表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/65

第二十一話 「外」

湿った岩肌の匂い。重く、熱を失った空気。

ゆっくりと、セリアは瞼を開いた。

視界の上に、黒ずんだ天井が見える。


 ――いつもの、洞窟。


《戻ったか》


「……うん。帰って、きた」


声を出すと、喉がひりついた。

ふと前を見ると、魔法陣が焦げつき、ひび割れた文様から薄煙が立ち上っている。

紫だった紋様は色を失い、中心には黒い焼け跡だけが残っていた。


《少し、怪しかったがな》


「ははっ、確かに。相棒の声がなかったら、あのまま向こうに行ってたかもな」


短い沈黙。セリアは短く息を吐いて続ける。


「……幻だった。でも、本当にあそこに自分がいた気がする」


《そういうものだ。あの封印は、剥き出しの魂に理想を見せる。力ではなく、心を縛る術――まさに幸福の牢獄だ。》


「……そういうこと、か」


セリアはゆっくりと立ち上がる。

脚はまだ震えていたが、心臓の鼓動とともに身体の中心に小さな熱が戻っていく。


そのとき、奥から柔らかな声がした。


「おかえり」


振り向けば、ネスヴィラが立っていた。

闇の衣を纏いながらも、その表情はどこか穏やかで、口元がわずかに緩んでいる。


「ネス……ママ」


その言葉に、ネスヴィラの目が細められる。


「さすが、ワタシの子。あの封印、けっこうすごいやつだった」


「やっぱりそうかよ……」


「そう。普通の魂なら、戻れない。ずっと幸せな夢の中で、彷徨い続ける」

ネスヴィラは淡々と語る。その瞳の奥に、かすかな光が揺れていた。


「でも、アナタは戻ってきた。アナタと、その元神。二人だから」


セリアは静かに目を閉じ、呟く。

「……相棒。ありがとな」


《礼は要らぬ。お前自身の力で乗り越えたのだ》

《……それと、相棒はやめろ》


「はいはい。……そういや、出口、もう行けるんだよな」


《そうだ。封印は砕けた。迷宮の外がようやく見える》


セリアは頷く。

「じゃあ、行くか。今度は本物の空を見に行こう」


その背に、ネスヴィラの声が届く。


「待って」


振り返ると、ネスヴィラの手のひらに、黒い宝石があしらわれたネックレスが浮かんでいた。

闇の粒子がゆっくりと宝石の中へ吸い込まれていく。


「これは……?」


「アナタに、あげる。ここを出る子には、いつも渡してる」


「強く願えば一度だけ、ワタシと話ができる。どこにいても」


セリアはその首飾りを手に取る。

冷たい石なのに、指先が温かく感じた。


「……ありがとな。大事にするよ」


「うん」

ネスヴィラは短く頷き、ほんの少しだけ微笑んだ。


「じゃあ、行ってきます!」


「いつでも帰ってきて、いい」


ネスヴィラはひらひらと手を振る。

セリアは小さく頷き、迷宮の奥へと歩き出す。

足音が遠ざかり、やがて、その気配も消えていった。




静寂が戻る。

その場にひとり残ったネスヴィラは、しばらく出口の方を見つめていた。

表情はいつも通り無機質。けれど、その紅い瞳の奥にはかすかな温度が宿っている。


「……」

影の衣が揺れ、彼女の姿はゆっくりと闇に溶けていく。

残ったのは、淡く瞬く封印の残光だけだった。


________________________________________


セリアは壊れた封印を抜けて、暫く歩く。

ふと振り返ると、ネスヴィラの姿はもう見えない。


「長かった。……いや、短かった、かも」


これまでの迷宮での日々が、頭の中を駆け巡る。

鍛錬、戦い、敗北、そして炎。


《百年と二百四十五日。我の予想通りだったな》


「まだ数えてたのかよ……」


セリアは軽く笑い、歩を進める。


やがて、空気が変わった。

湿った岩肌の匂いが薄れ、代わりに冷たい風が頬を撫でていく。

前方の闇の奥に、淡い光が差し込んでいた。


「光だ……!」


《……そうだな》


ラグルスにとっては、千八百年ぶりの外の世界。

長い憎しみの歳月を、ようやく越える瞬間が訪れていた。


「……これからだな」


《そうだ。まだ、これは始まりに過ぎない》


セリアは拳を握り、前方の光へ歩を進める。

一歩。また一歩。足元の岩が砕け、差し込む光が少しずつ強くなる。


やがて洞窟の終端が見えた瞬間、光が全身を殴りつけた。思わず腕で顔を覆う。

暗がりに慣れた瞳には、太陽の光はあまりにも鋭い。


ふと、頬を風が撫でた。

新鮮な空気に、土と緑の匂いが混じっている。


少しして、セリアは目を開けた。

視界いっぱいに広がるのは、柔らかな草原と、その奥に連なる木々。陽光を透かした葉の輝きが、金色の粒のように瞬いていた。


「これが、外……」

息を呑む声が、風に溶けて消えていく。


《ようやく……》

ラグルスの声も、どこか掠れていた。

千八百年ぶりの外気。その懐かしさに、言葉が詰まる。



セリアはしばらく立ち尽くす。

頬を撫でる風、草の匂い、太陽の光。

どれも、迷宮の中では決して得られなかった感覚。


今だけは――


洞窟で過ごした長い日々も、復讐の炎も、すべてを忘れて。

ただ、初めての「外」を、全身で感じていた。


これで第一章 迷宮篇は終了となります。

ここまで読んでいただいた皆様ありがとうございます。

ブックマーク、評価、感想等いただけると励みになります。気が向いたらで良いので、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ