先輩は私にだけ甘すぎる
あの最悪な誕生日から数日経ち、私は一度も室星先輩に会っていない。
いつも待ち合わせに使っていた部室にも行っていないし、遠目で見ただけですぐに隠れるようにこの場を去る。
幸い、先輩は目立つ人だから、近くにいるだけで周りがざわつく。おかげで、先回りして逃げるのは結構楽。
部活の時間に来られると、逃げるのは大変になるけど、その時は美弥に誤魔化してもらっている。
(なんだ、私……本気出せば、結構逃げられたじゃん)
今になってこんなことに気づき、今までは本気で先輩を拒絶できていなかったことに気がつく。
そして、そんな自分に失望する。
(結局私も、先輩に絡まれて、結構まんざらでもなかったじゃん)
やがて思考が負のスパイラルに陥っていく。
私が頭を抱えているのを見て、私に付き合って誰も来ない校舎の裏階段で昼ご飯を食べている美弥は、心配そうに私の顔を覗き込む。
「ねえ、そろそろ教えてよ。誕生日の日、何かあったの?」
「……ごめん、まだ気持ちの整理がついていないから、うまく話せる自信がない」
「そう?……あっ、もしかして鈴木くんに何かされた? あいつ、見かけによらず肉食だったり——」
「違うから! 隼人くんは普通にいい子だったから」
「ごめんごめん、冗談。うん? でも気まずくなっているのは室星先輩だよね? んー」
なんと言うことだ。私が曖昧に誤魔化すばかりに、隼人くんの知らないところで、名誉毀損に遭うどころだったなんて。
あのお出かけの後、幸いなことに隼人くんは普通に接してくれた。
少なからず気まずさが拭えないけど、そこは時間がどうにかしてくれるだろう。
そんな雑談をしながら、私と美弥はお弁当を平らげ、教室に戻って行った。
もう少しで教室に着く時、遠目から教室前が人だかりになっているのが見えた。
それだけで、何か起こっているのかわかった。
「美弥、私のお弁当箱、カバンに入れといてくれる? 私はトイレに行ってくる」
「えっ? う、うん、わかった」
私は手に持っていた弁当箱を美弥に押し付け、教室とは反対の方向へ走り去った。
トイレでスマホをいじりながら、時が過ぎるのを待つ。
(ていうか室星先輩、いつになったら諦めてくれるの? しつこいんだけど。暇なの? こんな時間があれば受験勉強でもすれば? 受験生でしょう?)
行き場のない怒りと呆れを、どう発散すべきか考えながら、予鈴が鳴るまで私はトイレから出ることはなかった。
* * *
部活の日、私と美弥は普段通り、体育館に物を運んでいた。
行く道の途中、誰かが私たちの前に立ちふさがった。
一瞬体が強張ったものの、すぐにその人は女の人だとわかった。
頭を上げてみると、どこか見覚えのある女子生徒が、私を睨んでいた。
「あんたが宇佐野優さん? ちょっと顔を貸してくれない?」
彼女は手を組み、体を大きく見せていた。
その後ろには同じく手を組んで、こっちを睨んでいる女子の二人組がいた。
私は緊張で息を呑む。
「……何のご用でしょうか?」
「分かっているんでしょう? 覚えていないとは言わせないよ」
私の前に立つ彼女は、威圧するように眉間に皺を寄せる。
私は彼女のことを思い返してみた。
(……そうだ、室星先輩のカノジョだ)
出かけたあの日も、この前の日も、私は数回彼女に会っている。
交流こそなかったが、私は彼女にずっと、申し訳なく思っていた。
「……せめて今持っている物を置いてからでいいですか? 美弥だけに任せるわけにはいかないので」
「……わかった。逃げないでね」
彼女の了承を得て、私はとりあえず持っているものを体育館に置いた。
体育館に出る前に、美弥は心配そうに『一緒に行こうか?』って聞いてきてくれたけど、私は首を横に振った。
(私がちゃんと、向き合わなきゃいけないから)
室星先輩の元カノであるあやひさんと、その友達の二人組について行き、裏庭の片隅までたどり着いた。
私は壁に寄りかかり、三人に囲まれた。
「ふーん、あんたが……颯真とね」
「……顔はかわいくなくもないけど」
「……初めてのタイプじゃない?」
なぜか三人はまじまじと私のあっちこっちを観察し、値踏みしている。
(なんで心地が悪い……いっそ怒ってくれた方が、まだやりやすい)
そっちから来なければ、こっちから行こうと、私は深く息を吸う。
「……あの! 先輩方は室星先輩の件で、私に尋ねた……ですよね?」
「そうだけど?」
あっさり認めたわりには、何か言ってくる気配がない。
戸惑いつつ、私は思いっきり頭を下げる。
「あの日、二人のデートを邪魔して、本当にすみませんでした!」
ハラハラしながら、彼女から叱責の言葉を待つ。
「やだ、なに? この子。すっごく丁寧!」
「こんなかわいい子に、颯真は手を出しているの?」
「なんで憎らしい男」
しかし、なぜか待っている反応と違い、私は戸惑いながら頭を上げる。
すると、あやひ先輩が私の右頬を思いっきりつねった。
「やだ、モチモチ!! かわいい!!」
「なにそれ、私にも触らせて!」
「私も、私も!」
両頬がつねられ、なぜか目の前の三人組はキャッキャと楽しそうにしていた。
「おうぉへあいえうが?」
「ん? なんか言った?」
三人がようやく私の頬をつねるのをやめ、私はもう一度言葉を繰り返す。
「怒ってないですか?」
「怒る? 何に?」
三人が目を大きく見開き、本気でわからないような表情を見せる。
「……あやひ先輩、室星先輩と付き合っているのに、私が室星先輩と距離が近いの……いやじゃないですか?」
ずっと考えていることを、私は躊躇いながら打ち明けた。
「別に。よくあることだし」
「よくあること!?」
あやひ先輩のあっさりとした態度に、度肝を抜かれてしまう。
同時に室星先輩のやばさを実感する。
「そうそう。うちらも面白半分で、颯真と遊んでいるとこあるよね」
「逆に驚いたわよ。あの颯真が、こんな大人しそうな子とつるんでいるなんて」
「そうそう。逆にあんた、颯真になんかされてない? あいつ、倫理観おかしいところがあるから」
怒られるどころか、心配までされてしまった。
室星先輩、本当にろくな人間関係を築いていないんだなと、心で思ってしまった。
「何かあったら言いなさい! 私たちが——」
あやひ先輩が私の肩を掴んだ、その時——
「ゆうちゃんに何をしているの!?」
室星先輩の声を聞いたのと同時に、私は強い力に引っ張られ、そのまま先輩の胸元に倒れ込んだ。
先輩は横から私に抱きつき、息が上がって、呼吸を繰り返すと共に胸が上下している。
(先輩の心臓の音が激しい……走ってきたのかな?)
「あら、颯真じゃん。どうしたの? こんなに急いで」
「……あやひが、この子を呼び出したって聞いたから……急いできた」
いつも余裕そうな先輩と違い、今の先輩は汗を流しながら、警戒心を剥き出しにしている。
正直すごく意外だ。
こんな余裕のない先輩は初めてだ。
「意外、颯真もそんなに慌てることがあるんだ」
「……悪い? ていうか、この子に何の用?」
先輩の私を抱く力が、わずかに強くなった。
「颯真が珍しく誰かにご執心だから、一度話してみたくて。ムカつく女なら懲らしめてやるって思ったんだけど、こんなかわいい子だったなんて。颯真にしてはいい目しているじゃん……食べちゃおかな?」
「あげないよ」
「うわ、まじでご執心じゃーん」
あやひ先輩たちにからかわれ、室星先輩は拗ねたように頬を膨らませていた。
そんな情けない先輩を見て、結構面白いと思った。
でも——
「室星先輩、放してください」
「……いやだ」
私は横目で先輩を睨む。でも先輩も譲る気はなく、抱く力を緩めない。
私は一回、ため息をつく。
「……とりあえず逃げないので、一旦放してください」
「……」
室星先輩は戸惑いながら私から手を放す。でも私に逃げられたくないのか、手首はがっつり掴まれていた。
(まあ……それでもいいか)
私はあやひ先輩に視線を向ける。
「あやひ先輩。私、思うんです。この人を甘やかしてしまったら、どんどん付け上がると」
私の突拍子のない発言に、この場にいる全員の頭にはてなが浮かび上がったのか、皆きょとんとした顔をしている。
「なので、カノジョがいるくせに、他の女子にちょっかいをかけた室星先輩は一回、痛い目に遭うべきです! あやひ先輩の手で!」
「えっ! ゆうちゃん、何言っちゃってるの!?」
慌てる室星先輩を横に、私の真っ直ぐな視線を受け止めたあやひ先輩は、どうやら私の考えに共感できたらしく、手の筋肉をほぐし始めた。
「そうね。あんたの言う通りだわ。颯真、歯を食いしばって!」
「は?……っ!」
室星先輩が素っ頓狂な声を上げたその瞬間、あやひ先輩は思いっきり平手打ちを食らわせた。
室星先輩が痛そうに頬を撫でているのとは対照的に、あやひ先輩はすっきりしたように笑った。
「ああー、すっきりした! その子に飽きられたくなければ、女遊びはやめなよ! あんたも、颯真にひどいことされたらいつでも言って! うちらが懲らしめてやるから」
あやひ先輩が私に向けてウィンクを飛ばした後、友達を連れてこの場を去った。
(嵐みたいな人たちだったな……)
「いってて……あやひのやつ、少しは手加減してよ」
「……あの、先輩。そろそろ放してほしいんですが……」
私が手を放してほしそうに、掴まれた手を振っていたら、突然その手が引っ張られ、私は先輩の懐に逆戻りした。
「あの、先輩、抱きしめてほしいんじゃなくて——」
「ダメ。放したらゆうちゃんに逃げられる……こっちはずっと会えてなくて、ゆうちゃん不足なんだ」
数日だけなのに、会えなかった反動か、私の背中に回された手はとても力強く、とても抜け出せる気がしない。
先輩は私の頭に頬を擦りつけて、息を深く吸う。
「……ああ、久しぶりの、ゆうちゃんの匂いだ。癒される……」
「あの、先輩、変態っぽいです」
(この人、自分がイケメンだから、なんでも許されるって思ってない???)
あやひ先輩と話せたことで、いろいろ腑に落ちたのか、私の頭で先輩に対する毒舌が止まらない。
「相変わらずゆうちゃんは俺だけ辛辣だよね。でも、それさえ今はかわいく思える」
「なぜですか!??? 放して!」
私は思いっきり、先輩の頬を両手で包み、遠ざける。
少し距離を取り、先輩の顔を見上げる。
彼の熱を孕んだ目は、真っ直ぐ私を捉えていた。
それが見えた瞬間、心がドキッと高鳴る。
(っ! ほだされてはダメ! ここははっきりしないと)
「先輩、ここではっきりしましょう! 先輩はいったい、私をどうしたいのですか?」
「どうしたいって?」
「それはっ……付き合いたいとか……そういうのです」
「ゆうちゃんと付き合うのは……いやだな」
「なっ!?」
(この人、散々私にあんなことをしておいて、気がないとか言わないよね???)
私はジロっと、先輩を睨む。
でも先輩の表情は、意外なことに追い詰められているように見えた。
「付き合ったら……いつか飽きて、別れるんでしょう。それなら、付き合わなくていい」
「……何ですか? その理由は?」
先輩に告げられた理由があまりにも難解で、私みたいな凡人は一生かかっても分かり合えないではないかと、一瞬思ってしまった。
「だって俺、女の子と付き合って、ほとんど3ヶ月で飽きているよ。長くても半年で別れている。付き合うって、そういうものでしょう?」
「……先輩のそれ、最低な考えですね」
私はもはやどこからツッコむべきか分からず、呆れた目で室星先輩を見る。
「俺、ゆうちゃんとは簡単に別れたくないから、付き合いたくない」
「……はああああ」
思わず長いため息をついてしまった。
でも仕方ない。目の前にいるこの人があまりにも、ふざけたことを言ったから。多分私じゃなくてもため息くらいはつく。
「……先輩、いいですか?」
私はもう一度先輩の頬を両手で包み、私と視線を合わせるように下げる。
「人は付き合ってもら、付き合っていなくても、嫌になったら離れていくものです」
「……ゆうちゃんも?」
「当たり前じゃないですか? この数日のことを何だと思っているんです?」
こう言った瞬間、先輩の目から悲しみが滲み、私を抱きしめる力が強くなった。
「いやだな……どうしたらゆうちゃんに飽きられない?」
(なんで私が先輩を気に入っているのが前提なのかは一旦置いといて……)
「そんなの先輩が考えてくださいよ。人間関係って、試行錯誤を繰り返すものですから」
「……そっか」
先輩が納得したようで、私はゆっくりと手を下す。
すると、片手が掴まれ、先輩の口元に運ばれる。
「……ん……」
「っ!? 先輩、何をっ——」
「ゆうちゃん、彼氏彼女っていう関係にこだわっていたよね。じゃあ、俺のカノジョになって? 後悔はさせないから」
「は、はあ!? いやっ、そんないきなり、言われても——」
「ゆうちゃん、キスされる度、耳まで真っ赤になるよね」
先輩は私の足に手を回し、私を持ち上げる。
顔の距離はぐっと近づき、先輩は私の耳元に息を吹き込みながら、口付けを落とす。
「~~っ!」
「絶対飽きさせないから……はいって言うまで、やめてあげないよ」
声なき悲鳴を上げる私に、先輩はあっちこっち音を立てて口付けを落とし、やがて唇に——
「んんっ~~」
「んっ……ゆうちゃん、どこもかしこも甘いね。俺、甘いの好きだから、飽きる気がしない」
そうして、先輩は宣言通り、私が頭を縦に振るまで、放してくれなかった。
* * *
部活後、私は一人、人気のない部室に踏み入れる。
中には先客が一人いて、彼は私の到来を待ちわびたように、手を広げる。
今日も私は、強引すぎる先輩の愛に溺れる。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
この物語を好きになってくれたら嬉しいです。
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後に颯真目線も執筆する予定です。
もし興味があれば、そちらも読んでください!




