第七十三話 ツバキ
「……いやはや、ラグルス様も苦労されましたな」
レティシエラの紹介から始まり、セリアたちがこれまで歩んできた経緯を聞き終えたスイレンは、しみじみと深く頷きながらそう呟いた。
《我としてはさほどでもない。実際に苦労しているのはこいつだからな》
「おいっ! ……って、それは褒めてるのか?」
反射的に突っ込んだセリアが、途中で少しだけ首を傾げる。
《……解釈はお前の好きにしろ》
「ほっほ。どうやら相性は悪くなさそうですな」
そんな二人のやり取りを眺めながら、スイレンが穏やかな笑みを浮かべて口を挟む。
《茶化すな》
ラグルスが低く返すと、スイレンはますます愉快そうに目を細めた。
――バンッ!
先ほどまでの穏やかな空気を切り裂くように、応接間の扉が勢いよく開け放たれた。
「父上、大変です!! 魔族がっ!」
一人の少女が、息を切らしながら部屋へ飛び込んでくる。
見た目の年齢は、スイレンよりも少し上――十代前半ほどだろうか。
長く伸びた髪を頭の横で一つに束ねており、その色はスイレンやリンドウと同じ萌葱色。
そして幼さの残る顔立ちが、見た目が幼いスイレンと良く似ていた。
「魔族が、魔物を引き連れて里の周辺へ無差別に攻撃を放っています! このままではっ――」
「ツバキ、落ち着け」
慌てて言葉を続けようとする少女を、スイレンが静かな声で制した。
「無差別に攻撃しているということは、里の位置を特定しておるわけではないのじゃろう?」
「……は、はい!」
「ならば、結界を維持したまま里を後退させる。それでやり過ごせればよし。
それでも奴らの攻撃が里を捉えるようであれば、お前とリンドウで対処せよ」
「は、はい。そうですね……すみません。取り乱しました」
スイレンの言葉にツバキと呼ばれた少女は少し俯き、深く息を吐く。
次に顔を上げたときには、先ほどまでの狼狽はどこかへ消えていた。
「報告では、魔族の数は二体。魔物は正確な数までは確認できておりませんが、およそ三十体前後」
先ほどとは打って変わった冷静な声で、ツバキが報告を続ける。
「現在、里の南西部から三キロメートルほど離れた位置――里とほぼ同程度の高度に静止し、周囲へ無差別に範囲攻撃を行っているとのことです」
「ほっほっほ。魔族が二体ときたか。……先ほどのリンドウの四象陣の影響じゃな」
スイレンは顎へ手を添え、しばし考え込むように目を閉じた。
そして、片目だけを開けてセリアへ視線を向ける。
「ラグルス様。申し訳ないのですが、ちょいと手を貸していただけますかな」
スイレンは両手を合わせ、頼み込むように頭を下げた。
《先に言った通り苦労するのはこいつ故、我に聞くな》
「そうでしたな。これは失礼いたしました」
スイレンはすぐに顔を上げると、改めてセリアを真っ直ぐに見据えた。
「では、セリア殿。力を貸していただけませんかの?」
「もちろん!」
セリアは二つ返事で承諾する。
だが、すぐに何かが引っかかったように眉を寄せた。
「その前に聞きたいんだけど、この襲撃って結構マズいものなのか? えっと、魔族って言ってたけど……」
先ほどのツバキの慌てようを見る限り、ただ事でないことは察している。
そして何より――魔族。
その言葉を意識した瞬間、セリアの手は無意識に首元へ伸びていた。
指先に触れたのは、一つのネックレス。
脳裏に浮かんだのは、大迷宮で出会ったママ――ネスヴィラの姿だった。
魔族である彼女とは、ほんの僅かに手合わせをしただけだ。
それでも十分だった。
自分よりも、遥かに強い。
そう理解するには。
「そうじゃのう……。
魔物が偶然、里の近くまで紛れ込んでくること自体は珍しくない。じゃが――」
スイレンは少し考えるように目を細めた。
「魔族。それも複数体が、明確な意図を持って里を探りに来ることは、ここ二千年を振り返っても数えるほどしかない」
先ほどまでの飄々とした雰囲気は、もうスイレンの顔にはなかった。
皆が押し黙り重苦しい空気が応接室に流れる。
しばしの沈黙ののち、スイレンは表情を緩める。
「とはいえ、ここの結界は二千年破られておりませんからの。そのうち諦めて帰ってくじゃろ。セリア殿はあくまで保険として備えていただければと」
重い空気を変えるように、スイレンが少しおどけた調子で口を開いた。
《どうあれ魔族らの姿を捉えられる位置に移動するべきだろうな》
「それはそうですな。
ではツバキよ。この方たちを魔族の近くまで案内せよ。儂はここに残り里を移動させよう」
ラグルスの言葉に同調しスイレンが指示を出す。
「わかりました。
ではこちらへ。セリア殿と……――」
「レティシエラと申します」
レティシエラが丁寧に頭を下げる。
「失礼しました。レティシエラ殿ですね」
ツバキも軽く頭を下げて返す。
「お二人とも、私についてきてください」
そう告げると、ツバキは足早に応接間の出口へ向かった。
セリアとレティシエラも席を立ち、その後を追う。
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セリアたちはツバキの後ろについていきスイレンの家を出る。
「セリア殿、レティシエラ殿。状況が状況ですので少し急ぎますが宜しいですか?」
ツバキは歩きながら後ろを軽く振り返り問いかける。
「あぁ! 何なら少しとは言わずに全力でも構わないさ。レティも良いよな?」
「わたくしも問題ありません」
レティシエラは短く頷いた。
「わかりました。それでは……」
そう言うとツバキは胸の前で左手を素早く動かし印を組んだ。
その瞬間、街道の上空に青白い光が点々と灯り始める。
周囲を歩いていた龍人たちも異変に気づき、足を止めて頭上を見上げた。
数秒後。
宙に浮かんでいた光は結界の足場へと変わり、目的の方角へ向かって連なるように、空中に道を作り上げていた。
「おぉ……」
セリアが思わず声を漏らす。
ツバキは軽く地面を蹴ると、一息で最初の結界へ飛び乗った。
そのまま振り返り、下にいる二人を見下ろす。
「この足場は長くは保ちません。使うのであれば、お早めに」
そう告げると、返事を待つこともなく次の足場へ跳ぶ。
「数秒でこれだけの結界を……。ツバキ様も、相当な使い手のようですね」
レティシエラがわずかに目を見開き、空中を駆けていくツバキを見つめる。
「みたいだな。じゃあ、置いてかれないうちに行きますか」
セリアはレティシエラへ軽く首を傾ける。
そして地面を蹴ると、一気に最初の結界へと跳び乗った。




