第五十七話 レティシエラとフィアス
夕食の時間。
セリアたちはレティシエラの家の一階に降りてきていた。
セリアの目の前には、小皿に美しく盛りつけられた料理と食前酒が並んでいた。
彩りも配置も計算し尽くされていて、陽だまり亭の素朴な定食とはまるで別世界だった。
「ラグルス様、セリア様。こちらは前菜となりますので、お済みになりましたら次の料理をお持ちいたします」
レティシエラの母がやわらかな笑顔で告げる。
「お口に合わないことがあれば、どうか遠慮なくおっしゃってくださいね。すぐに別の料理をお持ちしますので」
「い、いや、苦手なものとかないから大丈夫です」
あまりに行き届いた応対に、セリアは少しだけたじろぎながら答えた。
「あら、そうでしたか。それでしたら安心しました。
味付けのほうでも何かありましたら、いつでもお申し付けくださいね」
「……なぁレティ」
セリアは、目の前の料理からそっと視線を外し、隣のレティシエラへ小声で囁く。
「いつもこんな感じ、ってわけじゃないんだろ?」
「はい。普段コース料理は特別な日にしか用意しておりません」
少し間を置いて続ける。
「ですので、今日は特別な日、ということでしょう」
軽く微笑んでそう答えるレティシエラに、セリアは乾いた笑いを返すしかなかった。
「ははっ……」
(これから毎日、とか言わないよな……?)
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夕食後、再びレティシエラの部屋に戻って来たセリアたち。
「いやぁ~、凄く美味しかったな! あのスープ、おばちゃんにも教えてあげたいくらいだ」
セリアは満足そうに腹をさする。
「お口に合ったようで、良かったです」
レティシエラも、どこか嬉しそうに微笑んだ。
《――明日からの方針を決めるぞ》
満ち足りた空気を裂くように、ラグルスが割って入る。
「急だな、相棒。しばらくはエルフの里に留まるんだろ?」
《当面は、そのつもりだ》
ラグルスは、前置きを挟むようにそう答えた。
《だが、エルフの里の場所はすでに人間側に割れているのだろう?》
「そうですね」
その問いに、レティシエラが静かに頷く。
「ここ百年ほどは襲撃もないようですが、それ以前には、ある程度の侵攻を受けていたと聞いております。 ですから、場所そのものは知られているはずです」
《ならば、ウィアードの刺客がこの里へ向かっている可能性は高い》
《リレンヌから脱出した際に、レティシエラを連れているのはウィアードの耳にも入っているだろう。故に、我らを追うならエルフの里は最有力候補となる》
「……だったら、ここに留まったら迷惑にならないか?」
少しの沈黙のあと、セリアが口を開いた。
「わたしたちが原因で襲撃されるっていうなら、留まらずに出ていったほうが――」
《それはいい手とは言えんな》
ラグルスの声が鋭く割り込んだ。
《我らが出ていったとして、奴らにその情報が伝わるか?
それどころか、我らがいない状態で襲撃を許せば、その分被害が大きくなる可能性がある》
「そう、だな……」
ラグルスの指摘に、セリアは小さく頷いた。
《とはいえ、奴にリレンヌの情報が伝わるまである程度の時間はかかるだろう。
追手も正確にここの位置を掴んでいるかは不明だ。今日明日に襲撃があるとは考えにくい》
レティシエラが、静かに頷きながら耳を傾けている。
《よって、それまでの間に戦力の増強を図ることとする》
「具体的にはどうするんだ?」
《まずは、レティシエラにフィアスを授けるところからだ》
「フィアス、ですか!?」
その単語に、レティシエラは思わず大きく反応した。
「フィアスってウィアードの力だろ?そんなのどうやって授けるんだよ」
《フィアスの元となっているのは我の力、つまり神の力だ。
原理的にはセリア、お前の力でもフィアスを授けることが可能なはずだ》
「なるほどね」
セリアは顎に手を当てすぐに頷いた。
「って言っても、やり方は知らないからさ。そこは相棒、頼む」
《少しは自分で……まあ良い。レティシエラの頭に手を置け》
「了解。じゃあ、始めるぞ」
セリアがそのままレティシエラの頭へ手を伸ばしかけた、その瞬間。
「ま、待って下さい」
レティシエラは、反射的にその手を制した。
「急に、フィアスと言われましても……その、すみません」
声は控えめだったが、指先にはわずかな力がこもっていた。
レティシエラの脳裏には、フィアスを使うリカルドの姿がよぎる。
《……レティシエラ。お前が何を考えているのかは、大方想像がつく。
だが、先ほどの模擬戦を見て痛感したのだろう。自分と、二人との力の差を》
レティシエラの肩がわずかに強張った。
《ならば問おう。お前が語った『守りたい』という想いは――今の力のままで、本当に叶えられるものなのか?》
「……」
レティシエラは、答えなかった。
けれど、セリアの手を掴んでいた指先の力は、少しずつ弱まっていく。
「……レティ」
その様子を見て、セリアが静かに口を開いた。
頭に手を置こうとしていた腕を、ゆっくりと引っ込める。
「相棒はああ言ってるけどさ。
わたしは、無理にフィアスを貰わなくてもいいんじゃないかって思う」
レティシエラが、わずかに顔を上げる。
「レティの精霊術はすごく応用が利くし、今のままでも十分すごい。実際、わたしは何度も助けられてる」
セリアは、真っ直ぐにレティシエラを見ながら続けた。
「それに、そもそもウィアードと戦うつもりなのは、わたしだしな」
「……セリアさん」
自分は、この程度の迷いで、この人についてきたのか。
少し前まで、あれほど強くなりたいと願っていたはずなのに。
レティシエラは、唇をきゅっと噛みしめる。
「すみませんでした、ラグルス様、セリアさん」
軽く頭を下げたあと、真っ直ぐにセリアを見て続ける。
「わたくしは、もっと、強くなりたい。どうか、フィアスを授けて下さい」
その眼差しに、先ほどまでの迷いはもう残っていなかった。
《……良かろう》
ラグルスが、静かに応じる。
《ではセリア。レティシエラの頭に手を置け。その後、ゆっくりと力を流し込むのだ》
《炎を出すのではない。その一歩手前、力の核だけを意識しろ》
セリアはレティシエラの前に立ち、そっと右手を彼女の頭に載せた。
さらさらとした白金の髪が、指の間を滑る。
「えっと……こんな感じ、か?」
《少し強い。我が補助しよう》
次の瞬間セリアの手を通して、神の力が静かにレティシエラの内へ流れ込んでいく。
《レティシエラ。力が流れ込んでくるのを感じるな》
ラグルスの声が、落ち着いた調子で導く。
《どのような力が宿るかを、我らが操作することはできん。お前自身で、その力の輪郭を掴み、引き出すのだ》
「……はい」
レティシエラはそう答えると、静かに目を閉じた。
呼吸を整え、意識を自分の内側へ沈めていく。
「なあ相棒、相変わらず説明が雑だって。もっと具体的に――」
――ミシッ
足元で、木の板が軋む音がした。
セリアが視線を落とす。
レティシエラの足元。
その周囲の床から、小さな木々が次々と芽吹くように姿を現し始めていた。




