第十六話 百年
セリアは洞窟内の大岩の上に胡座をかき、目を閉じて集中していた。
周囲には無数の魔物の死体が転がり、空中には炎の剣が数本、ゆらゆらと浮かんでいる。
この大迷宮で目覚めてから、ちょうど百年。
セリアの強さは、もはやこの迷宮のどの魔物をも凌駕していた。
《最早この迷宮に敵はおらんな。お前の強さは、この迷宮で鍛えられる上限に達したと言ってもよいだろう》
「随分素直に褒めるな。なんか少し気持ち悪いぞ?」
《……正直、途中で野垂れ死ぬ可能性が高いと踏んでいたものでな》
ラグルスの声が低く笑いを含む。
《だがよく見ると、その剣の炎、少し綻びがあるようだな?》
「まぁ、そうやって言われると、それはそれでむかつくな……」
《冗談はさておき、今のお前なら十分ネスヴィラに勝機がある。むしろ、上回っていると考える》
「まじかよ。まぁ、ここ数年は迷宮の魔物に物足りなさを感じてたけどさ」
セリアは立ち上がり、足元の焦げた大地を見下ろした。
焼け焦げた岩盤の間から、まだ赤い熱がちらちらと漏れている。
「……百年、長かったな」
《お前の時間で言えば、そうだろうな。だが、その百年でお前は我の期待を超える強さを手に入れた》
「ははっ、今日は褒めて伸ばす日かよ。相棒?」
セリアは軽く笑いながら手をかざし、指先に小さな炎を灯す。
それは以前よりも淡く、だが濃密に燃えていた。
《相棒はやめろ。……ネスヴィラは、怖くはないか?》
「……怖くはない。でも、ちょっとだけ、寂しいな」
セリアは静かに炎を見つめた。
「いろんな魔物と戦って、負けて、勝って、喰って……。気づけばこの場所の居心地も、悪くないって思えてきてさ。どうなるか分かんないけど、ここでの生活の終わりが近いって思うと、ね」
《お前にとっては、この迷宮が家のようなものだろうな》
「まぁここしか知らないからな!」
ラグルスの笑い声が微かに漏れた。
《……そろそろ行くか》
「そうだな……。今なら、やれる」
《奴はこの迷宮の支配者。お前が外に出ようとする時、立ち塞がるだろう》
「探す手間が無くて助かるな」
《……油断するなよ。かつての対峙を思い出せ。楽に勝てはしない》
「わかってる」
クライゲラクを軽く振る。炎が一筋、刀身を走る。
セリアは背を向け、暗い通路の方へ歩き出した。
________________________________________
迷宮の表層。
天井は見えず、壁は黒鉄の岩で覆われ、赤い脈のような光が走っている。
空気は重く、呼吸のたびに金属の匂いと熱を感じる。
奥の出口――そこには、巨大な魔法陣が刻まれていた。
岩盤の上に彫り込まれた紋様は複雑に絡み合い、円環が幾重にも重なっている。
線の一つひとつが鈍く脈打ち、淡い紫と紅の光が交互に走る。
おそらくウィアードがラグルスを外へ出さぬために施した封印。
この場所こそ、迷宮の出口にして「封印の間」。
その魔法陣の前。
かつて見た、この迷宮の支配者――魔人ネスヴィラが立っていた。
身の丈ほどの巨剣を地面に突き立て、両腕を組み微動だにしない。
その燃えるような赤い眼光は真っ直ぐにセリアを捉えている。
かつては、ただ目にするだけで息が詰まるほどの重圧を放っていた存在。
だが今のセリアは、その視線を真っすぐに受け止めていた。
「……久しぶりだな」
「…………」
セリアの言葉に、ネスヴィラは答えない。
あるいは、そもそも言葉を発する意思がないのかもしれない。
ただ、返答の代わりに腕を解き、突き刺していた巨剣をゆっくりと引き抜く。
鈍い音が響き、地面がわずかに震えた。
「先に礼を言っておく。あの時、あんたが来なきゃ今のわたしはいなかった」
「…………」
ネスヴィラは変わらず沈黙のまま。
その瞳だけが、燃えるように紅く輝き、セリアを射抜いていた。
「……ふぅ」
セリアは静かに息を吐き、瞳を閉じる。
クライゲラクの刃に結晶の炎が纏わる。
そして、炎が彼女の身体を走り不知火が包み込む。
「行くぞっ!」
その声と同時に、炎が爆ぜ紅蓮の光が封印の間を染め上げた。




