第三十四話 再訪
拠点を訪れてから数日が過ぎた頃。
またの定休日に陽だまり亭を出たセリアは、スラム街の奥へと足を向けていた。
レティシエラの拠点を訪れるのは、これで二度目だ。
大通りを外れ、人気の少ない路地に入ると、空気が目に見えて変わる。
リレンヌの「表」と「裏」の境目は、一本の路地を挟んだだけだ。
(……追いかけてきてる気配は、なし)
角を曲がるたびに、さりげなく後ろを確かめる。
誰の視線も自分を追っていないことを確認してから、セリアはさらに奥へと進んだ。
やがて、崩れかけた倉庫が見えてきた。
その裏手。地面にぽっかりと口をあけた、地下への階段。
セリアは何事もない顔で、暗がりへと降りていった。
地下室の扉を開けると、複数の視線が一斉に向けられる。
獣人の少年が耳をぴくりと動かし、龍人の女が磨いていた短剣を止める。
机の向こうでは、銀髪のエルフの青年が顔を上げた。
その中央で、レティシエラが書類をまとめていた。
入口の気配に顔を上げ、そこに立つセリアの姿を認めると、レティシエラは一瞬だけ目を丸くする。
「……セリアさん?」
すぐに表情がほどけ、安心したような笑みが浮かんだ。
「また来てくださったのですね。いらっしゃい」
「お邪魔するよ。……なんか、今日はやけにピリピリしてないか?」
セリアは周囲をぐるりと見渡す。
前回来たときより、武装した構成員が目に付き、空気も張り詰めている。
「ええ、少し外に出る用事がありまして」
レティシエラは机の上の地図を指先で叩いた。リレンヌ周辺の簡略な地形が描かれている。
「ここ最近、わたくしたちが獣人の里とやり取りをしているルートで、行方不明者が出る事件が頻発しているのです」
「……魔物か?」
「はっきりとはわかりません。今のところ目撃情報もないもので」
レティシエラは目を細めた。
「何者の仕業であろうとも、実際に人がいなくなっている以上、調査は必要です。ですが、今回の調査に回せる人員が少なくて……」
「すみません、レティシエラ様」
側にいた獣人の青年が悔しそうに耳を伏せる。
「昨日の奴隷商の襲撃で、動ける者が三人ほど減ってしまって……」
レティシエラは首を振った。
「責めているわけではありませんよ。むしろ、よく守ってくれています」
そう言ってから、セリアのほうへ視線を向けた。
「――という事情で、できればわたくし自身で現地を見ておきたいのですが、最低限の人数しかつけられない状態なのです」
「ふーん」
セリアは組んでいた腕をほどき、少しだけ考える素振りをしたあと、あっさりと言った。
「じゃあ、わたしがついていこうか」
「……え?」
一瞬、部屋の空気が止まる。
レティシエラだけでなく、周囲の獣人やエルフたちも、驚いたようにセリアを見た。
「いや、今日は休みなんだ。時間は全然あるし」
《……そう言いつつ、放っておけんのだろう。お前は》
(うるさいな。相棒は黙ってろよ)
心の中でセリアは突っ込みを入れる。
「……助かります。ですが、本当に危険かもしれませんよ?」
「危険だからこそだろ? 心配しなくても足手まといにはならないさ」
セリアは軽く拳を握ってみせた。
「それに、あんたらだけで行かせてさ、全滅されたら目覚めが悪いからな」
レティシエラは小さく吹き出した。
「ふふ、物騒な言い方をなさいますね」
「そういう拠点だろ、ここ」
「……確かに」
笑いを収めると、レティシエラは姿勢を正した。
「では、お願いしてもよろしいでしょうか。セリアさん」
「ああ。任せとけ」
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準備を終えた一行は、レティシエラ、セリア、それに獣人の青年とエルフの青年の四人だった。
「で、どうやって外に出るんだ? 門から堂々と出るわけにはいかないんだろ」
セリアが尋ねると、レティシエラは「こちらです」と拠点の奥へ歩き出した。
普段は荷物置き場として使われている一角。
積み上げられた木箱を二つほどどかすと、その裏から古びた石壁が現れる。
「ここ、壁しかないように見えるけど」
「壁だけではないのです」
レティシエラは石壁に埋め込まれた、小さな飾り石にそっと指を触れた。
かちり、と小さな音がして、石がわずかに沈み込む。
次の瞬間、壁の一部が音もなく手前にせり出した。
「……隠し扉、か」
「はい。リレンヌが今の形になる前に造られた、避難用の通路だと聞いています」
レティシエラは小さなランタンに火を灯した。
「ミリラーネ様が、里に残っていた古い記録から場所を割り出してくださって。
この拠点を選んだ理由のひとつでもあります」
「なるほどね」
セリアは感心したように鼻を鳴らし、暗闇の中へと足を踏み入れた。
通路の中は、ひんやりと湿った空気に満ちていた。
粗く削られた岩肌の壁に、ところどころ古びた鉄の支柱が打ち込まれている。
「本来は、人間たちを逃がすために造られたものだそうです」
先頭を歩きながら、レティシエラがぽつりと言った。
「戦争や暴動が起きたときに、城壁の外へ人々を逃がすための道。……それが、今では、わたくしたちが人間たちから逃げるための道になってしまいましたが」
「皮肉だな」
セリアは鼻で小さく笑い、手で通路の壁を軽く叩いた。
「誰が造ったかなんてのは知らないけどさ。こういうのが残ってたおかげで、あんたたちが今も動けてるのは確かだろ。造ったやつが今のリレンヌを見たら、どんな顔するのかは分からないけどさ」
レティシエラは、ふっと口元を緩めた。
「……ミリラーネ様も、時々似たようなことを仰います」
「エルフの長、だっけ」
「はい。昔の話をよくしてくださるんです。ラグルス様とイーリア様がまだ地上におられた頃のこと……」
「子どもの頃から、何度も何度も聞かされていました。人間たちと、他種族と、神々が、今より少しだけ近かった時代のことを」
レティシエラの声音は、どこか懐かしそうだった。
「だからでしょうか。……どうしても、諦めきれないのです」
「何を?」
「『守る』ということを」
レティシエラは立ち止まり、振り返る。
ランタンの灯りが、銀灰色の瞳を柔らかく照らした。
「わたくしたちエルフは、元々人間たちを守るために創られたと言われています。獣人や龍人たちも、それぞれ守るための役目を与えられたと教えられてきました」
セリアは黙って耳を傾ける。
「だから、どれだけ踏みにじられても、全部を憎み切ることができないのです。
本当は――人間も、他種族も、両方守りたい」
そこまで言って、レティシエラは少し照れくさそうに目をそらした。
「……綺麗ごとだと、笑われるとは思いますけど」
「別に笑わないさ」
セリアはあっさりと言った。
「綺麗ごとかどうかなんて、どうでもいい。
やりたいことがはっきりしてる奴のほうが、一緒にいて楽しいだろ?」
レティシエラは目を瞬かせ、それからふっと表情を緩めた。
「ありがとうございます」
そんなやりとりをしているうちに、通路の先にかすかな光が見え始めた。
「ここが外への出口です」
レティシエラがランタンの火を絞る。
通路の終点には、半ば土に埋もれた鉄扉があった。
音を立てないよう慎重に押し開けると、冷たい外気が流れ込んでくる。
城壁から少し離れた斜面の影になっているせいか、街の喧騒はほとんど聞こえない。
セリアは地面に身を乗り出し、周囲をさっと見渡した。
「……確かに、ここなら門番には見つからなさそうだな」
《これなら、レインズに顔を覚えられていようと関係あるまい。門を通らぬ客までは、奴らも追いようがない》
ラグルスの声が小さく響く。
「よし、行くか」
セリアが軽く伸びをしながら外に出る。
腰に下げた小さなランタンの重みを指先で確かめた。
その背を追い、レティシエラたちも地上へと上がった。
城壁を背に少し歩くと、畑が途切れ、荒れた草地が広がり始める。
さらに先には、低い森と小さな丘の連なりが見えてきた。




