第十九話 準備運動
セリアは岩に背を預けながら尋ねる。
「ずっと、この迷宮にいたのか?」
「そう。ラグルス、アナタが来るずっと前から」
《確かに、我がこの地に降りた時には、すでにこの迷宮は存在していた》
「それなら……何千年も、か。どうして、こんな洞窟にいるんだ?」
ネスヴィラは少し考えるように首を傾げた。
「ずっと昔に、頼まれた」
「……それだけ?」
「そう」
「いや、なんかあるだろ? もっとさ、事情とか、理由とか」
「特に、ない。ただ、この場所が――案外、気に入った」
セリアは思わず苦笑する。
「気に入ったって……牢獄みたいなもんじゃないか」
「静か。誰も来ない」
淡々と答えるネスヴィラの声音に、どこか穏やかな響きがあった。
少しの間を置いて、セリアがもう一度問う。
「じゃあさ……頼まれたって、誰に?」
「ずっと昔の人。ワタシがいると、怖いって」
「それを律儀に聞いたのかよ。素直すぎるだろ」
「……なんか、分体の時と印象ちがうな。相棒に最初に聞いたときは、どんな化物かと思ったよ」
《我も正直予想外だ。まさかあのネスヴィラが、このような……》
「分体は、かっこよく創った。気に入ってる」
その言葉に、セリアは思わず吹き出した。
「なるほどな。なんとなくあんたのこと、わかった気がするよ」
ネスヴィラは首を傾げる。
「今ので?」
「あぁ。強いけど、かなりの天然」
「そう?」
ネスヴィラの自覚の無さに、セリアは苦笑しながら肩をすくめた。
「そうだよ、絶対」
二人の間に、しばし穏やかな沈黙が流れた。
《そろそろ寝ろ。明日には封印だ》
「え~。もうちょっといいだろ? 何せ相棒以外と話したのは初めてなんだ」
《我儘を言うな。封印を突破できなければお前は永遠にここから出られぬぞ》
「はぁ。わかった。寝るよ」
「それがいい」
ネスヴィラも同意する。
セリアは岩壁に背を預け、天井を仰いだ。
黒ずんだ結晶が淡く光り、溶岩の赤がゆらめく。
少し前まで、激戦を繰り広げていたとは思えないほど、今は静かだった。
(……明日で、終わるのか)
長い修行の日々。苦痛も孤独も、すべてこの迷宮の中に置いていく。
「おやすみ、ママ。……それと、相棒」
《……》
「おやすみなさい」
瞼を閉じると、赤い光がゆらゆらと瞳の裏に残る。
そのまま意識は、静かに闇へ沈んでいった。
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岩のひび割れから、熱を含んだ風が吹き抜ける。
セリアはゆっくりと目を開けた。
夜明け――といっても、ここに太陽はない。
それでも、洞窟の空気はどこか澄んで感じられた。
「……ふぅ、よく寝た」
体の芯に残っていた疲労は薄れ、炎の巡りも安定している。
立ち上がって軽く身体を動かす。
(うん。問題ない。……でも)
どうにも、このまま封印に挑むのは物足りない。
もう少し、血が巡るような刺激が欲しい。
ふと前を見ると、ネスヴィラが立っていた。
闇の衣がゆらりと揺れ、彼女の紅い瞳がセリアを見つめる。
「なぁ、ママ」
「戦いたい?」
「……読まれてたか。封印に挑む前に軽く手合わせしたくてさ」
「本気で来ても、いい」
《馬鹿を言うな。休んだ意味がなくなる》
「大丈夫だって、軽く流すだけ」
《……お前がそう言うときは、絶対に軽く済まんのだがな》
セリアは笑みを浮かべ、クライゲラクをその手に出現させる。
刃が静かに熱を帯び、空気がわずかに揺らぐ。
封印に挑む前の、最後の準備運動が開始される。
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「さっそく行くぞ!」
セリアが地を蹴る。
爆炎が足元から散り、クライゲラクを振り抜いた。
――ズズッ。
だが、ネスヴィラは微動だにしない。
代わりに、その足元から「影」が盛り上がった。
黒紫の魔力がうねり、四本の巨大な手が地面を割って現れる。
それぞれの手には、分体が振るっていたあの巨剣。
「なっ!」
――ガギィン!
衝突音が洞窟に反響する。
セリアの斬撃は、影の剣に弾かれた。
さらにもう一振り、また一振り――四本の剣が生き物のように動き、四方から襲いかかる。
「くそっ!」
セリアは身を翻し、火花を散らしながら後退。
一度大きく飛び退き、距離を取る。呼吸を整え、手をかざす。
「――火磨鼬!」
炎が裂け、十数本の火の剣が空間に展開する。
(これで押し切る!)
だが――。
「!?」
視界の端を、紫の閃光が走る。
ネスヴィラの前方に、分体が使用していたオーラの斬撃が幾筋も形成されていた。
その数、数十。すべてが音もなく放たれる。
咄嗟にクライゲラクを構え、火磨鼬を防御に転じる。
だが、四本の剣から放たれる斬撃は分体の比ではない。無数の線が洞窟を切り裂き、熱と紫光が交錯する。
セリアの炎が、徐々に押し潰されていく。
(このままじゃジリ貧だ……!)
セリアは一瞬の隙を見て地面に掌を着けた。
瞬間、炎が地を潜り、地中を駆けてネスヴィラの足元へ。
――ゴオオオン!
ネスヴィラの足元から巨大な火柱が噴き上がる。
だが、ネスヴィラは軽やかに後方へ退き、それを躱す。
「まだだ!」
セリアの声と同時に、火柱が途中で軌道を変え、上方から覆いかぶさる。
ネスヴィラは四本の巨剣でそれを切り払う――しかし。
「大百火足!」
切り裂かれた火柱が結晶の炎に変わり、鎖となってネスヴィラの身体を拘束する。
「それは、もう見た」
ネスヴィラが淡々と呟く。
次の瞬間、ネスヴィラの全身から紫のオーラが噴き上がり、炎が霧散した。
だが、セリアはそのわずかな隙を逃さない。
セリアは即座に「煙炎羅」を展開。赤煙が爆ぜ、ネスヴィラの視界を覆う。
――ボッ!ボッ!
煙を突き抜けて、火磨鼬の炎刃が何本も飛ぶ。
ネスヴィラは表情ひとつ変えず、影の手に握られた巨剣でそれらを次々と弾き払う。
だが、その瞬間にはもうセリアの姿が消えていた。
(こっちだ!)
ネスヴィラの横合い、至近二メートル。
セリアは炎を纏ったクライゲラクを投げ放つ。紅蓮の剣槍が閃光となって横顔を貫かんと迫る。
(入る――!)
――ゴオオオン!!
轟音とともに炎が爆ぜ、視界を塞ぐ。
少しの間を置いて、視界を塞いでいた煙が徐々に晴れてくる。
「なっ……!?」
(素手……!?)
そこに立っていたのは、片手でクライゲラクの刃を掴み止めたネスヴィラ。
紅蓮の炎刃を指先で受け止めながら、表情は微動だにしない。
「――これも、見た」
静かな声が、洞窟に響いた。
セリアは目を見開き、思わず息を呑む。
しかし次の瞬間、驚愕は笑みに変わっていた。
(面白い……! それなら――!)
久しぶりに胸が熱くなる。
この迷宮で、もう全力でぶつかれる相手はいないと思っていた。
だが今、目の前にいる。
自分が本気を出せる、たった一人の相手が。
紅の炎が、セリアの足元で小さく弾ける。
その瞬間――
《そこまでだ!》
ラグルスの声が、鋭く割り込んだ。
「うっ……そりゃないって、相棒~」
《目的を忘れるな。あくまで封印前の準備運動だ》
セリアは名残惜しそうに息を吐く。
「はぁ……。そうだな。わかった。これでお終いだ」
炎が静まり、クライゲラクの纏状態を解除する。
「もう、終わり?」
ネスヴィラが首を傾げる。
「分体を倒した、あの技。見たかった」
「わたしも試したかったけどさ……」
《駄目に決まっているであろう》
「……ってことで、これで終わりにしよう」
「残念」
ネスヴィラは無表情ながらも、ほんの少し拗ねたような声で答える。
セリアは苦笑し、軽く肩をすくめた。
「でも、ちょうど良く身体が温まってきた。これなら封印も楽勝な気がする!」
《お前はまた調子に乗る……》
ラグルスが呆れたように口にする。
セリアは一度深呼吸し、洞窟の奥――封印のある方向を見やる。
「よし、それじゃあ……このまま行くか」




