第87話 追手
南東の街道を突き進む一行と、それを阻む王国軍との鮮やかな一戦。それぞれのキャラクターの強さと余裕が際立つ、非常に爽快感のあるシーンですね。
こちらも、戦闘のスピード感や情景の広がりをより感じられるよう、行間と段落を最適化して整えました。
沸騰海域への序奏:荒野の追走劇
辺境都市ランカを出発した翌朝。
南東の街道を、漆黒の巨体が爆速で駆け抜けていた。
潜航カプセルをその背に固定した機巧獣の四肢が、大地を力強く蹴るたびに周囲の景色が後方へ吹き飛んでいく。
操縦席のテオが風除けの魔力障壁を展開し、背後の座席ではマイヤが巨大包丁を膝に立てながら地平線を眺め、フォニアがルシアの頭の上で丸まって居眠りをしていた。
「いい天気だね。こんな日に死地に向かってるなんて、我ながら頭おかしいな」
ステラが苦笑いしながら白金色の杖を膝に寝かせる。
「頭がおかしくない奴が、沸騰する海の底に潜ろうなんて思わないさ」
ルシアが前方を見据えたまま答えた。
「違いない」
マイヤが豪快に笑う。
街道は次第に人気が薄れ、枯れ草が目立つ荒野へと変わっていった。南東の空気は、ランカより僅かに重く、どこか硫黄に似た匂いが混じり始めている。
遠く沸騰海域アビス・ヴェインから流れてくる蒸気の匂いだろうか。
「……テオ、速度を落とせ」
不意に、ルシアが静かに言った。
「え? どうしたの?」
「街道の先。茂みに人の気配がある。……一人じゃない」
テオがアマルに減速の指示を出す。
フェンリルの速度が落ちると同時に、フォニアがルシアの頭の上でむくりと起き上がった。
「……ほう。随分と下手くそな隠れ方じゃな」
フォニアが欠伸をしながら前方の茂みを一瞥した。
「魔族か?」
ルシアが問うと、フォニアは鼻を鳴らした。
「ただの人間じゃ。魔力の質が安っぽい。……王国の臭いがするのう」
その言葉が終わる前だった。
街道の両脇の茂みから、完全武装の兵士たちが一斉に飛び出してきた。数は十数人。全員が王国の正規軍の紋章入り鎧を纏い、弓と槍を構えている。
先頭に立つ隊長格の男が、魔法拡声器を手に声を張り上げた。
「国家反逆罪人、ルシア・フォン・レイモン並びにその一味! 王国の命により、ここで身柄を確保する! 抵抗すれば問答無用で射殺する!」
兵士たちの視線が、フェンリルの背に乗るルシア、ステラ、テオへと向けられる。
そして、地面に降り立っているマイヤへと視線が移った瞬間、隊長が眉をひそめた。
「……貴様は手配書にない顔だな。関係者か?」
「いいや、ただの通りすがりの料理人だよ」
マイヤがしれっと答え、巨大包丁を肩に担ぎ直した。
「ならそこを退け。巻き込まれたくなければ」
「そうだね。アタシには関係ない話だし、大人しく退いておくとするか」
マイヤがのんびりと一歩横に退いた。隊長が「よし」と頷き、再びルシアたちへと向き直る。
「全員、射て!!」
号令と共に、十数本の矢が一斉に放たれた。
「ステラ」
「うん」
ステラが白金色の杖をすっと前に向けた。
詠唱なし。指先ほどの動作だけ。
シュウッ……と、放たれた全ての矢が、ステラの前方で見えない壁に当たったように一斉に静止し、そのままパラパラと地面に落ちた。
「ば、馬鹿な! 魔法障壁を一瞬で……!」
兵士たちが動揺した隙に、ルシアがアマルの背から地面へと降り立った。
丹田から魔力を引き上げ、両脚へと循環させる。
次の瞬間、ルシアの姿が掻き消えた。
ドン、ドン、ドンッ!!
三つの鈍い音が連続して響き、兵士たちの手に握られていた槍と弓が、まるで紙切れのように真っ二つに両断されて地面に落ちた。
肉体には一切触れず、武器だけを精密に斬り飛ばす一閃。
気づいた時には、ルシアはすでに元の場所に立ち戻っていた。
「ひっ……! い、今、何が……!?」
武器を失い、呆然と立ち尽くす兵士たちの前に、マイヤがのしのしと歩み出た。
「あー、やっぱり関係なくもなかったわ」
マイヤが包丁の刀身から、青白い幻の霊火をチロリと覗かせる。
それだけで、兵士たちの顔が蒼白に変わった。
「こいつらはアタシの大事な客なんでね。王国の偉い人たちにこう伝えてくれ。『次に追手を寄越したら、武器だけじゃなく鎧ごと両断する』ってね。……分かったら、さっさとお帰り」
隊長が「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げ、兵士たちは武器の残骸を放り出したまま、来た道を全力で逃げ去っていった。
その背中を見送りながら、フォニアがルシアの頭の上で再び丸まった。
「……思ったより早く終わったのう。我輩が出る幕すらなかったではないか」
「出る気があったのか?」
「これっぽっちも」
ルシアが苦笑いし、テオが「やっぱり」と笑う。
「よし、行くぞ。時間を無駄にした」
ルシアの号令と共に、全員がフェンリルの背に乗り込む。
アマルが再び大地を蹴り、潜航カプセルを背負った漆黒の巨体が南東へと疾走を再開した。
しばらく走ったところで、テオが操縦席から声を上げた。
「ルシアくん! 前方を見て!」
地平線の彼方。
荒野の果てに、もうもうと立ち昇る白い蒸気の柱が、いくつも、いくつも空へと伸びていた。
「……あれが」
「ああ。沸騰海域。……いよいよだ」
誰も言葉を続けなかった。
蒸気の向こうに広がる死の海が、一行を静かに、しかし確実に、その腕の中へと招いていた。




