第95話 vsゴウザン その3
ゴウザンの本気形態が解放された炉の内部は、もはや別の空間のようだった。
全身の鱗からマグマの光を滲ませたゴウザンが一歩踏み出すたびに、床が熔け、足跡がそのまま赤いマグマの水たまりと化す。魔力と炉の熱が完全に融合したその圧力は、最初の登場時とは完全に別物だった。
「三人まとめてかかってくるがいい。どうせ結果は変わらん」
ゴウザンが四本腕を広げ、低く構えた。
三人は散開したまま、互いに視線を交わした。
「ルシアくん、作戦は?」
ステラが杖を構えながら、静かに問うた。
ルシアはゴウザンの巨体を素早く観察した。
(本気形態になって鱗の硬度が上がり、継ぎ目も収縮している。マイヤの霊火と俺の剣で継ぎ目を狙う方針は変わらない。だが単純に攻めれば、またあの衝撃波でまとめて吹き飛ばされる。ステラの拘束魔法も、力で砕かれた。なら——)
「ステラ。さっきの水の鎖を、今度は足首だけじゃなく全身に同時に巻きつけられるか。砕かれてもいい。一瞬だけ動きを完全に止めてくれれば十分だ」
「……やってみる。でも全身となると、今の私でも精一杯になるよ」
「精一杯で頼む」
ルシアはマイヤへと視線を向けた。
「マイヤは右肩の傷に向かって霊火を叩き込んでくれ。さっき一度焼いた傷跡は鱗が溶けてる。そこが一番深く入る」
「了解。……アタシが霊火を叩き込んでる間に、お前はどこを狙う」
「喉元だ」
ルシアが静かに言った。
「鱗がない。唯一の弱点だ」
マイヤの黄金の瞳が、ゴウザンの巨大な首元へと向いた。確かに、太い首の正面だけ、鱗ではなく黒い皮膚が露出している。
「……なるほど。だがあそこに届くには、あの巨体に正面から近づくしかない。本気形態の衝撃波を真正面から食らう距離だぞ」
「食らわないように動く」
「簡単に言ってくれる」
「お前がいれば大丈夫だ」
マイヤはしばらくルシアを睨みつけ、それからフッと鼻で笑った。
「……気に入ったよ、剣士。いいだろう」
「タイミングはステラに合わせる。……ステラ、合図をくれ」
「分かった。……いくよ」
ステラが深く息を吸い込み、白金色の杖を両手でしっかりと握りしめた。
全属性の魔力を一点に集中させる。炉の熱で蒸発しかけている水分を、空気中から強引に絞り出し、精製し、極限まで圧縮する。星霊魔法の器に、全ての力を注ぎ込む。
ゴウザンが動いた。
「終わりにしよう」
巨体が地面を砕きながら突進してくる。四本腕が一斉に振り上げられ、三人をまとめて潰しにかかる体勢だ。その速度は、これまでで最速だった。
「今!!」
ステラが杖を振り下ろした瞬間。
ゴウザンの全身に、無数の水の鎖が同時に巻きついた。足首、膝、腰、両肩、四本の腕。ステラが全力で精製した鎖が、ゴウザンの動きを全方向から同時に拘束する。
「ぬ……っ!!」
ゴウザンの突進が止まった。
だが鱗がきしむ音が聞こえた。砕けるまで、あと数秒。
「今だ、マイヤ!!」
ルシアが叫んだ。
「もらったァ!!」
マイヤが地面を蹴り、右側面から一直線にゴウザンへと肉薄した。霊火を極限まで圧縮した包丁が、右肩の焼け跡——鱗が溶けて露出した赤い傷口へと、深々と突き刺さった。
ボォォォォォッ!!!
青白い業火が傷口の奥深くへと爆発的に噴き込む。マグマの熱と霊火の温度が混ざり合い、ゴウザンの右肩の内部で凄まじい爆発が起きた。
「ガァァァァァッ!!!!」
ゴウザンが絶叫した。
水の鎖が、その衝撃で砕け散った。
だが——。
その瞬間を、ルシアはただ待っていた。
足元からマナを引き上げ、心臓を通し、腕から剣先へと完全に循環させる。体の全てを使った、今この瞬間だけの一閃。
ゴウザンの絶叫が響く中、ルシアの姿が掻き消えた。
地面を踏む音すら立てない。
純白の剣の切っ先が、ゴウザンの喉元の黒い皮膚へと向かう。
(……王都でザガンに這いつくばったあの日から、俺はここまで来た)
ルシアの脳裏に、一瞬だけフラッシュバックが走った。
ガルスが悪魔と化し、仲間が傷つき、ただ無力に膝をつくしかなかったあの夜。
だが今は違う。
剣は循環する。魔力は流れる。隣にはマイヤとステラがいる。
「——終わりだ」
純白の剣が、ゴウザンの喉元を深く貫いた。
シン……と。
炉の内部に、静寂が訪れた。
ゴウザンの巨体が、ゆっくりと、しかし確実に傾いていく。四本腕が力なく垂れ下がり、全身の鱗から滲んでいたマグマの光が、ゆっくりと消えていった。
「……人間に、やられるとは」
ゴウザンが掠れた声で呟いた。
「……リフィア様に、伝えておけ。次の壁は……お前たちを、確実に仕留められる者を用意しろと」
巨体が炉の床に崩れ落ちた。
轟音が炉の内部に響き渡り、マグマの液面が大きく波打つ。
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
「……やった」
ステラが、杖を握りしめたまま静かに呟いた。全身から力が抜けていくのを、杖を支えにして堪えている。
「ああ」
ルシアが純白の剣を収め、大きく息を吐き出した。
全身が、じわじわと重くなってくる。怪我はない。だが、これほど魔力を使い切ったのは久しぶりだった。
「見事なもんだね」
マイヤが包丁を背負い直しながら、ゴウザンの巨体を見下ろした。
「三人いなきゃ無理だったけどな」
ルシアが素直に言った。
「珍しく素直じゃないか」
マイヤが笑う。
「事実だから」
「ルシアくん、怪我は?」
ステラが駆け寄ってくる。
「ない。お前は?」
「私も。……マイヤさんは?」
「ピンピンしてるよ。……さて」
マイヤが炉の奥へと視線を向けた。
「テオ、状況は?」
ルシアが声をかけた。
「全員の誘導、完了したよ……!」
テオが額の汗を拭いながら、疲弊した笑顔で答えた。
「ただ——一人だけ、どうしても自力で動けない人がいて……」
ルシアはテオの元へと駆け寄った。
テオが指差す先の檻の中に、壁にもたれかかった若い男が一人、鎖に繋がれたまま力なく座っていた。衰弱しているのか、自力では立ち上がれない様子だ。
「……大丈夫か」
ルシアが格子越しに声をかけた。
男がゆっくりと顔を上げた。
日焼けした肌、短く刈り込んだ黒髪、疲弊しきった目。だがその目の奥に、まだかすかな意志の光が残っていた。
「……あんた、人間か」
男が掠れた声で言った。
「ああ」
「……父に、頼まれたのか」
ルシアの目が、わずかに見開かれた。
「お前、名前は」
男は答える前に、薄く笑った。
「……漁師の息子だ。父が、まだ生きていたなら——よろしく伝えてくれ」
炉の赤い光の中で、ルシアは静かに格子を純白の剣で断ち切った。
「直接言え。俺たちが、必ずお前を連れて帰る」




