持ちに駆られ、俺はしつこく食い下がる。
しかし、ゆうちゃんはやっぱり頭を横に振る。
「すみません」
「そう……時間があったら連絡して。一時間だけでもいいから」
「……? はい」
せめて一時間でも、会えるなら会いたい。
プレゼントも、祝いの言葉も直接言いたい。
俺は心の中で、連絡が来ることを祈った。
* * *
しかし次の日、俺はまだ机に突っ伏していた。
「颯真、どうした? 暗いぞ?」
春翔は俺の前の席に座り、話しかけてきた。
「……ゆうちゃんにプレゼント買いたいのに、買う時間がない」
「ないことはないだろう。放課後は?」
「無理」
(放課後の時間は、全部ゆうちゃんにあげている。そこだけは割けない)
「通販も考えたけど。直接見て選びたいし」
「お前も難儀だな」
「俺が2人いたら良かったのに……」
(いや、よくないな。俺が2人いると、ゆうちゃんの奪い合いになる)
春翔に悩みを吐いていると、横から人影が差し込んできた。
「話は聞かせてもらったわ!」
頭を上げると、彩陽が手を組んで立っていた。
「颯真がご執心のあの子に誕生日プレゼントを買ってあげたいんでしょう! この私が手伝ってあげる!」
「いや、プレゼント選びは自分でできるから。ないのは買う時間で――」
「買うなら土曜日に買えばいいでしょう? 相手はその日予定があるから、すぐ渡せるわけじゃないし」
「そうだけどさ……」
何の通知もないスマホを覗き込む。
(せめて会えるかもしれないって、期待させてよ……)
「じゃあ、決まりね! 日頃のお礼も兼ねて、この私が最高のプレゼントを選んであげる!」
「良かったな、颯真。プレゼント用意できるようだぞ」
「……もう好きにして」
呑気なことを言っている野次馬2人に、俺は大きなため息をつく。
* * *
土曜日当日、俺は昼から彩陽とショッピングモールを回っていた。
最初に入ったのはアパレル店。
「確か颯真が気になっているあの子はかわいい系だったよね! 一瞬しか見たことないけど」
「……まあ、そうだけど?」
「じゃあ、こういうトップスとか、スカートとか、小物とかは似合いそう?」
彩陽は一気にいろんな物を持ってきた。
フリルの入ったシャツ、短めのスカート、ブランドもののような高級感を持ったカバン……
俺はそのどれにもピンとこなかった。
(ゆうちゃんならどれも似合うだろうけど……もっとこう――清純派の服のほうが着てくれそう)
フリルの入ったシャツを着るには結構勇気がいるそうだし。
カバンなら普段使いできるけど、好みが結構分かれる。
(ていうか、そのスカート短すぎ! ゆうちゃんの足を知らん誰かに見られたくないんだけど)
「あっ、待って! このトップスかわいい! 試着してくる!」
「俺のプレゼント選びしに来たんじゃないのか?」
「そうだけど! いい出会いがあれば見逃してはいけないわ!」
そう言って、彩陽は試着室に駆け込んだ。
俺はそれを待っている間、適当に店を見回していた。
(……本来こういうとこ、ゆうちゃんと一緒に来たいんだよね)
自分がゆうちゃんと一緒に服を選ぶところを想像する。
それだけで、にやけそうになる。
(でも、毎回ゆうちゃんを誘っても、何かしら予定があるんだよね)
本当は俺と出かけたくないかな、と思ったことがある。
でも、本当にそうなら悲しすぎるから、すぐ考えないようにする。
「お待たせ!」
「……服は?」
「なんか想像と違ったから、戻しておいた。さあ、次へ行こう!」
忙しなく動き回る彩陽に、俺は必死について行った。
「次はクレーンゲームよ!」
「お前が遊びたいだけじゃん」
「そうとも言う」
俺らはゲームセンターを一周する。
「ほら、これとかどう? かわいいじゃん」
彩陽は狼のぬいぐるみを指差す。
「……かわいいけど、俺はどちらかというと――」
俺は隣にある、三毛猫のぬいぐるみを覗く。
そしてそれを抱きしめるゆうちゃんの姿を想像する。
(想像するだけで癒されるけど、ゆうちゃんのかわいさ強すぎない?)
「善は急げ、早速やってみよう!」
彩陽はコインをゲーム台に入れ、必死にその中身を覗き込む。
(絶対自分が遊びたいだけだろうな……)
彼女に呆れつつ、俺は三毛猫のぬいぐるみが入っているゲーム台にコインを入れる。
ぼんやりとボタンを押し、クレーンを操作する。
(……あっ、落ちた)
やはりというべきか、クレーンがぬいぐるみを掴み上げるまではできたけど、すぐ元あった位置に落ちてしまった。
「あー、落ちた!! もう、ここまでかー」
彩陽も取れなかったらしく、悔しく地団駄を踏む。
「やっぱりクレーンゲームは現実じゃないわ! 次よ次!」
「最初からわかってたことだろう……」
この調子で、俺らはショッピングモールを隅々まで歩き回り、いろんな店を回ったが、結局ピンとくるプレゼントが見つけられなかった。
「最後はここね」
最後に入ったのは、手作りアクセサリーが売っている小さなポップアップストア。
そこには控え目で目立たないけど、かわいらしいアクセサリーがたくさん並べられていた。
俺は彩陽の後ろについて行きながら、並べられた商品を眺める。
(そういえばゆうちゃん、自分のことアクセサリーが似合わないって言ってたっけ)
確かにゆうちゃんのかわいさは控えめだから、全身アクセサリーだらけっていうのは想像できない。
(だけど、どこか一箇所だけ、小さいものをつければ映えそう)
そう思った俺は、思わずイヤリングに目を向ける。
小さくてかわいい、息を吹きかけるとすぐ赤くなる耳。
その柔らかい耳たぶに――
そう思って、1番に目に入ったイヤリングを持ち上げる。
小さくて、遠くからは気づかないけど、ピンクの石を中心に置いた花のモチーフがあしらわれている。
(これ、ゆうちゃんに似合いそう……)
「颯真、どう? いいのあった? ……へー、いいじゃん。いいセンスしているね」
「ん……お会計してくる」
俺は躊躇いなくそのイヤリングを買い、丁寧に包装してもらってから、持ってきたバッグに入れた。
「目標達成だね!」
「うん……一応礼を言っておく。ありがとう」
「いいってことよ。さ、駅に向かいましょう」
プレゼントを買うという目標を達成し、俺らは帰途につこうと、駅に向かった。
多くの人が交差する中、俺はぼんやりと人々の髪に目を向けた。
(ここでゆうちゃんに偶然、出会わせたりして)
ありえない話ではない。
ゆうちゃんは美弥ちゃんと約束したって言ってたけど、その約束はなんなのか俺は知らない。
そんな淡い期待を浮かべながら、辺りを観察していると……
――亜麻色の髪が視界に入った。
「っ!」
心臓が一瞬、大きく跳ね上がった。
「どうしたの? 颯真……えっ、ちょっと!?」
俺は彩陽に呼ばれたにもかかわらず、いつの間にか走り出していた。
(ゆうちゃん……ゆうちゃん、ゆうちゃんっ!)
近づくにつれ、鼓動が速くなり、緊張する気持ちが抑えられなくなる。
そしてその顔が見える距離まで来ると、その視線の先にもう1人の姿があることがわかった。
(――は?)
その姿は、俺が想像していた美弥ちゃんのものではなく、男の姿だった。
(……なんで)
さっきまで踊り狂っていた心臓が、一気に石のように沈む。
「ちょっと、1人で行かないでよ――」
隣に彩陽が来たにもかかわらず、俺はその2人から目を離すことができなかった。
「――ゆうちゃん?」
彼女が聞こえるように、彼女の名前を呼ぶ。
彼女はゆっくりと振り返る。
(お願い……人違いであってくれ――)
しかし期待とは裏腹に、振り返った彼女のわずかに垂れている目元、小さな鼻と口、すべての特徴が、彼女がゆうちゃんであることを指し示す。
(ああ、やっぱりゆうちゃんと)
失望と苛立ちがぐつぐつと湧き上がる。
「颯真? どうしたの――」
「なんでゆうちゃんがここにいるかな?」
俺は周りの声に耳を貸す余裕すらなく、ゆうちゃんのすぐ前まで詰める。
「……先輩に関係ないかと」
ゆうちゃんは俺の視線を避けるように、頭を下げる。
俺は隣にいる鈴木くんを睨む。
「……友達の女の子と出かけるって聞いたはずなんだけど。なんでその一年と一緒にいるの?」
「……先輩に関係ないです」
「……そう。答えてくれないんだね」
(なんで……なんでなんでなんでなんで――)
俺は衝動に駆られ、ゆうちゃんの手首を掴んで、歩き出した。
「ちょっ、先輩!?」
「黙ってついてきて」
* * *
公園の奥に進み、ここなら誰もいないだろうと思って、ゆうちゃんを掴む手を緩めると――
「放して、ください!」
ゆうちゃんは俺の手を力強く振り払った。しかし、俺が手を緩めるのを予想できなかったのか、彼女は後ろに倒れそうになった。
俺は急いで、その背中に手を回し、抱き寄せた。
「あ、ありがとうござい……ございます」
「……」
抱き寄せていることをいいことに、俺はまじまじと彼女の格好を観察する。
(水色のワンピース……ゆうちゃん、こんなにかわいい服を持っているんだね。知らなかった。髪型もいつもと違うし、化粧も手が込んでいる)
いつもならかわいいと、抱きついてしまいたいのに、今はただただ腹立たしい。
「……そろそろ放してもらって――」
「今日、かわいいね。おしゃれしたの?」
俺はゆうちゃんに意識してもらえるように、腰あたりをなぞる。もう片手で、ゆうちゃんの髪を撫でる。
「いつもと違う髪型に……ワンピース。学校でしかゆうちゃんに会えないから、私服のゆうちゃんがこんなにかわいいなんて、知らなかったなー」
(当たり前だよね。ゆうちゃんと外で会ったことなんて、一度もなかったから)
彼女が、そうさせてくれなかった。
「ね、このかわいい格好は、あの一年のため? 俺とデートしてくれないのも、あの男とデートしたかったから?」
(俺とは頑なに出掛けてくれないのに、他の男とならいいんだ……むかつく)
「……最初は、本当に美弥と約束があって……美弥、急に来られなくなったから、それで――」
「じゃあ、なんで俺に教えなかったの? 言ったよね? 一時間だけでもいいから、教えてって。俺、今日はゆうちゃんと過ごしたかったけど」
(ゆうちゃんの誕生日、祝ってあげたかったのに。俺が、ゆうちゃんを喜ばせたかったのに。こんなかわいい格好だって、俺だけに見せてほしかったのに)
一度蓋を開けた感情の箱から、中身がどんどん溢れていく。
今まで覆い隠していたゆうちゃんに対する不満を、彼女にぶつける。ただの八つ当たりだと、知りながら。
そうすると、ゆうちゃんの怯んでいる表情から、どんどん怒りが滲み出てきた。
「……なんでもいいんじゃないですか? 私は先輩のカノジョでも、なんでもないですから。先輩の言いなりになる筋合いはありません! 遊びたいなら、今からでもカノジョさんのところに戻った方がいいんじゃないですか?」
怒りを露わにしたゆうちゃんは、何度も『カノジョ』という言葉を繰り返す。
ゆうちゃんにとって、『カノジョ』じゃないという要素が、それだけ厚い壁になっているのだろう。
俺にとって、なんの意味もなさないにもかかわらず。
「またカノジョの話? ゆうちゃんもしつこいね。そんなにカノジョという肩書きが気になるの?」
「気になるって……普通、気にしますよね? だって、恋人でもない人に、ここまで距離が近いのはおかしいでしょう?」
「……わかった。ゆうちゃんがそう言うなら」
俺はスマホを取り出して、彩陽にかける。
通話はすぐ通じた。
「……あー、彩陽? 俺、颯真だけど」
『颯真? いまどこにいるの!? 一言もなく勝手に――』
「悪い、別れるわ。じゃ」
俺は彩陽の返事を待たずに、通話を切った。
「聞いた通り、別れたから。それでいい?」
(これで、俺らを隔てる壁はもうないでしょう)
「それでいいって……意味がわかりません。先輩は何がしたいんですか?」
「……わからない?」
こんなにわかりやすくしてあげているのに、未だにわかろうとしないゆうちゃんに我慢できず、俺は彼女をしっかりきつく抱き寄せたまま、顔を近づける。
「先輩、何を――」
「邪魔」
ゆうちゃんは手で顔を遮ることで俺を止めようとするが、その手は呆気なく俺に捕まれ、退かされた。
(ゆうちゃんがわかろうとしないんだから、いやでもわからせるしかないよね)
俺は強引に、ゆうちゃんと唇を重ねた。
「んっ!?」
「……ん……」
彼女の唇の柔らかい感触をむさぼるように、角度を変え、何度も重ねる。
「んっ、んん~!」
「んっ……ちょっと、大人しくして……んんっ」
ゆうちゃんは体をじたばたと動かし、抵抗する。
でもか弱いこの子では、俺から逃げることはできない。
(ゆうちゃん……ゆうちゃん、ゆうちゃんっ)
重ねた唇から感じるわずかな吐息さえ甘美に感じる。さっきまでの黒い感情が、徐々にかき消され、頭の中がこの子への欲望に染まっていく。
(もっと欲しい……ゆうちゃんっ――)
「……痛っ!」
突然、唇から鋭い痛みが伝わり、俺は思わず力を緩めた。
その隙をついて、ゆうちゃんは俺の腕の中から抜け出し、俺から距離を取る。
(ダメ、行かないで――)
体がさっきまでの甘い感覚を求め、手を伸ばす。
「ゆうちゃ――」
「先輩、本当に最低! もう二度と関わらないで!」
そう言って、ゆうちゃんは俺を睨んだ後、すぐ走り去った。
呆然と立ち尽くす俺を残して。
「……さ、いてい?」
言われた言葉に脳が拒絶し、真っ白に染まる。
でも、目の前に誰もいない事実が、嫌でもその言葉の意味を考えさせられた。
(俺、もしかして嫌われた? ゆうちゃんに?)
ゆうちゃんの鋭い眼差しが、脳の中で何度もよぎる。
(いやだ……いやだいやだいやだいやだ――)
俺はすぐスマホを取り出して、ゆうちゃんに何度も電話をかけ、メッセージを送る。
(お願い、ゆうちゃん……返事をして――)
しかしその夜、俺が送ったメッセージに、既読がつくことがなかった。




