第90話 神炎の炉
前回と同様に、セリフや情景描写のまとまりごとに空白行を入れ、Web小説として読みやすいように行間を調整しました。いよいよ妹リフィアとの接触が迫り、緊迫感が最高潮に達する熱い展開ですね。
第90話 神炎の炉
赤い光は、近づくにつれてその輪郭を鮮明にしていった。
水雷石の青い光と、深海の底から滲み出る赤い光が混ざり合い、船内をぼんやりとした紫色に染め上げている。テオが息を殺しながら操縦席でアマルに指示を出し続け、船体はできる限り岩柱の陰を縫うようにして前進していた。
「……でかい」
ルシアが低く呟いた。
視界が開けた先に広がっていたのは、想像を遥かに超える光景だった。
海底の大地が大きく陥没した巨大な盆地。その中心で、直径数百メートルはあろうかという巨大な穴から、真っ赤なマグマが間欠泉のように噴き上がっている。穴の周囲には黒い岩盤が積み重なり、まるで巨大な炉の壁のように聳え立っていた。
神炎の炉。
海底火山などではない。千年の時をかけて形成された、星のマグマを直接噴き出す超高圧の深海の炉。その熱量は、アビス・ヴェインの海水を沸騰させ続けるほどの、途方もないエネルギーだった。
「……あれを見て」
ステラが震える声で言った。
炉の周囲に、無数の黒い影が群れていた。
燃えない黒い鉄で覆われた軍艦が、炉を取り囲むようにして停泊している。その数、ざっと見ても二十隻以上。甲板の上には魔族の兵士たちが蠢き、艦の腹からは太いパイプが炉の壁面へと接続されていた。
そして、パイプの中を通って炉へと送り込まれているのは——。
「人間だ……」
テオの声が掠れた。
鎖に繋がれた人間たちが、黒い軍艦から列をなして炉の入り口へと連行されていく。その中に、老いた者も、若い者も、子供の姿すらあった。
「……老漁師の息子も、あの中に」
ルシアが奥歯を噛んだ。
「今すぐぶっ飛ばしに行きたいところだが」
マイヤが巨大包丁の柄を握りしめながら、絞り出すように言った。
「今動いたら、二十隻以上の軍艦を全部敵に回す。正面突破は無謀だ」
「分かってる。まず潜入ルートを——」
その時だった。
ドンッ!!
衝撃が船体を揺さぶった。
「何かに当たった!?」
テオが慌てて計器を確認する。
船体の外、水雷石の光の端に、巨大な影が蠢いていた。
全長十メートルはあろうかという、深海の魚に似た形の魔物。だが全身が黒い鱗ではなく、魔族特有の呪いの紋様が刻まれた装甲に覆われており、その眼窩は人間のように意志を持った赤い光を放っていた。
【深海守護者アビス・ガーディアン】。
炉を守る番人だ。
しかも一体ではない。左右の岩柱の陰から、次々と同じ姿の番人たちが現れ、アマルの船体を取り囲み始めた。
「テオ、アマルは動けるか」
ルシアが冷静に問う。
「潜航形態のままじゃ機動力が落ちる。でも——」
テオは一瞬だけ考え、それからニヤリと笑った。
「アマルの装甲の一部を展開して、推進用の脚部を形成する。深海版の機動形態だ。やったことないけど、絶対できる」
「やれ」
「うん! アマル、緊急展開! 脚部形成!」
ガシャンッ!!
船体の両脇から、純鉄ギアで構成された六本の脚が展開された。深海の水圧に抗うように力強く蠢き、アマルの船体が俊敏に動き始める。
最初の番人が巨大な顎を開き、船体めがけて突進してきた。
「ステラ!」
「任せて!」
ステラが白金色の杖を船体の内壁に向けてかざした。
詠唱なし。
船体の外壁に沿って、青白い水の刃が螺旋状に展開される。深海という水の中にいるステラの水魔法は、地上とは比較にならないほどの威力を発揮した。
シュパァァァァッ!!
一体目の番人が、水の刃に全身を切り裂かれて深海の闇へと沈んでいった。
「二体目、左から!」
テオが叫ぶ。
「右にも!」
ステラが両手を広げ、杖を高速で薙いだ。
放射状に展開した水の刃が、同時に二体の番人を両断する。深海の水が武器になる環境で、ステラの全属性魔法は圧倒的な相性の良さを発揮していた。
「……残り二体」
ルシアが静かに言った。
「ルシアくん、どうするの!? 船の外には出られないよ!」
「出なくていい」
ルシアは純白の剣を抜き、船体の内壁に剣先をそっと当てた。
魔力を循環させ、剣先から内壁へと通し、蒼海銀の装甲を伝って——外へ。
ドンッ、ドンッ!!
船体の外壁から、白い光の斬撃が二条、まるで船体そのものが剣を振ったかのように放たれた。
残り二体の番人が、光の軌跡に両断されて深海の闇に消えていった。
「……剣の斬撃を、船体ごと伝導させたのか」
マイヤが目を丸くした。
「魔力の循環を、剣の外まで延長しただけだ」
ルシアが静かに剣を収める。
船内に、静寂が戻った。
テオがアマルに脚部の収納を指示し、再び潜航形態へと戻していく。
「……黒い軍艦は気づいてないみたいだね」
ステラが胸を撫で下ろした。
「深海の岩柱が、音と光を遮断してくれてたんだ。ラッキーだった」
テオが額の汗を拭う。
「ラッキーに頼ってる場合じゃない。早く潜入ルートを——」
ルシアが言いかけた、その時。
フォニアが突然、座席から立ち上がった。
「……来るぞ」
その声に、いつもの軽さが微塵もなかった。
「何が?」
ルシアが問う。
フォニアの赤い瞳が、炉の方角を真っ直ぐに見据えていた。
「妹じゃ。……我輩の気配に気づいた。リフィアが、こちらに向かってきておる」
船内の空気が、一瞬で凍りついた。
炉の方向から、深海の水圧すら押し返すような、途方もない魔力の波動が押し寄せてくるのを、全員が肌で感じた。
決戦の幕が、今、上がろうとしていた。




