第85話 蒼海の機巧
辺境都市ランカのギルド最下層。
大昔のドワーフが残したという大地下工房に響き続けていた甲高い打撃音が、ついにピタリと止んだ。
「……完成だ。完璧な組み上がりだよ!」
顔を煤だらけにしたテオが、重いハンマーを床に置いて歓声を上げた。
彼が三日三晩徹夜して造り上げたのは、全長数メートルほどの流線型をした鉄の船――『蒼海潜航カプセル』だ。外殻にはエルフの長老から譲り受けた古代の霊金属『蒼海銀』のパネルが隙間なく張られ、その内側には、流体金属スライムであるアマルの漆黒の身体が、衝撃と圧力を逃がすためのクッションとして分厚く張り巡らされている。
「おーっ! すごい凄い! これが深海に潜る船なんだね!」
ステラが目を輝かせて船体を撫でる。地下工房のむせ返るような熱気の中にありながら、熱を完全に遮断する蒼海銀の装甲は、驚くほどひんやりと冷たかった。
「蒼海銀が外部の超高温を完全に弾き、深海の異常な水圧は、装甲の内側を満たしたアマルの弾力性が物理的に分散・吸収する。魔力による結界じゃないから、僕らの魔力が尽きても絶対に水圧で潰れないんだ!」
魔法を一切使えないからこそ辿り着いた、純粋な物理力学とからくりの結晶。テオは愛機を叩きながら誇らしげに胸を張った。
「ヒャハハッ! こりゃあいい! 中も意外と広いじゃないか。これならアタシの食材もたっぷり積めるね!」
巨大包丁を背負ったマイヤが、さっそく市場で買い占めてきた大量の干し肉や香草、さらには生きたままの変異種の鎧蟹などを、カプセルの後部スペースに次々と運び込んでいく。
「まったく、無骨な鉄の箱じゃな。我輩の優雅な羽が窮屈になるではないか」
ルシアの腰丈ほどの背丈の悪魔、フォニアが文句を垂れながらも、一番座り心地の良さそうなシートを素早く陣取った。
「……準備は整ったみたいだね」
工房の入り口から、金髪の幼いエルフの少女――ギルドマスターのメリルが姿を現した。彼女の手には、出立の餞別として、淡く発光する青い鉱石が握られている。
「メリル婆さん。色々と世話になったね。この街の市場、なかなか最高だったよ」
マイヤが笑いかけると、メリルはフンと鼻を鳴らした。
「あんたが市場で暴れ回るせいで、商会からのクレーム処理が大変だったんだよ。……ほら、テオ。これを持っていきな」
メリルがテオに向かって放り投げたのは、『水雷石』と呼ばれる希少な鉱石だった。
「光すら届かない深海じゃ、普通のランプは役に立たない。その石の発光なら、深海の分厚い水も通すはずだ。機巧の動力源にでも組み込みな」
「ありがとう、メリルさん! 大切に使うよ」
テオが嬉しく石を受け取り、カプセルの計器盤の奥へとはめ込むと、船内が柔らかな青い光に包まれた。
「……さて。船はできたが、海まではどうするんだい? まさか、そのまま引きずっていくわけじゃないだろうね」
メリルの問いに、テオは自信たっぷりにニヤリと笑った。
「もちろん! アマル、いつもの形態になって!」
テオの合図と共に、カプセルの周囲を覆っていた漆黒の流体が蠢き、カプセルをその背に組み込むようにして、巨大な四足の獣――「機巧獣フェンリル」の姿へと変貌した。
北のドワーフの里で、伝説の鍛冶師バルゴの技術とテオの機巧が見事に融合して生まれた、アマルの地上における最強の形態だ。
「なるほどね。……本当に、魔力ゼロのからくりだけで何でもやっちまうんだね、あんたは」
メリルは呆れたように息を吐き、そして、ルシアへと視線を向けた。
昨夜、フォニアから明かされた「人間の奴隷を生きたまま悪魔へと変える培養プラント」の真実。それを胸に秘めたまま、メリルは歴戦のギルドマスターとして不敵な笑みを浮かべた。
「いいかい、あんたたち。海を舐めれば一瞬で死ぬ。……とっとと、その胸糞悪い海の底を掃除して、帰ってきな!」
「ああ。……また世話になっちまったな、メリル。行ってくる」
ルシアが力強く頷き、純白の剣の柄を静かに握りしめた。
地下工房のハッチが開き、夜明け前の冷たい風が吹き込んでくる。
機巧獣の姿となったアマルが力強く地面を蹴り、深海への方舟を背負って、南東の海岸へと向けて滑走を開始した。
星の命運と、千年の因縁が交差する深海への戦い。
ルシアたちの新たな旅路が、ここ辺境都市ランカから再び始まった。




