第94話 vsゴウザン その2
炉の床を踏み鳴らしながら、ゴウザンの四本腕が再び動き始めた。
前の二本が正面から迫り、後ろの二本が大きく弧を描いて側面へと回り込む。四方向からの同時攻撃。どれか一つを躱せば、必ず別の一撃が当たる軌道だ。
(同じ手には乗らない)
ルシアは前の二本の腕が迫る瞬間、真後ろに跳ぶのではなく、真横に——ゴウザンの右側面へと踏み込んだ。
側面に回り込んでくるはずだった右後腕が、逆にルシアに最も近い位置になる。だがその腕はすでに大きく振り切った後だ。戻ってくるまでに、一瞬だけ隙がある。
シュッ!
その隙を縫って、純白の剣がゴウザンの右脇腹の鱗の継ぎ目を深く斬り裂いた。
「むっ……!」
ゴウザンが初めて、苦痛の声を漏らした。
(鱗の継ぎ目を狙えば深く入る。だが——)
戻ってきた後腕がルシアを薙ぎ払った。
今度は完全には躱せなかった。腕の側面が肩を掠め、ルシアの体が大きく横に弾かれる。
「ぐっ……!」
受け身を取りながら転がり、すぐに立ち上がった。肩に鈍い痛みが走るが、腕は動く。
「……やるな、人間」
ゴウザンが右脇腹を見下ろした。鱗の継ぎ目から、黒い血が滲み出している。
「だが、それが限界だ。いつまで躱し続けられる? お前の足は、もう限界に近いだろう」
ゴウザンの言葉は正しかった。
連続回避で消耗した足が、じわじわと重くなり始めている。魔力の循環は維持できているが、体力そのものが削られていた。
(一人では、これが限界か。……だが、まだテオの作業は終わっていない)
ルシアは奥を一瞥した。テオがアマルに指示を出しながら、ステラの護衛を受けつつ懸命に囚人たちを誘導している。まだ半分以上が残っていた。
(もう少しだけ——)
「もう少しだけ、じゃないよ!!」
マイヤの怒声が炉に響いた。
「テオ! 誘導はそのまま続けろ! ステラ、護衛を頼む!」
「うん、任せて!」
ステラがテオの隣でしっかりと杖を構えた。
「よし!」
マイヤは言い切ると同時に巨大包丁を抜き放ち、ゴウザンへと向かって歩み出た。
「悪いな、番人サマ。ここからは二対一だ」
ゴウザンはマイヤを見下ろし、その黒い瞳をすっと細めた。
「料理人か。……炉の番人に包丁で挑もうとは、随分と滑稽だな」
「料理人をナメんじゃないよ」
マイヤの包丁の刀身から、青白い幻の霊火がゴウッと噴き上がった。
炉の赤い光と霊火の青白い光が混ざり合い、ゴウザンの巨体を奇妙な色に照らし出す。
「ルシア、右に回れ。アタシが左から押し込む」
マイヤが素早く言った。
「分かった」
二人が同時に動いた。
ルシアがゴウザンの右側面へと踏み込み、意識を引きつける。ゴウザンの前の二本腕がルシアへと向いた瞬間——。
「もらったァ!!」
マイヤが左側面から一気に肉薄し、霊火を最大出力まで圧縮した包丁をゴウザンの左脇腹の継ぎ目へと叩き込んだ。
ボォォォォッ!!
青白い業火が傷口から爆発的に噴き込み、ゴウザンの左脇腹の内側から焼き尽くした。
「ガァァァァッ!!!」
ゴウザンが苦悶の叫びを上げながら、マイヤへと後腕を振り下ろした。
「っ!」
マイヤが間一髪で後退する。だが衝撃波を完全には躱せず、体が大きく横に吹き飛んだ。
「マイヤ!!」
ルシアが叫ぶ。
「……ピンピンしてるよ!!」
マイヤが受け身を取りながら素早く立ち上がった。左腕に血が滲んでいるが、包丁は手放していない。
「このッ……!」
ゴウザンが今度はルシアへと向き直り、四本腕を同時に振り下ろしてきた。
ルシアは前の二本をギリギリで躱し、後ろの二本は剣で弾いた。だが衝撃で足が沈む。
(力の差がある。このままでは——)
「ルシア、下がるな! 押し込め!!」
マイヤが叫びながら再び突進してきた。
霊火を纏った包丁がゴウザンの右腕の継ぎ目に叩きつけられ、ゴウザンの動きが一瞬乱れる。その隙にルシアが右脇腹の継ぎ目を深く斬り裂いた。
シュッ!!
「ガ……ッ!!」
ゴウザンが三か所の傷を同時に抑え、初めて大きく後退した。黒い血が床を濡らし、その巨体が揺らいだ。
「……やるな」
ゴウザンが荒い息をつきながら、ルシアとマイヤを交互に見た。
「人間二人に、ここまでやられるとは思わなかった。だが——」
ゴウザンの全身の鱗が、一斉に逆立った。
黒灰色の鱗の隙間から、赤黒いマグマのような光が滲み出し始める。炉の熱を全身に取り込み、魔力と融合させる——ゴウザン本来の戦闘形態だった。
「本気を出させてくれた礼だ。死ぬ前に、少しだけ楽しませてやろう」
炉の温度が急激に上昇した。
マグマの液面が激しく波打ち、壁面の呪いの紋様が赤く輝き始める。
ゴウザンの巨体が、先ほどよりも一回り大きく膨れ上がった。
「……まずいね」
マイヤが額の汗を拭いながら、ルシアへと視線を向けた。
「ああ。一人増やす必要がある」
ルシアが静かに言った。
「ステラか」
「ああ。テオの誘導が終わり次第——」
「終わったよ!!」
テオの声が炉に響いた。
振り返ると、テオが額の汗を拭いながら駆け寄ってきた。アマルが最後の囚人を搬入口の外へと運び出し、誘導が完了していた。
「ステラ殿、頼みます!」
「任せて」
ステラが杖を握りしめ、ルシアとマイヤの隣に並んだ。
ゴウザンは三人を見渡し、その巨大な顎をにたりと歪めた。
「三人になったか。……それでも結果は変わらん」
ゴウザンが本気形態のまま、地面を砕きながら突進してきた。
その速度は、先ほどとは比較にならないほど速い。
「散れ!!」
ルシアが叫んだ。
三人が同時に別の方向へと跳んだ。
ドガァァァァンッ!!!
ゴウザンの拳が炉の床に叩きつけられ、衝撃波が炉の内部全体を揺さぶった。壁面にひびが走り、天井から黒い岩盤の破片が降り注ぐ。
「くっ……!」
ステラが衝撃波に弾かれながらも、杖を手放さずに踏みとどまった。
「ハァ、ハァ……。これが本気か」
マイヤが荒い息をつきながら包丁を構え直した。
ゴウザンはゆっくりと振り返り、三人を見渡した。
「どうした。まだ戦えるか、人間ども」
誰も、退かなかった。
「……ああ。まだまだ戦える」
ルシアが静かに答え、純白の剣を構え直した。
三人の視線が交わった。言葉はいらなかった。
次が、最後の勝負だ。




