第四十八話 水浴び
「う、美味い……!」
セリアは肉を飲み込むなり目を見開き、思わず声を上げた。
次の瞬間、反射的にレティシエラの両肩を掴む。
「っ!」
「ほんとに美味いよ、レティ! ありがとう!」
陽だまり亭の食事で舌が肥えていたセリアだったが、迷宮時代の食事を思い出しながら口にした肉は、想像をはるかに超えていた。
その味に興奮したまま、立役者であるレティシエラへ顔を近づける。
「あ、ありがとう……ございます」
至近距離で向けられるセリアの笑顔に、レティシエラは視線を逸らしながら答えた。
「まさか、ここまでとは思わなかったよ。
わたしの肉焼き技術と、レティの精霊術が合わされば出店もできる!」
勢いのまま語るセリアに、レティシエラは耐えきれなくなったかのように顔を下に向け、控えめにセリアの肩を押し戻した。
「ち、近いです。セリアさん……」
「あ、ごめん!」
ようやく距離に気づき、セリアは慌てて手を離した。
「美味しくて、つい」
「いえ……嫌、というわけでは……」
そう答えたレティシエラの耳は、僅かに赤みを帯びていた。
________________________________________
食事を終えたあと、セリアたちは焚き火のそばで腰を落ち着けこれからの予定について簡単に話し合った。
《まだ時間的には余裕がある》
ラグルスが淡々と告げる。
《水の補給ができる地点まで移動し、そこで一度野営を行うぞ》
「い、いえっ。そこまでしていただかなくても――」
レティシエラが慌てて言いかけるが、ラグルスは被せるように続けた。
《お前の話を基に計算すると、エルフの里までは、このままの速度でも約二日と十一時間を要する。
中途半端な休憩を小刻みに挟むより、一度きちんと体調を整え、残りの行程を一気に進んだほうが効率的だ》
「そうだな」
セリアも頷き、首に手を当てる。
「わたしもそろそろ喉乾いてきたしさ。レティも遠慮するなって」
「……わかりました」
レティシエラは一瞬だけ考えるように視線を落とし、それから小さく頷いた。
「それでは……お言葉に甘えさせていただきます」
少し間を置いて続ける。
「水辺の位置は、先ほどの精霊術で把握しております。
ここからですと――あちらの方角に、五百メートルほど先。小さな池があるようです」
「流石だな、仕事が早い!」
セリアは素直に感心したように言ってから、軽く手を叩いた。
「じゃあ、そこ目掛けて出発するか!」
________________________________________
それから数分ほど歩き、セリアたちはレティシエラの示した場所へ辿り着いた。
「おお……結構ちゃんとした池だな」
眼前には、歪な形をした池が広がっている。直径は十メートルほど。
森の奥にひっそりと隠れるように存在していたが、水面は澄み、落ち葉や泥で濁っている様子もない。
「水も綺麗ですね」
レティシエラは池の縁に近づき、そっと水面を覗き込む。
「これなら、精霊術を使わずとも飲めそうです」
(……水の浄化もできるのかよ)
その何気ない一言に、セリアは思わず心の中で突っ込みを入れた。
《念のためだ。休む前に追手や魔物の気配を確認しておけ》
「わかりました」
レティシエラは小さく頷くと、静かに目を閉じ精霊術を使う。
一分ほどしてレティシエラは目を開いた。
「周囲に、脅威となる存在はありません」
「よし。じゃあ、水飲んでも大丈夫だな!」
セリアはそう言うとしゃがみ込み、池の水を両手ですくい上げる。
ためらいもなく口へ運び――
「うん。美味いな!」
喉を鳴らし、満足そうに笑った。
「レティも早く飲めよ。喉、乾いてるだろ?」
「はい」
レティシエラも池の縁に膝をつき、水をすくう。
澄んだ水が指の隙間を零れ落ちるのも構わず、そのまま口へ。
――ごくっ、ごくっ。
思わず音が立つほど、勢いよく喉を潤す。
よほど我慢していたのだろう。
飲み終えたあと、珍しく姿勢を崩して地面に座り込んだ。
「……いい飲みっぷりだな」
セリアが思わず口にする。
「あっ……」
レティシエラは一瞬だけ言葉に詰まり、
「……失礼いたしました」
と、緩めた姿勢を正し、背筋を伸ばした後そう答えた。
その声色には恥じらいよりも、真に反省の色が込められていた。
「いや、別に悪いことじゃないだろ?むしろ、ちょっと気を抜いてもらった方がわたしもやりやすいし」
「そ、そうでしょうか……」
レティシエラは戸惑いが残る声で答える。
「もちろん、無理にとは言わないけどさ。レティがやりやすいようにしてくれれば、それでいいよ」
幼い頃から振る舞いや礼儀を厳しく躾けられてきたレティシエラにとって、今までなら叱られていたであろう場面だった。
それを叱られるどころか受け入れられたことに、驚きと、今まで味わったことのない感覚が胸に残る。
本来であれば、どこか身構えてしまう状況。
けれど――
セリアの前では、不思議とその必要がないように思えた。
ほんの少しだけ。
気を抜いていても、許される気がした。
「セリアさんって、なんといいますか、その……」
短い沈黙。
言葉を探すように視線を彷徨わせる。
「あっ」
そして、ようやくそれらしい単語を見つけ出し口にする。
「人たらし?ですよね」
「えっ!?」
予想外のレティシエラの言葉にセリアは思わず声を上げる。
「はっ……!」
その反応を見た瞬間、レティシエラは我に返り慌てて口元を押さえる。
気を緩めすぎた結果、思いついた言葉を深く考えもせず、そのまま口に出してしまったのだ。
「わたくし、なんて失礼な事を……! どうか、お忘れ下さい!」
「あっははははは!」
一瞬、豆鉄砲を食らった鳩のように固まっていたセリアだったが、次の瞬間には堪えきれないように笑い声を上げていた。
「いいよ、気にしなくて。いいじゃん、普段からそれくらいでいてくれよ」
失言をして青くなるレティシエラをよそに、セリアは続ける。
「人たらしか。全く自覚は無かったけど、レティからはそう見えたってことだよな。
どうしてそう思ったんだ?」
失礼を重ねないよう、慎重に言葉を選びながらレティシエラは答える。
「……そう、ですね。
裏表が無いと言いますか、いつもはつらつとしていて親しみやすい感じがして……」
「なんか照れるな……」
「食堂で看板娘として慕われていたのも、そういった人柄が人々を惹きつけたのだと思うのです」
(それは相棒がやたら気合を入れて創った、この見た目のせいな気がするけどな)
セリアはそう口に出しかけるが、心のなかで呟くに留めた。
「はは……でも、そう見えてたなら嬉しいよ。ちょっと恥ずかしいけどさ」
「ええ。セリアさんは親しみやすくて……素敵な方だと思います。
最初からそう言えば良かったのですね。先程は本当に失礼な事を申し上げました……」
《……話は終わったか? そろそろ野営の準備を始める頃合いだろう》
暫く黙っていたラグルスの声が響く。
「あー、まあそうだな。 それじゃ、野営の準備でもするか!」
場の空気を切り替えるように、セリアが手を叩く。
「……って言っても、特に物資があるわけじゃないけどな」
《そうだな。先程、食料は確保している。
出来ることといえば、寝床の用意くらいだろう》
「まあ、わたしはまだ寝なくても平気だし。レティの分だけ用意しとけばいいか」
「わたくし、野宿には慣れておりますので……特に準備は不要です」
「それなら、ほんとにやることないな……」
セリアは少し考えるように顎に手を当てる。
「じゃあ、水浴びでもするか」
「えっ!?」
思わず、レティシエラの声が裏返った。
「ん? 嫌だったか?」
《我のことを気にしているのであれば、心配は不要だ。神は被造物に対して欲情することはない》
「いや、多分そういう問題じゃないと思うぞ……」
セリアは苦笑しながら頭をかく。
「でも、本当に心配しなくていいって。
相棒のことなら、一時的に遮断するくらいはできるからさ」
《おい、我の話を聞いているのか? 神は――》
「はいはい、っと」
セリアが軽く指を鳴らした瞬間、ラグルスの声がぷつりと途切れた。
「これで一時間くらいは相棒は何も聞こえないし、見えもしないはずだ」
「ありがとう、ございます?」
レティシエラは咄嗟に礼をするが、その言葉はどこかぎこちない様子だった。
けれどセリアは、そのことに気づいた様子もなく池の方へと歩き出していた。
________________________________________
「あ~……やっぱ水浴びはいいな。生き返る」
セリアは池に浮かび、空を仰ぎながら大きく息を吐いた。
冷たい水が肌を包み、歩き続けていた身体の熱が、ゆっくりと抜けていく。
「レティも来いよ。あんまりゆっくりしてると、相棒が復帰してくるぞ」
「は、はい……」
レティシエラの返事は、ひどく小さかった。
視線を逸らしたまま、少し距離を取るようにして池の縁に立つ。
やや間を置いてから、ぎこちない動作で衣服を外し、セリアとは反対側へ背を向けて水に浸かる。
(……あれ?)
セリアは水面に揺られながら、その様子を横目で見た。
(なんか、やけに落ち着きがないな。
エルフって……同性同士でも、一緒に水浴びとかしないもんなのか?)
一瞬、ラグルスに聞こうとして、すぐに自分で遮断していたことを思い出す。
「……」
少し考えた末、セリアは身体を起こし声をかけた。
「もしかして……一緒に入るの、嫌だったか?」
レティシエラの肩が、ぴくりと揺れる。
「女同士だし、別にいいかなって思ったんだけどさ。
ごめん、わたし……その辺の感覚、あんまり分からなくて」
「……い、いえ! そんなことはありません!」
慌てて否定してから、レティシエラは言葉を探すように続ける。
「ただ、その……自分でも、よく分からなくて……」
レティシエラとしては、今まで同性同士で水浴びをした経験がなかったわけではない。
けれど、そのときに、今のような感覚を覚えたことは一度もなかった。
「そっか」
短く答えたセリアはそれ以上深くは追求せず、また仰向けになり空を見上げる。
木々の隙間から覗く太陽は、すでにゆっくりと傾き始めていた。
「……セリアさん。ありがとうございます」
唐突に、レティシエラが口を開いた。
「ん? なんだよ、急に」
「わたくしを……連れて行ってくださったことです」
少し間を置き、照れたように続ける。
「ふと、お礼を言いたくなりました」
「何言ってるんだよ」
セリアは肩の力を抜いたまま、気軽に返す。
「この旅じゃ、レティのほうがよっぽど役に立ってるだろ?
わたしなんて、戦闘以外じゃ出来ること少ないしさ」
「……」
「レティがいてくれて、正直、すごく助かってる」
「……優しいですね。セリアさんは」
ぽつりと零れたその言葉に、セリアは一瞬だけ黙り、
「やめてくれよ」
照れ隠しのように、軽く笑った。
「わたし、褒められるの慣れてないんだ。なんせ、相棒がアレだからな」
セリアは冗談めかしてそう言った。
「さ。これ以上、相棒を遮断したままだと後が怖いしな。わたしはそろそろ上がるよ」
そう告げると、セリアはレティシエラから少し距離を取り、池から上がっていった。
________________________________________
「……」
一人、池に残されたレティシエラは、冷たい水の中に身を沈めたまま静かに息を吐く。
レティシエラの胸元を中心に、細かい水紋が幾重にも重なる。
いつもなら慣れているであろう水の冷たさを、レティシエラは今も感じていた。
(……もう少しだけ、こうしていましょう)
理由は自分でもうまく言葉にできないまま、レティシエラはしばらくの間、静かな水の感触に身を委ねることにした。




