第二十七話 陽だまり亭
「いらっしゃ――って、なんだいレインズ!?」
厨房の奥から威勢のいい声が飛ぶ。
「おばちゃん、なんだよいきなり」
レインズが少し顔をしかめる。
「いやあんた、その隣の別嬪さんは誰なんだい? まさか彼女!?」
「ち、違うって!こちらはセリアさん。昨日リレンヌに来たばかりなんだけど、記憶を失ってるみたいなんだ」
「まあまあ、それは大変だったねぇ!」
店の女将――ふくよかで人の良さそうな女性が、水を運びながら近づいてきた。
「無事だっただけでも運がいいよ。ウィアード様のご加護だねぇ」
「……ご加護」
セリアは反射的に呟く。
女将はそれに気づかず、にこにこと笑いながら水を置いた。
「で、何にするんだい? 今日は森猪の香草焼き定食がおすすめだよ。安くしとくから!」
「じゃあ、それを二つ」
レインズが答える。
「はーい、ちょっと待っててねー!」
女将が厨房へ引っ込むと、セリアは店内を見渡した。
十数名の客が食事をしている。一見するとどこにでもありそうな穏やかな光景。
だが、その中に人間以外の姿はひとりもいなかった。
「この街には、人間以外の種族はあまりいないのか?」
セリアが尋ねる。
「勿論です。ここは人間の街ですから」
レインズは当然のように言った。
「他の種族はそれぞれの集落に暮らしています。この街にいるのは……そうですね、スラムの住人か、奴隷くらいでしょうか」
「奴隷……」
セリアの声が一段低くなる。
「それなりの規模の街なら、どこにでも奴隷商館はありますよ。国家の認可を受けた正規の制度です。主に労働用ですが、戦闘奴隷もいます」
レインズの口調は終始穏やかだった。
まるで、それが「正しい秩序」であるかのように。
セリアはしばらく黙り込み、指先でテーブルの木目をなぞった。
(これが、今の人間の価値観ってわけか……)
「おまたせー!」
そのとき、厨房から威勢のいい声が響いた。
鉄皿を置いた瞬間、じゅうっと音が立ち、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
さっきまで胸の奥にあったもやもやを吹き飛ばすような、食欲をそそる香りだった。
「う、美味そう!」
セリアの目が輝く。
「もちろん絶品だよ!召し上がれ」
女将が笑いながら言う。
セリアにとっては、これが初めてのまともな料理だった。
迷宮では調味料もなく、ただ魔物の肉を焼くだけの食事しか知らない。
自然と口の中に唾液があふれ、腹の奥がきゅるりと鳴った。
「食べていいんだよな!?」
「も、もちろんです」
セリアの勢いにレインズが思わず苦笑する。
セリアは返事を聞くやいなや、勢いよくフォークに手を伸ばし肉をひと切れ口に運んだ。
――瞬間、瞳がわずかに見開かれる。
噛んだ途端、肉汁が弾け、香草の香りが鼻を抜けた。
外は香ばしく、中は驚くほど柔らかい。
塩気の奥に、火で炙った獣の旨味が広がっていく。
「……なにこれ、うまっ!」
セリアの声が店内に響く。
「お、お口に合ったようで何よりです」
レインズが照れくさそうに笑う。
(これが、料理……!)
セリアは手を止めず、無言で料理をかき込んだ。
噛むたびに胸の奥が熱くなり、視界が少し滲む。
気づけば、頬を一筋の涙が伝っていた。
「ほんと、美味かった! 感動してちょっと泣いちゃったよ」
「連れてきたかいがありましたよ。そこまで言われると、僕も嬉しいです」
会計を済ませ、出口に向かう。
「おばちゃん! 感動したよ。今まで食べたもんの中で一番美味かった!」
「そうかい! ありがとね! あそこまで感動して食べてくれる人なんて、初めてかもしれないよ!」
女将は嬉しそうに手を叩き、それからふとセリアを見て言った。
「そうだ!記憶がないって言ってたわよね。もし、住むところがないならうちに来なさいな。あんたみたいな別嬪さんだったら大歓迎だよ!」
「ほ、ほんとか!?そりゃありがたいけど……」
「店を手伝ってくれればいいからさ。あんたがいてくれたら店もきっと繁盛するし、給料もちゃんと出すよ!」
「おいおい、そんな好条件、断る理由ないだろ!」
セリアは思わず笑いながら頭をかく。
その隣で、レインズが少し慌てたように手を振った。
「お、おばちゃん、それは……。えっと、セリアさんは今、身元の確認中でして……。勝手に決めると、あとで僕が怒られるかも……」
「いいじゃないの。記憶が戻るまでの間でいいからさ! こっちも人手が足りないと思ってたところなんだよ。部屋も余ってるし」
女将は笑って答えた。
「……だってさ、レインズ」
セリアがからかうように言うと、彼は苦笑いを浮かべる。
「わかりました。でも、ちょくちょく様子は見に来ますからね!」
「わかったよ。借りたお金も返さなきゃだしな」
「まぁそれはいつでも良いですけど……。それじゃあ、一旦僕は門に戻りますね。上に報告しなきゃなんで」
「わかった。今日は色々ありがとな!」
「それでは、また」
レインズが去り、扉が静かに閉まる。
セリアは女将の方を向き直った。
「さっきレインズに紹介してもらったけど、改めて――セリアって言います。これからよろしくお願いします」
「なんだい、敬語なんか使っちゃって! さっきまでの感じでいいんだよ」
「いや、一応これからお世話になるし、ちゃんとしなきゃだろ?」
「固いのはあたしの性に合わないの」
「……わかったよ。じゃあ、これからよろしく。おばちゃん!」
「うん! セリアちゃんはそのほうがいいわよ! じゃあ、まだお客さんいるから、奥の席でちょっと待っててね!」
「了解」
女将は笑いながら厨房へ戻っていった。
しばしの静寂。
セリアは椅子に腰を下ろし、窓越しに通りの光を眺めた。
《どうだ。外見も良く創っておいて正解だっただろう》
「はいはい。恩に着るよ」
セリアは苦笑しながら、店の奥に目を向けた。
厨房では女将が客と笑って話している。
《……さて。ウィアードが築いた世界の輪郭は、だいぶ見えてきたな》
「人間だけが優遇されて、他の種族は冷遇される。歪んだ平和ってとこだな」
《奴の思想を考えれば、滅ぼされなかっただけ奇跡とも言える》
「……そう、かもな」
セリアの瞳が、通りの光を反射して揺れる。
その静かな横顔に、ラグルスの声が重なった。
《当面の拠点は確保できた。だが、まだ情報は不足している。引き続き、現代の情報収集に努めるぞ》
「了解。……監視のほうも、意識はするさ」
《あの様子だと、ウィアードに楯突く輩と知れた瞬間、どうなるかわからんぞ》
「わかってる。今のところ、ちゃんと抑えられてるだろ?」
《どうだかな。態度に出やすいところは相変わらずだ。今日も何度か危うかったぞ》
セリアは少しだけ目を細めた。
「あんな様子を見せられて黙ってるほうがおかしいだろ」
《……まぁいい。少し休め。明日はまた動くぞ》




