第二十六話 バランティン聖衛隊
陽光の中、リレンヌの街はすっかり活気づいていた。
朝市が立ち、果物や香辛料の匂いが通りいっぱいに広がる。
露店の呼び声、子どもたちのはしゃぎ声。
迷宮では決して聞くことのなかった、柔らかな生活の音がそこにあった。
「いやぁ~……賑やかだな。見てるだけで腹が減りそうだ」
「市場はこの街の中心なんです。地方の農民たちも、物を売りに集まってきますから」
レインズは人混みをかき分けながら説明した。
「こうして賑やかにやっていられるのも、あの方々のおかげですよ」
「あの方々?」
セリアが首をかしげた瞬間、ざわ、と人の波が揺れた。
通りの奥でざわめきが起こり、人々が自然と道の端に寄っていく。
銀と白の甲冑をまとった一団が、通りをゆっくりと進んでくる。
甲冑には翼を広げた十字架の紋章が刻まれていた。
「おお、バランティン聖衛隊だ!」
「今日も巡回してくださってるんだね……ありがたいことだ!」
「ありがたい……ありがたい……」
周囲の人々が口々にそう言い、一団に歓声を送る。
セリアは立ち止まり、通り過ぎる一団を眺めた。
鎧は美しく磨かれ、無駄のない動きで歩調を揃える。
中心に立つ青年のマントには、金糸で十字架の紋章が縫い取られ、他の兵よりも高位であることを示していた。
「……バランティン聖衛隊?」
「はい。ウィアード王直属の戦闘部隊です」
レインズは誇らしげに言う。
「国中を巡り、魔物の討伐や災害救助まで、あらゆることをしてくださるんです。この国が平和を保てているのは、あの方々の力あってこそですよ」
「随分人気なんだな」
「勿論です!この国の人間なら、だれでも一度は聖衛隊に憧れるものです」
(ウィアードの部隊が人気、ね……)
聖衛隊の列が通りを進むなか、風が吹き抜けた。
屋台の上に積まれていたリンゴがひとつ、ころりと転がり落ちる。
「あっ……!」
小さな声が上がった。
毛並みの混じった耳と尻尾――獣人の少年が、人混みの隙間から身をかがめて拾いに出た。
ほんの一歩。
けれど、それは列の前だった。
次の瞬間。
銀の靴が少年の腹を蹴り上げた。
鈍い音が響き、少年の体が石畳の上を転がる。
「……っ」
見上げた先にいたのは、先頭の青年――金糸のマントを翻す、あの高位の聖衛隊員だった。
彼の瞳には怒りも哀れみもなく、ただ埃を払うような無関心さがあった。
「劣等種ごときが」
冷ややかな声。
周囲の人々がどっとざわめき、すぐに静まり返った。
誰も助けようとはしない。
むしろ数人が口を開いた。
「聖衛隊の前に出るなんて無礼だ」
「まったく、獣人風情が……」
「……っ!」
セリアの目が見開かれる。
(なんだ……これ)
隣でレインズが小さくため息をついた。
「ほんと、愚かですよね。あんな下等な種族が聖衛隊の前を横切るなんて」
「……下等?」
セリアの声が無意識に低くなる。
「? どうかしましたか?」
その全く悪気のない返事にセリアは言葉が詰まった。
(……これが、外の平和ってやつか)
視線の先で、少年が息を詰まらせながら立ち上がり、拾ったリンゴを両手で抱きしめるように持って誰にも見られぬように走り去っていった。
《今は抑えろ。監視下であることを忘れるな》
「……わかってる」
炎が、指先の奥でわずかに灯ろうとして、セリアは拳を握り押し殺した。
聖衛隊の列が去り、通りに再び喧騒が戻りはじめる。
しかし、その明るさはもうセリアには違って見えた。
「いやぁ……しかし、あの獣人も身の程をわきまえていなかったですね」
レインズは特に怒りも悲しみもない声で言った。
「……」
「まあ、命があるだけ幸運ですよ。あの方々は寛大ですから」
その言葉に、セリアは返す言葉を失った。
(……寛大?蹴られて、あれで?)
二人はしばらく無言で歩いた。
やがて、レインズが思い出したように顔を向ける。
「そういえば……お名前、まだ聞いていませんでしたね」
「ああ、言ってなかったか。セリア、だ」
「セリアさん、ですね。いい名前だ」
「そうだろ?」
「ええ。……優しいのに、芯のある音ですね」
レインズはにこやかに笑った。その笑顔が、先ほどの光景よりも残酷に見えた。
「なぁ、なんで獣人はあんな扱いをされてるんだ?」
「え?……ああ、そうでした。セリアさんは記憶がないんですよね」
レインズは少し申し訳なさそうに言葉を探し、それから説明を続けた。
「えっと、獣人……正確には、人間以外の種族ですね。獣人族、竜人族、エルフ族……そういった者たちは『加護』を受けられないんです」
「加護?」
「ウィアード王の加護です。この世界で唯一絶対の王――ウィアード様が、はるか昔、悪神を討ち、その力を奪って人間に与えたと伝えられています」
「……悪神?」
「はい。古代に神々の間で戦いがあり、悪神はウィアード様に敗れて封じられたそうです。そのとき悪神が生み出したとされるのが、獣人族や竜人族、エルフ族。だから彼らは『穢れた種族』として、加護を受ける資格がない――そう言われているんですよ」
「罰……ってことか」
「まあ、そういうことになりますね。加護を持たないというのは、つまりこの世界から見放された存在ということです。だから、仕方ないんですよ」
レインズは淡々と、当たり前のことのように言った。
(……随分ウィアードに都合よく捻じ曲げられているな)
セリアは心の中で苦く吐き捨てた。
「とはいえ、存在を許されているだけでもありがたいことです。あの方々、ウィアード様と聖衛隊の慈悲があればこそですから」
「……」
セリアは黙ったまま拳を握りしめた。
爪が掌に食い込み、わずかに痛みが走る。
「さて、そろそろお昼にでもしましょうか」
レインズが軽い調子で言う。
「……そう、だな。朝から何も食べてないしな」
セリアは心の引っ掛かりを振り払うように、無理やり思考を食事に切り替える。
「ちょうどそこに行きつけの定食屋があるんです。おばちゃんが一人でやっているんですけど、安くて美味しいんですよ」
「へぇ、楽しみだな」
二人は通りを抜け、小さな食堂へ入った。




