第三十三話 真実
レティシエラの淡々とした声が、地下の静寂に染みていく。
「このアルマルドの地に、人間は最初から存在していました。けれど、彼らは魔物や魔族の脅威に晒され、弱く、短命で……。このままでは滅びるしかない存在だったのです」
セリアは黙って耳を傾ける。
「そこへ神が降りました。ラグルス様、そしてイーリア様――二柱の神です。
彼らは神界から地上に降り、人間を護るために三つの種族を創り出したのです」
レティシエラの指が地図の三箇所をなぞる。
「獣人、龍人、そしてエルフ。それぞれが、守護のために創られた存在でした」
「獣人は、力と速度、五感において人間をはるかに上回ります。彼らは前線に立ち、魔物を討ち、血で道を切り拓いてきました。
龍人は、獣人ほどの力は持ちませんが、結界を操る力に長けていました。
結界は防御だけでなく、空中に足場を作り、時に相手を閉じ込め敵の進軍を封じてきました。
そしてエルフ――身体能力こそ人間と大差ありませんが長命であり、精霊の声を聞き、その力を借りることができました。
精霊は目に見えず、力も小さい。ですが、癒しや加護、情報収集など、あらゆる面で人間と他種族を支えてきたのです」
レティシエラの指先が地図から離れ、短く息をついた。
「長い時を経て、魔物の脅威が薄れ、人間たちにも平和な日々が訪れ始めたころ。現在の王、ウィアードが謀反を起こしたのです」
その声は静かだったが、言葉の奥には鋭い怒気が宿っていた。
「彼はもともと神の側近でした。ラグルス様とイーリア様のもとで、人間の代表として魔物を討ち、世界の秩序を護る役割を担っていた。ですが突如として神を裏切り、その力を奪ったのです」
淡々とした語りの底に、押し殺した怒りが滲む。
(ここまではラグルスの回想で視た通りだな。どうやらエルフたちには、正しい歴史が伝わっているみたいだ)
「ここまではよろしいですか? 人間たちの間で広まっている歴史とは、かなり異なりますが」
「あぁ、大丈夫だ。ついてこれてる」
「それは良かったです。では、続けましょう」
《ここより先が我らの知らぬ情報だ。聞き漏らすなよ》
耳の奥でラグルスの声が小さく響く。
「神の力を奪ったウィアードは、その力で人間にのみ加護を与えました。
結果として、力を得た人間は、かつて自分たちを守っていた存在――獣人も、龍人も、エルフも超える存在となったのです」
「このウィアードの裏切りに、当然のごとく各種族たちは怒り、復讐のための戦いが始まりました。
それぞれの守護者たちはウィアードの暴走を止めようと立ち上がり、民を率いて戦を仕掛けたのです」
「……つまり、人間対神の代行者の戦い、ってことか」
セリアの言葉に、レティシエラは静かに頷く。
「ええ。長く、苛烈な戦だったようです。双方に甚大な被害が出ましたが、最終的に勝利したのはウィアード。獣人の守護者の戦死をきっかけに、わたくしたちの先祖は敗れ去ったのです」
「その後、ウィアードは神の力を使用し、人間だけに加護を与え続けました。それが、フィアスと呼ばれる力の源です。フィアスを多く授かった者は特別な力を扱うことができ、神器と呼ばれる武具すら使えるようになった」
レティシエラは少し間を置き、声を低める。
「その力を持つ者たちで構成されたのが――『バランティン聖衛隊』。
ウィアード直属の部隊であり、人間を魔物から守ると同時に、他種族を明確に人間の下に置くための象徴でもあります」
地図を静かに閉じながら、レティシエラは続けた。
「こうして人間は、唯一王ウィアードの『王の民』として世界の頂点に立ち、獣人も、龍人も、エルフも――ただ従う存在に成り下がったのです」
暫しの沈黙ののちセリアは口を開く。
「……それが、今の世界の形ってわけか」
「はい。人間にとっては安定、他の種族にとっては呪いのような時代です」
レティシエラは少し間を置いて続けた。
「……これが、現在に至るまでのアルマルドの正しい歴史です」
「そうか……。でも、なんであんたたちにはその正しい歴史ってのが伝わっているんだ?」
「それは、この歴史を生き抜いた者たちがいるからです。
かつての守護者――エルフの長、ミリラーネ様。そして龍人の長、スイレン様。
お二方が今も生きており、この歴史の証人として我々の側に立っておられます」
その名が出た瞬間、セリアの中でラグルスの気配がわずかに揺れた。
言葉にはならなかったが、その静かな反応だけで十分だった。
「……? どうかされましたか?」
「いや、なんでもない」
セリアは軽く首を振り、表情を整える。
(……落ち着けよ。相棒)
レティシエラは小さく頷き、淡々と続けた。
「わたくしたちは、簒奪者ウィアードに抗い、この歪んだ世界を正すために、ここで動いているのです」
レティシエラの言葉が終わると、地下の空気が静まり返った。
セリアはしばらく黙って考え込み、それから口を開いた。
「……だいたい事情はわかった。教えてくれてありがとう」
「いいえ。人間の方がここまで真剣に話を聞いてくださったのは初めてかも知れません」
レティシエラは柔らかく微笑む。
「この場所のこと、忘れないでいただいて結構です。ただ、外では決して口にしないでくださいね」
「必ず。約束する」
セリアは短く答える。
その言葉に、レティシエラが静かに頷いた。
「出口まで案内させましょう」
「いいよ。道は覚えてる」
軽い口調のまま、セリアは背を向け、階段を上っていった。
足音が遠ざかり、扉が静かに閉まる。
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セリアたちが去った後。しばしの沈黙。
「本当に、行かせてよろしかったのですか?」
リカルドの声が低く響く。
「ええ。危険はありません。精霊がそう告げています」
「……確かに、彼女から敵意のようなものは感じませんでしたが……。
レティシエラ様ほど明確に声を聞き取ることは、私にはできません」
リカルドは眉を寄せ、静かに問う。
「精霊が、なんと?」
レティシエラは静かに息をつき、目を閉じた。
肩のあたりに、淡い光の粒がひとつ浮かび上がる。
彼女の髪を撫でるように漂い、まるで言葉の代わりに頷いた。
「彼女は敵ではない――そう、言っています」
「……そうですか」
リカルドは納得しきれぬ表情でうなずき、視線を落とした。
レティシエラはゆっくりと目を開ける。
「けれど……ただの人間ではないことは確かでしょう。おそらく、記憶喪失というのも嘘かと」
ランタンの炎が微かに揺れ、湿った地下に長い影を伸ばす。
レティシエラの横顔に浮かぶ微かな光が、すぐに闇に溶けて消えた。
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レティシエラ達の拠点から去ったあと、セリアは陽だまり亭の屋根裏部屋に戻っていた。
小さな部屋には、木と布とスープが混じったような、街の生活の匂いが薄く漂っている。
ベッドに仰向けになったまま、セリアは天井の木目をぼんやりと眺めていた。
《我が封印されてからの展開は、想定内と言ったところだな。……寧ろ、まだ良い方であったかもしれぬ》
ラグルスの声が耳の奥で響く。
「そうだよな。なんかイメージのウィアードなら、外来種を殲滅する!ってぐらいやりそうな気がするよ」
セリアは片腕を額に乗せながら、気の抜けた口調で返した。
《奴は馬鹿ではない。人間の秩序を保つために、被差別者がいたほうが都合が良いと考えたのだろう》
「踏みつける相手がいたほうが、上同士は仲良くできるってやつか」
以前に見た獣人の少年の姿が、胸の奥にじわりと蘇る。
《だが、予想外だったのはミリラーネとスイレンがまだ生きていることだな》
「ああ、守護者だろ? 相棒にしては結構動揺してたもんな」
わざとからかうような調子で言うと、ラグルスの気配がわずかに揺れた気がした。
《種族として滅ぼさない理由としては分かるが、わざわざ目障りな守護者を生かしておく理由が思いつかぬ》
セリアは横向きになり、枕に頬を押しつける。
「ん~、案外勝ちきれなかったのかもよ。だって戦争した時、ウィアード対守護者三人だろ?
それに、あの段階ではどれだけウィアードに従う人間がいたかもわからないし」
《……我の力を奪っておいて、そんなはずは――》
ラグルスはそこで言葉を切った。屋根裏の小さな窓が、外の風にかすかに鳴る。
《……いや、案外お前の言うとおりかもしれぬ。だとすると、我らにとっては都合が良い展開だ》
「おいなんだよ。自分で勝手に納得するなよ!」
セリアはむくりと身を起こし、ベッドの上で膝を抱えた。
「勿体ぶんないで教えろよ!」
《あくまで仮説に過ぎん話だ。……ウィアード、奴は未だに我の力をその身に吸収せずに使用しているのではないか、と考える》
「えっと……どういうことだ?」
《簡単な話だ。力をその身に吸収すれば、その力はその者に宿り、大幅な強化が望める。
だが、吸収せずに『外側から』扱っているだけであれば――あくまで、強力な武器を握っているに過ぎぬ。ウィアードそのものを、神に並ぶ存在へと作り替えるわけではない、ということだ》
「なるほど。……って、わからん」
セリアは額を指先でつつきながら、苦笑いを浮かべる。
「いや、理屈はわかるけどさ。吸収しないことで、何か得することってあるのか?」
《……通常であれば、吸収することの恩恵が圧倒的に大きいだろう。強靭な肉体、圧倒的な格の差。力を奪い返される危険もなくなる》
ラグルスの声は淡々としているが、その底にわずかな苛立ちが混じっていた。
《だが、奴にとってはそれでは困る理由があると考えられる。それこそが今回の仮説が荒唐無稽ではないと断じる根拠だ》
セリアはしばし黙り、ぽん、と手を打った。
「なんか、わかるかも」
「……あれだろ? 力を吸収すると神の肉体になっちゃうから、とかだろ。
あんだけ神を敵視してたんだ。自分から神になるのは、嫌がりそうだよな」
《ふむ。お前にしては冴えているではないか》
ラグルスの声音が、わずかに感心を含んだものに変わる。
《もし奴がミリラーネとスイレンを生かしている理由があるとすれば――その思想のせいで、神そのものになることを避けた結果として、あの二人を倒しきれなかった。……そう考えるのが自然であろう》
セリアは窓の外の夜空を一瞥した。
星の見えない薄暗い空が、どこか遠く感じられる。
(神になることを嫌がって、守護者を中途半端に残したまま……か)
セリアは、心の中で小さく呟いた。




