第四十三話 その後
「なんとか、ここまで来れたな」
セリアの部屋。
陽だまり亭の二階、いつもの小さな部屋の中には、今は二人きりだった。
ベッドの縁に腰かけているのは、紅い髪の少女セリア。
その向かい、椅子に背筋を伸ばして座っているのは、白金の髪を揺らすエルフの女、レティシエラ。
「……本当に」
レティシエラは、膝の上で指を組んだ。
安堵のせいか、意識は自然と「あの後」からここに至るまでをなぞり始める。
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――セキトが、爆炎の中で消し飛んだ直後。
レティシエラは、しばらく立ち上がることができなかった。
膝が震えているのか、心が震えているのか、自分でも判断がつかない。
ただ、目の前の光景だけは、はっきりと焼きついていた。
紅蓮をまとった少女。
結晶炎を纏った剣槍を手に、静かに立つその姿は――
(綺麗……)
ミリラーネの口から何度も聞かされてきた、かつての神々の物語。
その中に描かれていた英雄が、まさに今、目の前で呼吸をしているように思えた。
(本当に、ラグルス様たちの時代から抜け出してきたみたい……)
やがて、不知火の炎衣がふっと揺らぎ、ゆっくりと薄れていく。
炎がほどけ、光が消えて――
「……あ」
レティシエラは、思わず声を漏らした。
白い肌。煤に汚れながらも、どこまでも整った肢体。
そして、胸元で静かに光る、ひとつのネックレスだけ。
レティシエラの思考が、一瞬、完全に止まった。
炎衣が消えた結果、セリアは完全な裸体になっていた。
「…………セ、セリアさん!?」
レティシエラは、慌てて声を上げる。
耳まで真っ赤になったのが、自分でも分かった。
「な、な、なにを……っ、その……っ!」
どこを見ればいいのか分からず、視線が落ち着きなく揺れる。
当の本人はというと、
「ん? ああ」
セリアは、自分の体をちらっと見下ろし、「なるほどね」とでも言いたげに、軽く頷いただけだった。
「へぇ、不知火使ったら服は全部燃えるんだな」
「『へぇ』ではありません! その……っ、とにかく、何か身に着けてください!」
レティシエラは半ば悲鳴のような声を上げる。
「人前でそんな、平然と……! 恥ずかしいとは思われないのですか!?」
セリアは首を傾げる。
「全然。ていうか女同士だから別にいいだろ?」
あまりにもあっさりした返答に、レティシエラは言葉を失う。
「正直、服着てるほうが落ち着かないっていうか……」
「価値観の差が過ぎます!」
レティシエラは、あわてて自分のマントを脱ぎ捨てるように外し、
セリアに駆け寄って肩からぐいっと掛けた。
「と、とにかく、なにか身に着けてください!」
「お、おい、引っ張るなって」
セリアは苦笑しながらも、マントを受け入れ、前を軽く合わせる。
それだけで、さっきまで神に見えていた輪郭が少しだけ人間に近づいた気がした。
「別に裸でも良かったんだけどな」
「良くありません」
レティシエラがきっぱりと言い切ると、セリアは肩をすくめるだけにとどめた。
代わりに、掛けられたマントの端を少しだけ強く握りしめる。
「……まぁいいや」
セリアは、少し真顔に戻る。
「詳しいことは、あとで話す。いったん街に戻ろう。わたしの部屋で、ちゃんと」
「……分かりました」
レティシエラが頷くと、セリアは一度だけ周囲を見回す。
焦げた土、黒く焼けた金属片。
そして――
崩れ落ちたまま動かない、リカルドの身体。
その視線に気づいたレティシエラは、セリアのほうを見た。
「……少しだけ、時間をいただけますか」
「……ああ」
セリアは短く頷く。
「ここで待ってる」
「……ありがとうございます」
レティシエラは膝を折り、リカルドのそばへと歩み寄った。
かつて、同じ里で育った青年。
真面目で、要領が良く、決して弱い男ではなかった。
(どうして……)
答えの出ない問いが渦を巻く。
責めたい相手は多すぎて、結局誰一人、きちんと責めることができない。
「リカルド」
そっと、閉じられたままの瞼に手を置く。
「あなたが選んだ道は……わたくしには、受け入れられません」
静かに言葉を紡ぐ。
「でも、あなたとのこれまでの全てが、嘘だったとは……思いたくないのです」
レティシエラの手に、かすかな光が集まる。
指先から淡い光粒がこぼれ、リカルドの身体を柔らかく包んでいった。
小さな風が吹き、周囲の草木がほんのわずかに揺れる。
「……どうか、精霊たちのもとで、少しは穏やかに過ごせますように」
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その後、レティシエラとセリアはスラムの拠点へと向かった。
地下へ続く階段を降りるたび、レティシエラの中に、重しがひとつずつ積み上がっていく。
血の匂い。焦げた匂い。
そして、もう二度と返事をしないはずの仲間たちの顔。
「……」
奥へ進んだ先で、地下室の惨状が視界いっぱいに広がった。
床に横たわる、獣人、龍人、エルフたち。
(わたくしを……逃がすために)
唇を噛みしめながら、レティシエラはひとりひとりの顔を見て回る。
名前を呼び、短く言葉をかけ、最後にそっと瞼を閉じてやった。
セリアもそれに倣うように、遺体のそばに膝をつき、ときおり苦い表情で目を閉じる。
「……ごめんなさい」
守る側でありたかった。
そのためにここへ来たはずだった。
それなのに――結局、守られたのは自分の方だった。
レティシエラは、深く息を吸い込み、静かに術式を紡ぎ始める。
「……精霊たちよ。
どうか、この者たちの眠りを、やわらかく包んであげてください」
レティシエラの周囲に淡い光がふわりと溢れ、
倒れた者たちの周りに、やわらかな風と、草花の気配が満ちていく。
リカルドにも使った弔いの精霊術。
今度は、それをずっと大きな規模で。
光が静かに消えたとき、彼らの身体の周りには、ぽつぽつと、小さな花々が咲き誇っていた。
「……せめて、最後くらいは」
せめて最後くらいは、踏みつけられたままでは終わらせたくなかった。
やがてレティシエラはそっと立ち上がり、拠点の片隅へと目を向ける。
そこには、予備の衣服や布が積まれた箱があった。
エルフ用、人間用、獣人用――ばらばらに集められた衣服たち。
「……セリアさんの、服を」
レティシエラは箱に手を伸ばす。
背後ではセリアが静かに遺体の間を歩き、入口近くへと移動して、見張るように立っていた。
「なぁ、サイズとかは任せていいか?」
「はい。……元々着ていた服に近いものを」
レティシエラは、セリアの服装を思い浮かべながら衣服を選んでいく。
丈の短い半袖。膝丈のハーフパンツ。
元の格好と比べて、できるだけ違和感が少なそうな組み合わせを探す。
「……これくらい、でしょうか」
腕に抱えられるだけ抱えて振り返ると、
セリアは、仲間たちの眠る部屋を寂しげな表情でひとわたり見渡していた。
「行こうか」
「……はい」
レティシエラは抱えた衣服を胸に、セリアのもとへと歩み寄る。
セリアはそれを受け取ると、マントの陰で手早く着替えた。
脱いだマントはレティシエラの手に戻り、彼女はそれをふたたび自分の肩へと羽織る。
そうして身支度を整えると、二人は静かに拠点を後にした。




