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第一話 目覚め

《……来い》


暗闇の底で、低い声が響いた。

深く、重く、意識そのものを震わせるような響き。

それは、自分を呼んでいる――そんな感覚だけが、はっきりとあった。

声が届いた瞬間、それまで底なしの闇に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮かび上がっていくのを感じる。


――眩しい……ここは、どこだ?


視界を覆うのは、白一色の光。

目を開けているのか、閉じているのかすら分からない。


――わたしは……誰だ?


頭を必死に巡らせても、何も出てこない。

名前も、記憶も、自分という全てが、すっぽり抜け落ちているようだった。


《――我がもとへ》


再び、声が落ちてくる。

何もわからない。

けれど、その呼び声だけが、妙に「確か」なものに思えた。

わたしは、無意識のうちにその方向へと手を伸ばしていた。


________________________________________


「うっ、うぅん……」

重たい瞼をこじ開ける。

さっきまでの白い世界は消え、代わりにごつごつとした岩肌が視界いっぱいに広がっていた。


頭上――岩だらけの天井。


どう見ても洞窟だ。

(さっきまでは、光の中にいたはずなのに……)

身体が異様に重い。鉛でも詰め込まれたみたいにだるくて、自分の体じゃないような感覚さえある。


また意識が沈みかけた、そのとき――


《……成功したか。……おい、起きろ!》


「な、なんだ!?」


耳を突く大声に、反射的に上体を起こす。

心臓が、ばくばくとうるさく鳴った。


《いつまでも寝ている時間などないぞ》


声のする方を探す。

だが、あるのは岩壁と暗がりばかり。人影はどこにもない。


「誰だ! どこにいる!」


《我はお前の中にいる。故に、探しても見つからぬ》


(わたしの、中……?)


混乱と苛立ちが一気に込み上げ、思わず声が荒くなる。


「わけわからないこと言うな! あんたは誰なんだ! ここはどこなんだよ!」


《お前の問いには答えよう。もとよりそのつもりだ。ただし――落ち着いてからだ》


「こんな状況で落ち着いてられるかよ!」


《……何も知りたくないのであれば、好きにしろ》


「……っ。わかった、わかったよ。落ち着く。……少し待ってくれ」


奥歯を噛み、深く息を吸い込む。

何度か呼吸を整えるうちに、少しずつ鼓動が落ち着いてくる。

改めて周囲を見回せば、岩に囲まれた空間。

洞窟の奥まった一角らしい。出口はひとつだけ。暗い穴がぽっかりと口を開けている。

光の届かない暗闇の中、何故か周りの景色を見ることができている。


ふと、自分の身体へ視線を落とした。


次の瞬間、思考が真っ白になる。

(!?)

「女……!? しかも裸!?」

そこにあったのは、紛れもない裸体――それも、どう見ても「女」のそれだった。

冷たい空気がむき出しの肌を刺し、羞恥が一気に押し寄せてくる。


(待て……裸なのはまだいいとして、なんで『女』で驚いてる……?

 わたしは、もともと女……だった、のか?)


考えようとした瞬間、その部分だけ綺麗に抜け落ちているのが分かる。

名前も、性別も、過去も。何一つ掴めない。


(……そういえば、この声も自分のものじゃない気がする。……くそ、今考えても仕方ないか)

小さく舌打ちし、もう一度深呼吸をした。


《……落ち着いたようだな》

耳の奥で、先ほどの声が低く響く。

「ああ……。さっさと説明してくれ」


________________________________________


声の主が語ったのは、常識からすれば荒唐無稽な話だった。

だが、今の状況そのものが、その「あり得ない話」を裏付けていた。


声の主の名は――ラグルス。

かつて神界に座していた、「神」のひと柱。

ある理由から肉体を失い、魂だけの存在として、この洞窟に封じられた存在だという。


そして――わたし。

ラグルスが長い年月をかけて創り上げた、神の力を宿すための器。

その肉体に、ようやく嵌まった唯一の魂こそが、今のわたしなのだと告げられた。


「……魂ってことは、わたしは死んでたってことか」


《そうなる。通常、死者は自分に関するすべてを忘れる。お前が記憶を持たぬのも、その帰結に過ぎぬ》


「じゃあ……今のわたしは名無しってわけだ」


《……名は『セリア』。その肉体を創ったときに、既に用意してあった名だ。……気に入らぬか?》


「いや、悪くない響きだ。セリア、か。……それでいこう」


口に出してみると、不思議としっくりきた。

記憶も何もないはずなのに、その名前は不思議とすんなりと受け入れられる。

こうして、わたしは「セリア」になった。


「そういえば、あんたは魂だけでも記憶が残ってるんだな」


《神は別だ。魂のみとなっても記憶は失われぬ》


(何かずるいな)

そんな小さな悪態が生まれる。

だが、記憶を失っている理由自体は納得するしかなかった。


「なんで、わたしの魂がこの身体に合ったんだ?」


《偶然としか言えぬ。魂が肉体に定着する条件は、魂の形が器に嵌まるかどうか――ただそれだけだ。生前の行いや性格などとは関係がない》

ラグルスの声は、淡々としている。


《お前は運良く――あるいは運悪く、その身体に嵌まる魂だった。それだけの話だ》


(……たまたま、か。わたしの魂は、この器に形が合ったから、ここにいる――それだけ……)

その事実に、少しだけ空虚さを覚える。

それでも、思ったほど動揺していない自分に気づき、苦笑した。


「ラグルス。あんたは魂だけだから、わたしの身体に入ってるってことでいいのか?」


《厳密には異なる。本来、我は魂であっても何かに宿らずとも存在できる》

《だが、お前の肉体――その器を創るのに、我は力の大半を注ぎ込んだ。結果として、我は単体で存在できるほどの力を失った》

《言うなれば、お前の身体そのものが神の器だ。そこに宿り、力を補い、我が魂を維持している。もとより、そのつもりで創ったのだがな》


「おいおい……つまり、しばらくはわたしの中に居座るってことかよ」

頭がくらくらしてくる。

状況を把握するだけでも精一杯なのに、「元神」と同居生活だなんて、冗談にしては笑えない。


《『しばらく』がどの程度を指すかによるが……このままでは、お前が生きている限り、我も共に在ることになるだろう》


「は……? ちょっと待て。今、生きてる限りって言ったよな。

 それってつまり――」

一拍遅れて、言葉の意味が頭に刺さる。


「はぁ!? 一生ってことかよ!?」

半ば叫ぶような声が、狭い洞窟に響いた。


《慌てるな。あくまで今のままでは、だ》

ラグルスの声が、わずかに低くなる。


《我が目的が果たされれば、神としての力を取り戻し、再び独立した存在となることも可能だろう。……推測の域は出ぬがな》


「……目的?」


問い返した途端、洞窟の空気が、わずかに重くなった気がした。

暗闇の中に、ラグルスの声が静かに落ちる。


《――我が目的は、復讐だ》


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