第三十八話 葛藤
レティシエラとの共闘から一月が過ぎた。
そのあいだセリアは陽だまり亭で働きながら、毎日のように顔を出すレインズや常連客たちと世間話を交わし、店が休みの日には人目を避けてレティシエラの拠点を訪れ、ウィアードと聖衛隊、そして各種族の現状について少しずつ情報を集めていった。
朝は仕込み、昼は接客、夜は片付け。
その合間に耳に入ってくる噂話の一つひとつが、セリアにとっては見知らぬ世界を形づくる欠片だった。
あの日レティシエラたちと共に森へ出て、背骨狼の巣を潰した一件も、その欠片のひとつだ。
「いつもありがとねぇ、セリアちゃん! すっかりこの街でも有名人になっちゃって。おばちゃん、なんていい子を拾ったんだろうねぇ」
カウンター越しに、メリダが笑いかける。
「いやいや、わたしのほうがほんとにお世話になってるよ。感謝してるよ、おばちゃん。
……そうだ。今日は定休日だから、なんか欲しいものでもあったら買ってくるよ」
「あら! そんな、気を遣わなくたっていいのよ。セリアちゃんのおかげで売り上げ二倍以上になってるんだから、お互い様よ、お互い様」
「そう? でも、わたしが買いたい気分なんだ。だから嫌って言っても買ってくるから」
「そこまで言うなら……そうだねぇ。でも、あんまり高いものは駄目よ? ほんとに何でもいいからね?」
「わかったよ」
セリアはエプロンの紐をほどき、小さく笑みを浮かべて頷いた。
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街路に出てしばらく歩いたところで、ラグルスの声が響く。
《この一月で、かなりの情報が集まったな》
「そうだな~。とりあえず、当初の目的は達成できてるよな」
《その通りだ。聖衛隊の戦力も、おおよその把握はできた》
セリアは、このあいだにレティシエラたちから聖衛隊についても詳しく聞き出していた。
バランティン聖衛隊――その総数はおよそ二千。
うち半数以上が王都に詰めており、残りが各地の要所に散っている。
そのなかでも、実力と功績で選ばれた上位七名だけが別格として扱われる。
――七柱。
「一人ひとりが小さな災害」と評されるほどの戦力を持つフィアス使いたちだ。
リレンヌに駐在している聖衛隊は、二十名ほど。
スラムで獣人の少年を蹴り飛ばした、あの男――セキトがその中で最も階級が高く、次の七柱候補、と囁く者もいるとレティシエラは教えてくれていた。
一人で災害どうこうなんて話は、酒場の酔っぱらいでも口にする。
だが、そのときのレティシエラの表情は、冗談を言っている顔ではなかった。
そのことを思い出しながら、セリアは無意識に指に力を込める。
「七柱だっけか。相当強いみたいだけど、どうかな? わたしと比べて」
《あくまで噂で聞きかじった程度だ。参考にはならん。
……だが、借り物の力に負けるほど、お前の百年は安くあるまい》
ラグルスの声音には、揺るぎない確信があった。
「……だよな」
セリアは、胸の奥にへばりついていた重さが、ほんの少しだけ薄くなった気がした。
《とはいえ、悠長にもしておれん》
《この一月で掴んだ情報だけでも、動くには足りる。行動を起こすなら早いほうが良いだろう》
「そう、なんだけどさ……。
――あっ、あそこのアクセサリー、おばちゃんに良いんじゃないか?」
セリアは視線をそらし、わざとらしく露店の並ぶ方角を指さした。
色とりどりのガラス玉や、小さな石をあしらった安物の飾りが、朝日を受けてきらきらと光っている。
《誤魔化すな》
「誤魔化してないって」
口ではそう言いながらも、セリア自身、そろそろ潮時だということは理解していた。
リレンヌの街は、居心地が良い。
少なくともこの街では、他種族への扱いに目をつぶれば平和そのものだ。
犯罪もほとんど起こらず、人々は笑いながら暮らしている。
陽だまり亭には、毎日誰かが「うまかった」と言って帰っていく。
(……これを、壊すことになるのか?)
心のどこかで、ウィアードを倒すことで、この平和が崩れてしまうのではないか――
そんな疑問が、何度も頭をもたげていた。
《……お前の考えていることはわかる》
《だがウィアードは、気まぐれで動く。奴がこのまま、歪ながらも平和を維持し続けるとは到底思えん。どこかで必ず、意図的に破綻させてくるだろう》
「だとしても! ……こんなに長い間、一応平和を維持してきてるんだ。
まだ数百年、ひょっとしたら千年以上、このまま続けるかもしれないだろ」
セリアは思わず声を荒げてしまい、はっとする。
近くを歩いていた人々が、一斉にこちらを振り向いた。
「……あ、いや、その、ほら。安くてかわいいのに、買うか迷うな~ってさ」
慌ててアクセサリーの棚を指さしながら、乾いた笑いを浮かべる。
視線を向けてきた何人かが、「なんだ、買い物か」といった様子でまた歩き出した。
《落ち着け。ここは迷宮ではないぞ》
「わかってるよ」
セリアは小さくため息を吐き、指先で並んだガラス玉を突いた。
その横顔には、迷宮で燃やしてきた復讐の炎とは別の、鈍い迷いが影を落としていた。
「……すみません。これ、下さい」
なんとなく目についたオレンジ色のブレスレットを指さす。
特別高価なものではない。けれど、陽だまり亭の暖かな空気と、いつも笑っているメリダには、こういう色が似合いそうだと直感で思った。
代金を払って紙袋を受け取ると、そのまま腰の小さなポーチにしまいこむ。
再び通りを歩き出しながら、セリアは小さく舌打ちした。
(くそっ。こんなの、どうすりゃ……)
街は変わらず平和だ。
子どもたちの笑い声や商人たちの呼び声が通りを賑やかす。
それらすべてが、「このままでいい」と囁きかけてくる。
気づけば、セリアの足は自然とスラムの方角へ向かっていた。
無意識に、レティシエラの元へ。




