第五十六話 髪留め
レティシエラの家の前で、扉に手をかけようとしたレティシエラがふと振り返った。
「あの……一応、家には両親がおりますので、先にお伝えしておきます」
「両親……?」
セリアの足が止まった。
「そっか。そうだよな。いるよな、両親。……ごめん。わたし、その発想がなかった」
迷宮に親はいなかった。
ラグルスやネスヴィラは親というには少し特殊である。
セリアは少しだけ気まずそうに頬をかきながら続ける。
「迷惑じゃないかな?」
「全然、気になさらないでください」
レティシエラはやわらかく微笑んだ。
「むしろ、わたくしの両親は、お二方に来ていただけることを喜んでいるはずです」
「そう?だったらいいけど……」
どこか落ち着かない様子で呟くセリアに、レティシエラは小さく頷く。
「では、入りましょう」
そう言って、レティシエラが扉を開けた。
扉の先、玄関の向こうには、すでにレティシエラの両親が並んで立っていた。
「……」
(いつから待ってたんだ……?)
セリアは思わず目を細める。
自分たちが来ること自体は伝わっていたのだろう。
だが、正確な時間までは分からなかったはずだ。戦闘で命を狙われるより、よほど居心地が悪い。
セリアの口元が、わずかに引きつった。
「ようこそお越しくださいました。ラグルス様、セリア様」
レティシエラの父が、落ち着いた声でそう告げた。
穏やかな物腰だが、背筋の伸び方や目元の雰囲気にどことなくレティシエラの面影がある。
その隣に立つ母らしき女性も静かに微笑んでいた。
次の瞬間、二人は揃って深々と頭を下げる。
「いやいや! こっちがお邪魔させてもらう立場なんだから、顔を上げてください!」
あまりにも仰々しい歓迎に、セリアは思わず両手を振って制した。
《こいつの言う通りだ。今の時代に、我は何一つ関与しておらぬ。必要以上に畏まる必要はない》
ラグルスも、セリアに同調するように告げる。
「もちろん、私たちもそれは承知しております」
だが、レティシエラの父は顔を上げてもなお、その態度を崩さなかった。
「しかし、今の時代においてもラグルス様は、疑いようもなく私たちの神なのです」
その言葉は穏やかだったが、譲る気のなさもまた明白だった。
《……ならば、好きにしろ》
ラグルスは、わずかに諦めを滲ませながら呟いた。
(レティの両親なら『こう』なるのも無理ないか……)
セリアは小さく肩を落とした。
「お父様、お母様。この方々は、神であることを抜きにしても、わたくしにとっては命の恩人です。
恩に報いるよう最大限のおもてなしをいたしましょう!」
レティシエラが珍しく張り切った様子で両親に告げる。
「い、いや!ほんとに普通で良いから!
ずっと野宿みたいな生活だったんだ。屋根と寝床があるだけで十分すぎるって!」
思わぬ方向からの追撃に、セリアは両手を突き出して必死に制する。
「いえ、そういうわけには参りません」
レティシエラの父が穏やかに、しかし揺るぎなく口を開いた。
「神であり、娘の命まで救っていただいた恩人です。
不十分なもてなしをしたとなれば、私たちはこの里にはおれません。
お二人の意に反することは承知しておりますが……どうか、私たちに歓迎の機会をお許しください」
「うっ……ぐっ……」
セリアは、もはや反論の言葉すら出てこなかった。
《好きにさせてやれ。それが、こやつらのためでもある》
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玄関でのやり取りを終えて、セリアとレティシエラは二階のレティシエラの部屋へやってきていた。
「は~、もしかしたらミリラーネさんとの戦闘より疲れたかも……」
セリアはそのまま床にへたり込み、壁に背を預けた。
「すみません、セリアさん。わたくしもつい熱が入ってしまいました」
レティシエラは申し訳なさそうに眉を下げる。だが、すぐに姿勢を正し、少しだけ真剣な声で続けた。
「ですが、わたくしたちエルフにとって、ラグルス様とイーリア様は創造主であり英雄なのです。生まれた頃から聞かされる神話の方々……」
そこでわずかに苦笑する。
「……特にわたくしの両親は信心深いものですから、どうか大目に見ていただければと」
「わかったよ……。でもレティからも、ほどほどでいいって伝えておいてくれよ」
セリアは降参だと言わんばかりに両手を上げて答えた。
「わかりました」
レティシエラはそう答えたあと、ふとセリアの横顔に目を留めた。
「そういえば、セリアさんって髪はいつも、その骨?で纏めているんですね」
「ん? ああ、これね」
セリアは自分の後ろ髪に手をやる。
「迷宮の魔物の骨なんだけど、特にこだわりってないからずっと使ってたな」
セリアの髪は、迷宮時代から使っている骨を簪代わりにして、やや雑にまとめられていた。
「そうなんですね。何か思い入れのある品かと思いました」
レティシエラは少しだけ間を置いて、やや控えめに続けた。
「それで……もしよかったらですが、わたくしが以前使っていたもので良ければ、髪留めを使ってみませんか? 今のセリアさんの髪型も素敵ですけれど、他にも似合う髪型があると思うんです」
「そりゃありがたいけど……でも、どうしたんだ?急に髪留めなんて」
レティシエラの肩が、ぴくりと跳ねた。
「……以前から、他の髪型もお似合いになるだろうな、と、思っていたもので……」
「すみません。ご迷惑、でしたね。
……そもそもお渡しするにしても、わたくしのお下がりではなく新しいものを用意すべきでした。今の話は、どうかお忘れ下さい」
自分の使っていたものを渡そうとした――その事実に、なぜかレティシエラは胸が騒いだ。
「いや、別に迷惑なんて思ってないって!」
セリアは慌てて言葉を返した。
「ただ、ちょっと急だったから、どうしたのかなって思っただけでさ。
むしろ、レティが使ってたものなら、絶対センスいいだろうしな。ありがたく使わせてもらうよ」
セリアは、気負いのない声音でそう言った。
「……ありがとうございます」
少しの沈黙の後、レティシエラは小さく呟いた。
「わたしが貰う側だって!
……で、どんなのがあるんだ?」
空気を切り替えるようにセリアが身を乗り出す。
「ふふっ」
その切替の速さに、レティシエラの口元から笑みがこぼれた。
「そうですね。わたくし、以前はセリアさんくらい髪を伸ばしておりましたので、色々と残っているはずです。えーと……」
そう言って、レティシエラは化粧台の引き出しを探り出した。
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「随分無口だな、相棒」
化粧台を探るレティシエラの背中を眺めながら、セリアはふとラグルスに声をかけた。
《……お前の髪だ。我が口出しをする必要はない。戦闘の邪魔にならないのであればな》
「なんだよ。色々あるらしいから一緒に選んでくれてもいいだろ?」
《何を選んだとしても、お前には似合うだろう。故に我が選ぶ意味はない》
ラグルスにしてはあまりにも直接的な言葉に、セリアは目を丸くする。
「おいおいどうしたんだよ相棒。なんか、らしくないぞ」
《何を言っている。我の最高傑作たるその器に、似合わぬものなどあるはずがない。
別にお前を褒めているわけではないぞ》
いつもの調子でラグルスは答える。
「……ただの自画自賛かよ」
セリアは複雑そうに顔を引きつらせた。
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「これもよくお似合いです。セリアさん!」
レティシエラはいくつか見繕った髪留めを使いながら、セリアに次々と別の髪型を試していた。
最初のうちは遠慮がちに髪へ触れていたレティシエラだったが、今ではすっかり乗り気になっている。
「な、なぁ、レティ……」
何度目かの結い直しのあと、セリアが控えめに声をかける。
「いろいろ試してくれるのはありがたいんだけどさ、そろそろ……」
「――あ」
レティシエラは、そこでようやく我に返ったように瞬きをした。
「そ、そうですね……。すみません、少し調子に乗りすぎました。
ええと……セリアさんは、どれが良いとかありましたか?」
「そうだな~。正直、自分じゃよく分からないんだよ」
セリアは、少し疲れたような顔で答えた。
先ほどまで完全に着せ替え人形と化していたせいか、どこか目に見えて気力を削られている。
「せっかくだし、レティがこれがいいって思うやつを選んでくれよ」
「そうですね……。わたくしは、これが良いと思います」
レティシエラが手に取ったのは、ヘアリングだった。
金に彩られたリングに、白い花の意匠が施されている。
「セリアさんの赤い髪には、金色が似合うと思います。
……わたくしの好みの問題かも知れませんが」
そう言ってレティシエラは少し困ったように笑った。
「お、かわいいじゃん!今から使うから結ってくれよ!」
そういってセリアはレティシエラに背を向ける。
「お任せ下さい!」
レティシエラはセリアの言葉に、声を弾ませて答えた。
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結い上がった髪を、セリアは姿見の前で確かめていた。
いつもの無造作な束ね方とは違う、編み込みが施された高い位置での一つ結び。
紅い髪の中で、金のリングが輝いている。
鏡の中の自分に向かって、首を傾けたり、横を向いてみたり。
普段のセリアからは想像もつかないような仕草を、無意識に繰り返している。
その後ろで、レティシエラは静かにその姿を眺めていた。
自分が使っていた髪留めが、セリアの髪に使われている。
ただそれだけのことなのに、目が離せなかった。




