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炎神少女は、歪んだ世界に火をつける  作者: ぱぱんむ
第二章 リレンヌ篇
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第四十話 裏切り

レティシエラとの別れから数日が過ぎた。


その日も陽だまり亭は、昼の客で程よく賑わっていた。

香ばしい肉とスープの匂い、酒場ほどではないが、笑い声と食器の触れ合う音が絶えない。

セリアはトレイを片手に、空いた皿を下げたり、水を運んだりしながら耳を澄ませていた。


――きっかけは、奥のテーブルから聞こえた一言だった。


「なぁ聞いたか? スラムの方でさ、異種族どもの巣が見つかったって話」


がたん、とセリアの手がわずかに止まる。


すぐに何事もなかったように皿を並べ直し、自然な足取りを装って、そのテーブルの近くを通り過ぎた。


「どうせいつもの数人程度のやつだろ」


「いやいや、今度のはマジらしいぜ。聖衛隊が動いたってよ」


「聖衛隊が?」


セリアは、空いている皿を下げるふりをして、会話をしている男たちの横に立った。


「すみません、お皿下げても大丈夫ですか?」


「ああ、頼むよ」


男たちのひとりがトレイに皿を乗せてくる。その皿を受け取りながら、セリアはさらりと口を挟んだ。


「さっきの話、聖衛隊がどうかしたの?」


「ん? セリアちゃん、興味あるのかい」


「いや、なんか最近物騒だって話は聞くしさ。気にはなるよ」


少しだけ身を乗り出すセリアに、男は酒を一口あおってから、得意げに続けた。


「スラムの奥でよ、異種族どもが反乱だか逃亡だかの拠点を作ってたらしくてな。

それを聖衛隊が見つけて、今、粛清に向かってるって。スラムの近くで、鎧姿を見た奴がいるんだと」


「粛清って……! それ、本当なのか?」


思わず、声が一段高くなっていた。

笑い声が少しだけ収まり、近くの客の視線がセリアへと向く。


「お、おおう? なんだい急に」


「そういうのって、ちゃんとした筋からじゃないと……ほら、ただの噂だったら困るだろ」


自分でも食い気味すぎたと気づき、セリアは慌ててトーンを落とした。


「その、知り合いがスラムで商売してるからさ。間違いだったら、変に怖がらせても悪いし」


取り繕うように笑うと、男は「ああ、なるほどな」と顎をさすった。


「まぁ、噂は噂だ。だが、聖衛隊を見たって奴は一人二人じゃないってさ。

それに、異種族どもの反乱の芽を摘むとかなんとか、門番連中もひそひそやってたって話だ」


セリアの背中に、冷たいものが走る。


《……まずいな》


ラグルスの声が、耳の奥で低くうなる。


「なぁセリアちゃん、そんな顔すんなって。聖衛隊が動くってことは、俺たちの方には被害は来ないってことだ」


「そうそう。危ない奴らをさっさと片付けてくれるなら、有難い話だろ」


別の男が笑いながらそう言った瞬間、セリアは強く歯を噛んだ。


「……なるほどね。ありがと、教えてくれて」


努めて平静を装い、トレイを抱えてカウンターへ戻る。


メリダが心配そうにセリアの顔を覗き込んだ。


「セリアちゃん? どうしたの、ちょっと顔色悪いわよ」


「えっ、ああ、ごめん。ちょっと……お腹の調子が悪いかも」


自分でも苦しい言い訳だと思いながら、セリアは腹を押さえるジェスチャーをした。


「え、大丈夫? 無理しなくていいのよ?」


「うん。ちょっと外の空気吸ってくる。すぐ戻るから」


そう言うが早いか、セリアはエプロンを外してカウンターの端に置いた。


「本当に平気?」


「平気平気。戻らなかったら……そのときは、ちょっと寝込んでると思ってて」


メリダに向けて苦笑を浮かべると、そのまま裏口から店を飛び出した。


《完全に怪しまれておるぞ》


「今はどうでもいい」


セリアは短く答え、リレンヌの大通りを抜けてスラムの方角へと駆け出した。


________________________________________


大通りを外れ、あの日と同じ路地へ入る。

だが、空気はまるで違っていた。


ひび割れた石畳の上に、黒く乾きかけた血が点々と落ちている。

積み上がった木箱は、何かに叩き割られたように砕け散っていた。


曲がり角をひとつ抜けたところでセリアは足を止めた。


獣人の男が、うつ伏せに倒れている。

背中には深い斬り傷。既に事切れて久しく、血は暗い色に固まっていた。

さらに進むと、龍人の女が壁にもたれかかるように倒れていた。

角は折られ、胸元には焼け焦げた痕。


「……聖衛隊、か」


セリアは吐き捨てるように呟き、視線を前へ向けた。


何度も通った路地。先に見える崩れかけた倉庫。

その手前にも、数人の異種族が転がっていた。

誰も動かない。誰も、もう何も言わない。


《急げ。扉の向こうも、無事とは限らん》


「言われなくても」


セリアは倉庫の裏手へ回り込み、地下への階段を駆け下りた。

________________________________________


地下室の扉は、半ば吹き飛ばされていた。

木片と石片が散らばり、焦げた匂いが鼻を刺す。


中は、めちゃくちゃだった。

机は真っ二つに割れ、紙束は血と灰で汚れて床に散乱している。

壁には焼け焦げと斬撃の痕。

床のあちこちに、異種族たちが倒れていた。

いつもレティシエラが立っていた机の前にも、数人のエルフが重なるように崩れ落ちている。


部屋の隅に、見覚えのある姿が見えた。


「おい……」


セリアは駆け寄る。


そこには、背骨狼討伐のとき一緒に戦った獣人の青年が倒れていた。

肩口から脇腹にかけて大きな裂傷が走り、血がじわりと染みている。

まだ、かすかに胸が上下していた。


「……セリア、さん……ッスか」


かろうじて開いた瞳が、セリアを捉える。


「喋るな」


セリアは片膝をつき、できるだけ傷に触れないよう支えた。


「今、止血くらいなら――」


獣人の青年が首をわずかに振った。


「……いいッス。自分のことは……もう」


「……何があった」


セリアは、無理矢理声を落ち着かせて問う。


「レティシエラは? どこに行った」


青年の耳が、ぴくりと震える。


「……今日は、レティシエラ様の、出発の日だったんス」


途切れ途切れの声で、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。


「みんなで……小さな、お別れ会みたいなの、やってて。

酒、ちょっとだけ出して……レティシエラ様、あんまり飲めないから、薄いの用意して……」


そこまで言って、青年は苦笑にもならない息を漏らした。


「そしたら……リカルドさんが、急に言ったんス。実は、サプライズがあるんですって……」


セリアの背筋が冷たくなる。


「みんな、てっきり……セリアさんが来てくれたんだって。

出発前に、顔出してくれたのかと思って……入口の方、見たッス」


青年の視線は、吹き飛んだ扉の方へ向く。


「……でも、そこにいたのは……聖衛隊だったッス」


地下室にいた異種族たちが、一斉に凍りついた光景が、獣人の青年の脳裏に蘇る。

________________________________________


『全員、その場から動くな!』


白銀の鎧に身を包んだバランティン聖衛隊の隊士たちが、階段から雪崩れ込んできた。

リカルドは、その先頭に立つ男――セキトの横に、当たり前のような顔で並んでいた。


『リカルド……?』


驚愕に目を見開くレティシエラ。


『すみませんね、レティシエラ様。――これでようやく、全部終わりますよ』


穏やかな声色のまま、リカルドは一番近くにいた龍人の男の胸を、迷いなく突き刺した。

血が噴き出し、悲鳴が上がる。

それと同時に、聖衛隊の隊士たちも室内へなだれ込み、容赦なくフィアスを叩き込んだ。


獣人の青年は、咄嗟に槍を手に取り、仲間を庇うように前へ出た。


『レティシエラ様を裏口へ! 通路を使って逃がせ!』


誰かが叫び、数人がレティシエラの腕を掴んで奥の隠し扉へ走る。

レティシエラは振り返り、隊士たちに向かおうとした。


『わたくしが時間を――』


『駄目ッス! レティシエラ様までやられたら、本当に終わりッス!』


獣人の青年はレティシエラの前に立ちはだかり、必死に叫んだ。


『時間は、俺たちが稼ぐッス! レティシエラ様は……里に戻って、このことを伝えてくださいッス!』


レティシエラの瞳が揺れる。


『……必ず、戻ります』


短くそう告げ、レティシエラはエルフたちに押し出されるようにして隠し扉の向こうへ消えた。


残されたのは、獣人と龍人と、数人のエルフ。

彼らは、なだれ込んでくる聖衛隊に向かって武器を構える。

だが、聖衛隊のフィアスの前には、何もかもがあまりにも軽かった。

________________________________________


「全然、歯が立たなかったッス……。

フィアス、剣の速さ……何人かでかかっても、すぐ、ばらばらにされて……」


青年は苦しげに息を吐きながら続ける。


「それでも必死に、時間稼ぎしようとしたッスけど……。あっという間に倒されて……。リカルドさんと、聖衛隊が、レティシエラ様を追って……裏口の通路へ……」


そこまで語ったところで、青年の呼吸がひときわ浅くなる。


「レティシエラ様は……きっと、まだ……。セリアさん……お願い、ッス……。レティシエラ様を……」


最後の言葉は、かすれた息とともに途切れた。

獣人の青年の体から、完全に力が抜ける。


セリアはそっとその瞼を閉じた。


「……悪い。助けに来るのが遅かった」


短く呟いて立ち上がると、崩れた壁のほうへ視線を向ける。

裏口へ続く通路の位置は、前にレティシエラと一緒に通ったおかげで頭に入っていた。


《行く気か》


「当たり前だろ。レティシエラがまだ向こうにいる」


セリアはもう一度だけ周囲を見回した。

生きて動ける者は、もうここにはいない。

彼女の動きを見ているのは、血に染まった床と、冷たくなった仲間たちだけだ。


「……ここなら、偽装する必要なんてないよな」


右手のひらを軽く開き、意識を集中させる。

次の瞬間、何もない空間から、ぽっと小さな炎が生まれた。


それはセリアの指の動きに応えるように形を変え、細い尾と四本の脚を持つ、猫の輪郭を取っていく。


「――起きろ、金火猫キンカビョウ


炎が一度だけ強く瞬き、金色の毛並みに似た火の揺らめきが、猫の全身を包んだ。

燃える猫は、ぱちぱちと火花を散らしながら静かにセリアを見上げる。


「レティシエラの匂い、覚えてるだろ。あいつのところまで、まっすぐ案内しろ」


金火猫は返事代わりに、尾をひと振りした。

足元に小さな火花の軌跡を残しながら、裏口のほうへ向かって駆け出していく。


セリアは金火猫を追って裏口へ続く通路へ飛び込んだ。


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