9話 犬耳
「きゃあっ!!」
「す、すまん……。大丈夫か――」
「なにすんのよ! この変態!!」
落ちたところを強く手で押してしまわないようにできるだけ腕を広げてのダイブに懸けたのだが、俺の顔は女性の最も柔らかい場所に着地。
咄嗟に謝ってみたものの、聞く耳を持ってもらえずに俺の頬には強烈な平手打ちが飛んできた。
――パチン! パチン!
しかも2発も。
「ありがとうございま……すまんすぐに退く」
「あ、当り前よ! 馬鹿!」
うれしい痛みについ感謝の弁を告げようとしたが、桜屋の娘の突き刺すような視線を受けて撤退。
俺は痛いのは好きだが、これから一緒に戦っていく同僚とぎくしゃくした関係になりたいかと言われたら……そういうことではない。
「はぁ……。それで? 怪我は大丈夫なの? 血、すごいけど」
「ああ……。少しふらふらするが……。いや、それもそんなに感じなくなってるかもしれない」
仕切り直して敵のいなくなった事実に安堵の息を漏らした。
そして初戦闘で受けたダメージを冷静に分析。
やはり、俺の身体は回復している。
「――レベルアップして回復したんだろうな。レベルアップってのは強くなるってだけじゃなくてその出力に耐えらえる新しい身体にリセットされるってことでもあるから。……だからってこれだけの出血がなんともないようになっちまうなんてのは例がねえ。おそらくレベルは2以上アップして、大幅な変化をもたらしたんだろうぜ」
「和田さん……」
「あんた一緒に来たはずなのに……。もう、男なんだから自分も自分もって前に出てきなさいよ」
「無茶言うなよ。そもそも俺は戦闘向けの探索者じゃなくて防御力もそんな大したことないっての。そっちの変態馬鹿と違ってな。……絶対死んでると思っていただけに、本当に驚いたぜ。どんだけの生命力ってか、痛みへの耐性があんだよ」
和田さんは先輩らしく説明をしながら俺の肩に腕を回してきた。
人と深くかかわることってのをあまりしてこなかったからどうしようもなく歯がゆい。
戦闘に困らない、先輩も絡みやすい……女王様の存在はいないけど、『アスリート時代』よりも楽しくはありそうだな。
「さて、そんじゃ疲れてるとこ悪いがバスに戻るとしようぜ。ここにいたままだとまたモンスターが襲ってくるかもしれねえから――」
「――それはすごくいい判断だと思うよ。たーだ、ちょっと遅すぎたかもしれないね」
バスのある所に戻ろうと和田さんが振り向くと、そこには細身で……頭に犬耳を生やした一人の男が立っていた。
「な!? いつの間に! っていうかお、お前は……」
「……和田さん?」
「もしかしてあんたよりも先輩? ふふ、つまり先輩面はここまでってことね!」
和田さんの動きが止まった。
そしてのどのなる音が響き渡り、緊張が俺たちにも伝わった。
桜屋の娘は気づいてないようだが、この犬耳男は普通じゃない。多分……敵だ。
「お前ら逃げろ!!」
和田さんの穏やかな声色はなりを潜め、鬼気迫る大声が俺たちの耳を劈いた。
つい俺も桜屋の娘もその声にピクリと反応してしまうが、それを笑うことなく和田さんは慌てて振り無理向いて俺たちの身体を力いっぱい押した。
そうすることでそれに抵抗することができなかった俺たちはその場に倒れこんでいく。
「ふはっ! 必死なのは面白いけど……ちょっとうっさいかなぁ?」
――バンっ!!
そんな1秒もないはずの行動中、犬耳男の声はなっぜかはっきりと聞こえ、次の瞬間には和田さんの身体が轟音と共に俺たちの頭上を勢いよく通過していった。
それ以外何をされたのか、まったくわからなかった。
多分それだけ速い何かで攻撃が繰り出されたということなんだろうが……動体視力がそれを捉えられるまでに追いついていない。
「別に俺は『同胞』が殺されて怒っているわけでも、戦いたいわけでもないんだけど……ああして邪魔をしてくれるから戦わないといけなくなるんだよ。さて、と……それじゃあ本題だ、人間。君、俺の仲間にするから」
「は?」
犬耳男は俺の顔に自分の顔を近づけると、飛び切りの笑顔で誘拐宣告をした。
当然そんなものをすぐに受け入れようとも思わないし、衝撃のせいで思考もままならない。
だから対して返事をすることができなかったのだが、犬耳の男はその返事が気に入らなかったようで笑顔から真顔に表情が切り替わった。
本人が言うように殺す気はないのだろう、殺気を感じることはない。
だけど、この圧……こいつは一体なんなんだ。
「はぁ……。怖がって失禁でもしてくれるなら可愛気があるんだけど……その反応はマイナス10点。……。まぁいいや、俺が欲しいと思ったのは君のその力。俺が姉貴に認められて、それとあの女を置き去りにするくらい強くなるために君が必要なんだよ」
そう言いながら犬耳の男は俺の右手を掴むと優しく引っ張った。
実際に触れて、掴まれて気付く。
こいつ……俺の腕がとれないように、引きちぎれないように極限まで力を緩めている。
それでもし俺が少しでも抵抗すれば、その微妙な力の入れ具合が崩れてしまうことも感覚でわかる。
掴まれてしまった時点でアウトだった。
死んでしまったかどうかもわからない和田さんの思いを汲み上げることはもう……。
無理やりというシチュエーションは嫌いじゃないが、そんなことを思っている余裕もな――。
「ちょっと待ちなさいよ!! いきなり出てきて私たちの先輩を吹っ飛ばしてくれちゃって……。しかも自己紹介どころかこの私を無視するなんて、とんだ駄犬ね!!」
「あ? なにお前? 俺が駄犬? ……。その言葉を言っていいのは姉貴だけだぞ、女」




