第七十一話 黄竜四象陣
レティシエラはリンドウの首元から細剣を離すと、そのまま神器を淡い光へと変えて消し、セリアたちへ振り返る。
そこにはもうリンドウへの興味は感じられない。
「それでは皆さん。先を急ぎましょうか」
レティシエラはそう告げると、何事もなかったかのように軽く微笑み街へと歩き出す。
その様子を見た案内の龍人たちは、チラチラとリンドウを窺い、しばし迷うような素振りを見せたものの、結局は誰も声をかけることなくレティシエラを追って歩き出す。
「レティ、凄いな……。もうこんなに力を使いこなせるのかよ」
セリアはその後ろ姿を眺めながら呟いた。
戦い方そのものにも驚いたが、それ以上に印象に残っているのは、リンドウへ向けられていたレティシエラの態度だった。
丁寧な言葉遣いはいつもと変わらない。
それなのに、表情も声音もひどく冷たく、最後には完膚なきまでに相手の自尊心を叩き折っていた。
思い返したセリアの頬が、わずかに引きつる。
(レティって、怒らせるとあんな感じになるのか……)
《お前の時はここまで使いこなすのにかなり苦労したはずだがな。この調子であれば纏の習得もそう遠くないかもしれん》
ラグルスがいつもの調子で答える。
「流石にそれは!」
セリアが反射的に声を上げる。
だが、すぐにレティシエラの背中へ視線を戻し、少しだけ不安そうに眉を寄せた。
「……ないよな?」
セリアとしては十年かかった纏である。レティシエラが習得するのは戦力として喜ばしいことだが、簡単に習得されてしまっては少し複雑な気持にもなる。
そんなやり取りの後セリアがレティシエラたちを追って歩き出そうとしたその時、
「……認めねぇぞこんなの」
背後で木の幹に埋め込まれたリンドウが呟く。
その声にセリアは振り返る。
そこにいるリンドウからは先ほどまでの尊大な笑みは消えている。
土と木片にまみれた顔を歪め、食いしばった歯の隙間から、絞り出すように言葉を漏らしす。
「俺様は、この里最強なんだ」
その言葉と同時に、リンドウを中心として地面に巨大な魔法陣が出現した。
淡い光の線が巨木の根元から走り、周囲十メートルほどにまで広がっていく。
円陣の四方には、青竜、白虎、玄武、朱雀――四象を象った紋様が浮かび上がっていた。
「これはっ!?」
セリアが地面を覆う魔法陣へ目を奪われる。
その間にも、巨木に埋め込まれたリンドウは顔を伏せたまま、低い声で何かを呟いていた。
「皇結界、奥義――黄竜四象陣」
すると、魔法陣が強い光を放ち始めた。
四方に描かれた四象の紋様が脈打つように明滅し、その光が中央のリンドウへ向かって流れ込んでいく。
背後の異変に気づき、レティシエラたちも足を止めて振り返る。
――メキ、メキメキ
リンドウを拘束していた巨木が軋みを上げる。幾重にも絡み合っていた根が内側から押し広げられ、太い幹に次々と亀裂が走っていく。
その時だった。
「馬鹿者っ!!」
鋭い声が、突如としてセリアたちの頭上から降ってきた。
その声の気迫に、周囲の鳥たちが一斉に飛び立ち地面の砂が震える。
「っ!?」
セリアは反射的に顔を上げ、声の主を探す。
「随分と遅いと思って様子を見に来てみれば……リンドウ、お主、何をしとるんじゃ?」
声の主は、リンドウを拘束する巨木の枝に立っていた。
生い茂る葉に遮られ、その姿まではよく見えないが、その影はひどく小柄に見えた。
声にもどこか幼さがあり、少年とも少女とも取れる響きを持っている。しかし、その声音に込められた迫力は、幼い者のものとは到底思えなかった。
枝の上の人物が何かを小さく唱えると、暴れ始めていた巨木の軋みが止まった。
幹を内側から押し広げていた力が消え、魔法陣の輝きも急速に弱まっていく。
セリアが視線を地面へ戻した時には、四象を描いた巨大な魔法陣は跡形もなく消え去っていた。
「……」
リンドウは先ほどまでの勢いを失い、苦虫を噛み潰したように顔を歪めている。
そして、顔を上げ頭上の人影を睨みつけ、叫んだ。
「邪魔すンじゃねぇ! 親父ぃ!」
リンドウの叫びを受けて、親父と呼ばれた男が大木の枝から飛び出す。
――ストンッ
十メートル以上の高さから飛び降りたというのに、その着地は驚くほど軽い。
土埃一つ立てず、木の葉が舞い落ちたかのように地面へ降り立った。
「邪魔をしているのはお主の方じゃろうが。負けたのだからしばらくそこで黙っておれ」
その姿を目にしたセリアは、思わず瞬きをした。
現れたのは、まだ十歳に届くかどうかという幼い少年だった。
小柄な身体に、あどけなさの残る顔立ち。だが、その険しい表情や立ち居振る舞いからは、外見とは釣り合わないほどの老練さが感じられる。
髪はリンドウと同じ萌葱色。
腰に届くほどの長髪を一本の三つ編みにまとめ、袖のない服から伸びた両腕には、素肌が見えないほど幾重にも包帯が巻かれていた。
少年の鋭い眼差しが、巨木に埋め込まれたリンドウへ向けられる。
「親父が邪魔しなけりゃ、まだ戦えンだよ!」
リンドウは首だけを動かし、目の前の少年へ喚いた。
「黙れ!」
幼い声が、空気を震わせる。
「四象陣はあれほど使うなと言っておったじゃろうが! それを、あろうことか我らが神に対して使おうとするとは……」
「やはり、お前ではなくツバキの方が相応しいかのぅ」
「っ!!」
その名を耳にした瞬間、リンドウの目が大きく見開かれた。
「……それが嫌なら、大人しくそこで反省しておれ」
少年はそれだけ告げるとリンドウから視線を外した。
そして、セリアへと向き直る。
「お久しぶりでございます、我が神よ。愚息が、大変ご迷惑をおかけいたしました」
少年は居住まいを正すと、両手を身体の前で揃えセリアへ向かって深々と頭を下げた。




