第5話 結婚式前夜
「明日の結婚式の前に、本日の夜はクラリス様との食事が予定されています」
「でも何を話せばいいんだろう。よく分からないんだよなぁ」
レイは人族になって一週間ほど経っているが、人族としてシルヴィ以外の人族と会話したことはほぼない。シルヴィに小説由来の恋愛講座なるものを多少受けていたが、真に受けない方がいいことは魔王時代の経験で分かっていた。
「お茶会が中止になってしまったので、クラリス様のことを知る機会にしてみてはいかがでしょうか」
「それもそうだね。考えてみればクラリスのことは何も知らないや。守る相手のことを知っておいた方が何かあった時に動きやすいし。会うのも二回目? なのかな」
「私も結婚する前に伯爵と会ったのは数回でしたし、貴族の場合は珍しくないのだと思います」
「そうなんだ。今更だけど僕の話し方って問題ないのかな? 魔王のときは『余』とか『我』とか威厳をもって話してほしいってよく言われてたけど」
「そうですね……。むしろ人族としての方が違和感はないと思いますが、そもそも変えようと思って変えられるのですか?」
「染みついたものたし、魔王だった時もできなかったから難しいかもしれないけど……。まあ、このままでいいならそれが一番楽かな」
* * *
昼過ぎにサマルグ邸に到着したクラリスは、少し休息をとったあと、夕方になったころに別邸へと向かっていた。
(最悪……。出迎えもあの目が気持ち悪い伯爵だったし、結婚のことばかり考えていたけど今後はアレが義父になるのよね。アイツは何してるのよ。というか、夕食って聞いたのになんで私は建物の外に出ているわけ?)
言われるがままに一週間ほど慌ただしく過ごしていたクラリスは、へとへとになりながらもなんとかサマルグ邸に到着していたが、到着早々にサマルグ伯爵の下衆な視線を浴びてさらに疲弊していた。
夕食の誘いも断りたいくらいだったが、結婚前夜にする食事は貴族の儀礼的なものだと聞かされていたので、なんとか向かっていた。
案内された先は、クラリスの目線からすると、本邸とは比べるまでもない煌びやかさの欠片もない建物の、使用人の居室であろう一室で、そこには既にお茶を飲んでいるレイと、部屋の住人であろう、質素な服装ながら美しい女性が既に座っていた。
それを見て、クラリスは爆発した。
「ちょっとアンタどういうことよ! 結婚式の前日だって言うのに愛人を紹介して私を笑いたいわけ!? 幸せにするって言ったのは嘘だったのね! 浮気者!」
クラリスは部屋に入って扉が閉まるなり、レイを強く睨んだ。
「えーっと、愛人?」
「レイ様、愛人というのは結婚しているにもかかわらず、他に愛している相手のことです。私は純愛物の方が好みですが、人気のあるジャンルの一つと聞いています」
「あー、なるほどね。シルヴィは僕の母だよ」
「はい、クラリス様。レイ様の母をさせていただいております、シルヴィ・サマルグと申します。シルヴィとお呼びください」
「……はは? させていただいている?」
クラリスはその妙な言い回しで少し時間がかかったが、理解すると顔を真っ赤にした。
「ま、まぎらわしいのよ! 大体どこの世界に自分の母や義理の母を名前呼びする人がいるのよ!」
「お仕えする方のお相手であれば当然です。クラリス様はレイ様の奥様ですから」
「お、おくさま……」
「待ってシルヴィ、クラリスの言う通りかも」
「く、くらりす……」
シルヴィやレイの放つ単語にいちいちボディブローのようなダメージを受けるクラリス。
「僕は以前はシルヴィのことを母上と呼んでいたはず。それが人族の常識ということであればそうするべきだと思う」
「なるほど……。レイ様の仰る通りですね。そうであれば、レイ様もクラリス様も、私たち三人以外がいる場所では母と呼んでいただければ。この場ではぜひシルヴィと呼んでください」
「うん、そうするよ」
「えぇ……。なんで私まで……」
強い決心をしたように頷きあうレイとシルヴィに、しおしおになっていたクラリスは流されてしまった。
「というかアンタたち、シ、シルヴィとレ、レイはここにいるのよ。住んでる屋敷の方で夕食にすればよかったじゃない」
「え、僕たちはここに住んでるけど?」
「は? なんで──あ、ごめんなさい……」
クラリスは自分の家族のことを思い出した。クラリスは家族の中で居場所はなかったが、屋敷の中に自分の部屋はあった。部屋の外に出ることも許されていたし、外出はできなくても外から買い物をすることもできた。
でも、もっと扱いが酷ければどうなっていたか。屋敷を追い出され、貴族では考えられない粗末な部屋で過ごさざるを得なかったのではないか。サマルグ伯爵は碌な人間じゃないことをクラリスは感じ取っている。それくらいやっていてもおかしくはない。
レイとシルヴィは二人だったとはいえ、クラリスより不幸な目にあってきたのかもしれない。クラリスはそう思ったのだが……。
「確かに、家族なのに別々に住んでるのも不思議だね。シルヴィ、何かあったの?」
「えぇっと、何でしたっけ……。ああ、私の療養という名目で、静かな場所がいいだろうとここに住むことになったんでした。クラリス様の部屋の準備はこちらでしていませんでしたが、本邸の方に準備されているのでしょうか?」
「へ? え、ええ、そう聞いているわ」
貴族ならそれが普通というか常識だ。王族であれば王子ごとに王子宮が用意され、王子と王子妃がそこに住むし、よほど裕福な貴族であれば嫡男一家用にもう一つ屋敷を用意することもあるかもしれないが、明らかにこの別邸はそれではない。
「ならレイ様も本邸に住むのがよいと思います」
「そうしようか。シルヴィも本邸に来るよね?」
「レイ様のご希望とあれば」
「な、なんなのよ……」
クラリスはトントン拍子に進む話についていけなくなっていた。自分より不幸な身の上話を聞くことになると思いきや、なんとなくでここに住んでいただけらしい。
事実としてはシルヴィが自由に動くために本邸という人の多い環境が邪魔で、病気療養ということにして別邸を陣取ったのだ。当然シルヴィがレイから離れるはずもないのでレイもこちらに連れてきており、レイが幼いころは乳母も住んでいたが、不要になってからはレイとシルヴィの二人暮らしだった。
そして、先日レイの記憶が戻ったことで別邸に住んでいる理由もなくなったが、本邸に戻る理由もなかったので、引っ越しを考えることもなかったというだけである。
「はぁ……。もう疲れた。悪いけど私は部屋に戻るわ」
クラリスはふらふらと立ち上がり、扉へ向かう。
「ごめん、着いたばかりで疲れてるよね。クラリス、明日はよろしくね」
「え!? え、ええ。覚悟はできてるわ!」
「ん? うん、おやすみ」
耳まで真っ赤にしながら、クラリスは去っていった。
「初めてちゃんと話したけど、クラリスは不思議な話し方だったね。貴族の女性はあんな感じの人が多いの?」
「すみません、私もあまり詳しくなく……。少し違う話なのですが、人族は同じ種族内でも剣の構え方や振り方に種類があるそうです。『流派』というんだとか。クラリス様は真っ当に人族なはずですし、ああいった話し方の流派があるということなのかもしれません」
「なるほど、勉強になるなぁ」
* * *
「なに!? レイもシルヴィも本邸に帰ってくるだと! クソっ。計画が……」
「はい。それも明日中に戻ってくると仰っています。恐れながら、奥様とその使用人の部屋は、旦那様のご寵愛を受ける者たちが……」
十二年間別邸に暮らしていた伯爵夫人の部屋は、当然ながら伯爵の部屋に近い。サマルグ伯爵は囲っていた愛人のうち特にお気に入りの者たちを、伯爵夫人の部屋や使用人室を区切って生活させていた。
「追い出すわけにもいかん……部屋に戻れないというのも……。ああ、どうしてこうも上手くいかない……。やむを得ん、なんとかしろ」
「は、はい……」
結婚式の準備とクラリスの受け入れ準備をなんとか終わらせ一息ついていた使用人たちだが、愛人たちの移動とシルヴィやレイの部屋の整備という、期限の短い新たな仕事が発生し、またもや忙しく働くことになった。




