第二話・落とし穴に落ちた中学二年生
捕まった。
あとちょっとでこの突然の冒険ともお別れってところで『まあまあ、まだ待ちなよ。お楽しみはこれからさ』とばかりに呼び止められた。
しかも瞬間的に。
最後の最後で落とし穴に落ちたというより、最後の一歩を踏み出したらそこにゼロ秒で落とし穴が生まれて落下した気分だ。
どうやらこれは最初から逃走不可避のイベントだった模様。どうあがいても絶望でした。
で。
こんなことになっている。
傍目には仲良く肩組んでるような感じの…………いや、ないね。
学校指定のブレザー着てる男子中学生。
肌が透けて見える薄いヒラヒラの寝間着姿な大人の女性。
関連性が全くない。
しかも場所は、ひと気の無い路上。
仲良しというより大喜利のお題みたいな状況だ。写真を見て面白いことを言ったり書いたりするやつな。
「つれないじゃないか。恐る恐る逃げようとするなんて。私がクマかライオンにでも見えたのかい?」
女が顔のそばで言う。
いい匂いが鼻をくすぐる。
香水では……ないみたいだ。
そういうの全然詳しくないからよくわからないけど、作り物のキツい匂いではない感じだ。心地よい甘い香り。
「いや、その」
その前にまずあんた誰だよ。馴れ馴れしいにも程があるだろ。
──とは言えない。
言ったが最後、この女性の怒りスイッチをONにしてしまうかもしれないからだ。
この女性の怒りの沸点がどのくらいかも、何が原因で心を煮えたぎらせるのかもわからない。
何をしでかすかわからない不審者を挑発するようなことは、軽々しく口にしないほうがいい。
だからダンマリ。
「学校はもう終わり? 制服姿で、カバンも片手にぶら下げてるし、これから家に帰るところだったのかな?」
「え、ええ、まあ」
「だとしたら、キミは帰宅部か。そうだろう? そうでなければ授業が終わったあとも学校に残るはずだからね。文化系だろうが体育系だろうが、何かしらの活動をするために……違うかい?」
「は、はい……それで当たってます。帰宅部で合ってます。部活動とか興味ないんで」
「怠惰なことだねぇ。若いうちはさ、あれこれチャレンジしておくべきだと思うよ? 青春ってのはアシが早い。短いうえに、過ぎ去るのもあっという間なんだから」
「はぁ」
なんだろ、俺の放課後ライフを推理してきたと思ったら、今度は人生の先輩としてのアドバイスみたいなこと言い出してきたぞ、このお姉さん。
悪い人間じゃないのかな。
……いや、そう決めつけるのはまだ早い。
アドバイス料を寄越せとか言ってサイフを奪おうとしたりするかもしれない。
新手のカツアゲだ。
でも……。
むしろ、そうだとしたら、そのほうがいいのか?
それだけで済むんなら、それでよくないか?
ダンボール敷いてた場所から俺の背後まで瞬間移動したとしか思えない奇怪な露出狂との縁切り料になるなら、大して中身の入ってないサイフの一つくらいくれてやってもいいんじゃないか?
「あ、あの」
「フフ、なにかな?」
「いくらくらい、払えばいいんですか」
ぴたり
女の笑いが、止まる。
「……………………はぁ?」
二十秒……いや、三十秒くらいか。
そのくらい、経過してからだろうか。
意味がわからないという風な、鼻から抜けるような疑問の声を、女が発した。
「もしかして、キミ、私がお金目当てで近づいてきたと思ってる……とか? あのさ、心外だなそれ。あまり気分のいい推測じゃないよ」
「す、すいま──」
すいませんと、不機嫌そうだからとりあえず謝っておこうとしたら、後ろから右肩に回されていた手が離れ、
「ち、ちょっ」
「動かない動かない。じっとしてな」
もう一方のほうの手が、顔に伸びてきて、
「……うん、美男子ではないが、割りとよくまとまってるほうの顔だね。覇気はないが、そつのない無難な顔……まあ、七十五点ってところかな」
アゴを掴まれ、まじまじと顔をガン見してきた。
で、そうなると──俺も、向こうの顔を間近で見ることになる。
凄い美人だった。
こんな美女、テレビドラマや映画でも見たことない。
目とか眉とか鼻とか唇とか、どの作りも繊細だ。
芸術品みたいな完成度を誇っている。
さっき俺がやられたみたいに、今度はこっちが点数をつけるとするなら、百点満点中、百二十点って出来の顔だ。
特に、瞳がいい。
ルビーみたいに真っ赤な瞳が、これまた群を抜いてキレイで、そのきらめきからつい目が離せない。
素で赤いのかな。それともコンタクト?
「フフ、吸い込まれそうかい?」
「え?」
間近にある美貌が口を開き、意図のわからない質問をしてきた。
「私の美しさに心をもってかれそうな風に見えたからさ。いたいけな青少年を惑わすなんて、我ながら罪な美貌だね。懺悔するつもりはさらさらないが」
「……そうですね。とびきりの美人だってのは否定しようがないし、見とれてたってのも本当です」
「そうかそうか。素直でよろしい」
「それはそうとして……もう帰りたいんですけどね。家族が心配するんで」
ついつい、いつまでも見ていたくなるほどの美しさではあるけど、やはり怖さもある。
美貌でカバーしきれないほどの薄気味悪さ。
得体の知れなさ。
本来ならその美しさに陶酔して心を持ってかれるのかもしれないが、気味の悪い言動が酔いを覚まし、正気にさせてくれていた。
「まだそんな時間じゃないだろ。まあ、もし仮に今が丑三つ時でも、このまま帰す気はないんだけど」
「えっ、どうして……」
マズイな。
雲行きが怪しくなってきた。
金は欲しくない。
用件があるのは俺。
なんで俺に執着する? 俺の何がそんなにこの女性の琴線に触れたんだ? 初対面だぞ?
恐怖心が、グッと高まる。
心の中の不安を司るメーターの針が、大きく揺れ動いた。
「どうしてって、キミがここに来たからだよ……フフ、理由になってないって言いたげな顔しちゃって。だけどね、嘘はついてないよ」
「……もっと、わかりやすく説明してもらえます?」
「言ったとおりの意味だよ。私はここで座して待ち、そしてキミが現れた。それはつまり、私がキミを待っていたってことに等しいんだ。わかるかい? わかるよね? 私としてもキミの意思を尊重したいのはやまやまだが、でも、この出会いをなかったことにしたくないのさ」
そこまで言ったところで、赤い瞳の美女は言葉を切った。
どうだい、これならわかるだろ。
そんな顔をしているが、全然具体的な中身を語っていないので、こちらとしてはピンとこないし、ピンときようがない。
……つまり、たまたま?
たまたま俺がこの道を一人で通っていたから、それだけの理由で運命感じたとか?
そう言っているようにしか解釈できないんだけど、そうなの?
出会いを求めていたってことでいいの? こんな場所で? ダンボール敷いて体育座りでひたすら待ってたの?
いまだに名前も素性も語らない女は、俺の困惑をよそに、どこか嬉しそうに微笑んでいる。




