第六話 一年後
「はあっ!!」
――ズシュッ。
剣槍の鋭い突きが大トカゲの頭蓋を貫き、巨体がびくりと痙攣して崩れ落ちた。岩床にどさりと倒れる音が響く。
かつては一匹の魔物に怯えていたセリアだったが、迷宮で目覚めて一年。
今では正面から挑み、確かな力で仕留められるようになっていた。
《……ずいぶんと嬉しそうだな》
ラグルスの声はいつものように皮肉げだ。
「トカゲは当たりだからな。なんたって一番美味い」
セリアは頬を緩めながら慣れた手つきで解体を始める。
――ボウッ
掌から炎が生まれ、解体した肉を包み込んで炙る。
その炎はかつての頼りない火種ではない。大きさも温度も自在に操られ、肉を焦がすことなく程よく焼き上げていく。脂が滴り落ち、じゅうっと音を立てるたびに洞窟内に香ばしい匂いが広がった。
《……肉を焼く腕だけは一人前だな》
「だろ? こればっかりは極めたって言えるな!」
皮肉だと分かっていても、久々のご馳走を前にセリアは素直に受け取ってしまう。
《わかっているのか? 我はお前を料理人にするために創ったのではないぞ》
「わかってるって。たださ、ここでの楽しみなんて食い物くらいしかないだろ?」
肉を頬張りながら、セリアはしみじみと呟いた。
「あの時は、ムカデ一匹倒すのに死ぬ思いだったのにな……」
大トカゲの肉は淡白だが、噛みしめるほどに旨味が広がる。
ムカデの苦みと腐臭を思えば、天と地の差だった。
《驕るなよ。お前が倒したのは、この迷宮において雑魚と呼ばれる魔物らだ。そしてお前もその域を出ておらぬ》
ラグルスの冷ややかな声が響く。
「はいはい、わかってるよ。ただ――」
セリアは炎を操り炙った肉を、ひと口で頬張る。
舌の上に広がる熱と香り。それは、生き延びてきた証そのものだった。
「少しは成長できたんだって、思いたいんだよ」
炎は今や、ただ肉を焼くためのものではない。
探索中、暗闇を照らし、襲いかかる魔物を倒す力にもなった。
一年の間に、セリアの中で炎は「生活と戦いの一部」として根を下ろしていた。
《……よかろう。お前は一年で確かに成長した。よって次の段階に進ませる》
「次の、段階……?」
意外な言葉に、セリアの手が止まる。
《剣槍に炎を纏わせろ。その一撃は、ただの刃ではなく焼き尽くす力となる》
「剣槍に、炎を……?」
半信半疑で剣槍を握るセリアに、ラグルスは続ける。
《神器には次の段階が存在する。そのためには己の力を纏わせることが必須だ。まずは赴くままにやってみろ》
いつもの無茶振りにセリアは深く息を吐き、剣槍を正面に構える。
掌から炎を出すことは今や意識すればできる。だが武器に纏わせるなどどうすればいい?
「……やるしかないか」
セリアは目を閉じ、剣槍を握る手に意識を集中させた。
――ボウッ
掌に炎が灯り、刃へと流し込む。
次の瞬間――
――バチィンッ!
炎は逆流して弾け、灼熱の衝撃が腕を駆け抜けた。皮膚は焦げなかったが、内側から魂が焼かれるかのような痛みに、思わず声を詰まらせる。
「な、に今の……!」
《言ったはずだ。神器と炎は別物ではない。どちらもお前の魂から生まれたもの。一つだと信じねば、炎は拒絶する》
セリアは荒い息を吐き、剣槍を見下ろす。
(炎も、剣槍も……わたし自身!)
――ゴウッ
刃の輪郭が赤々と揺らめき、炎が槍に溶け込むように纏わりついた。洞窟の闇が朱に染まり、風が髪を揺らす。
「できた……!」
《ふむ……。だがまだ未熟。今のままでは雑魚を焼く程度しかできぬ》
「……ほんと、褒めて伸ばすってこと知らないよな」
セリアは苦笑しながらも、剣槍に宿る熱を感じていた。
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《先程言ったように今の状態は完全とは言えぬ。及第点にも遠い》
《完全なものとするには実戦しかない。より強敵とのな》
強敵。つまり、いつもの「狩り場」を離れ、未知の魔物と戦うことを意味する。
「……やってやるよ。さっきのでコツは掴んだ。すぐにものにしてやるさ」
セリアは剣槍を構え、炎を纏わせる。
――ゴウッ!
紅蓮の炎が刃を包み、洞窟を赤く照らし出した。
試しに近くの狩場で顔なじみの魔物へと斬りかかる。
かつては数度の攻防を強いられたムカデの硬い甲殻をあっさりと貫き、分厚い皮膚を持つ大トカゲも、黒煙を上げて一瞬で焼き裂いた。
「凄い……。切った感触が、まるで無い……」
炎を纏った剣槍は、ただの武器ではなかった。
振り抜くだけで魔物は裂け、肉と骨を焼き尽くす。
汗も血も流すことなく、いとも容易く狩りを終えられる。
《……何度も言うが、それは不完全だ。強敵に通ずるとは限らぬ》
「大丈夫だって。……これならもっと強い奴でも勝てる」
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いつもの狩り場を離れ洞窟の奥に進むにつれ、空気は重く淀み、湿った岩肌からは冷気と圧迫感がにじみ出ていた。
「……静かすぎる」
慣れない環境に緊張から背筋に汗が滲む。だが、すぐにそれを打ち消すように笑う。
(いや、怖がる必要なんてない。わたしには炎纏いがあるんだ)
《……気を抜くなよ》
ラグルスの呟きから数瞬、
――ドン
低い振動が地面を這い、セリアの背骨を震わせる。
「な、に……?」
闇の奥で、赤黒い光が二つぼうっと灯る。
やがてそれは輪郭を得て、全身を岩で覆った巨人が姿を現した。
体躯はセリアの三倍近い。
肩から腕にかけてはまさに山塊そのもの。動くたびに岩片が崩れ落ち、鈍い音を立てる。
苔や鉱石が散りばめられた岩肌は、大地そのものが歩き出したかのようだった。
両腕は地面を擦るほど長く、その指が組まれると、セリアの身体をまるごと握り潰せるほどの拳となる。
巨影はゆっくりと顔をもたげ、赤黒い双眸がセリアを見据えた。
《油断するな。奴の一撃はこれまでの雑魚とは比較にならん》
ラグルスの声にセリアは剣槍を握り直す。
「でかっ……でも、炎纏いなら――!」
槍の刃が炎に包まれる。赤く揺らめくその光が洞窟を染めた。
セリアは踏み込み、渾身の力で突きを放つ。
――ガキィィン!!
甲高い音。刃は弾かれ、炎は霧散。岩の皮膚には、傷一つついていない。
「な……!嘘……っ!」
巨体が低く唸ると、空気が振動する。
振り抜かれた拳は、ただの岩塊ではない。洞窟の壁そのものの様な圧力と質量が迫る。
「っ……!!」
とっさに剣槍の柄で受け止める。
しかし、
――ゴンッ!!
とてつもない衝撃に視界が白く弾け、全身が宙を舞う。岩壁に叩きつけられ息が詰まる。
「がはっ……! は、ぁ……っ!」
喉から血の味が滲む。呼吸ができない。膝が震え、手の感覚が失われていく。
もう一撃きたら――死ぬ。
《呆けている場合ではない!退け!》
ラグルスの怒号に、セリアはかろうじて我に返る。
全身を痛みが貫く中、背を向け全力で駆け出す。
背後で岩巨人が拳を振り下ろす轟音が響く。
岩盤が砕け、飛び散った破片が背中をかすめ熱い血がにじむ。
「ひっ……!!」
恐怖で喉が焼ける。
炎纏い――通じると思っていた力が、無力に砕かれた。
――わたしは、まだ何も掴めていなかった。
膝が笑い、視界が揺れる。
背後で轟く岩巨人の咆哮が、洞窟の奥に反響する。
セリアの足は勝手に動き、ただ闇を逃げることしかできなかった。




