表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣士転生-たった一つの基礎魔法で世界を両断する-  作者: きゃみちゃま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/96

第84話 長命者たちの夜

辺境都市ランカは、王国の中心部から遠く離れた辺境でありながら、常に独特の熱気と活気に満ちている。


絶対死地と謳われた『世界樹の迷宮』からの帰還という歴史的な偉業を成し遂げたルシアたちは、ギルドマスターであるメリルの計らいにより、この喧騒の中で束の間の休息と、次なる死地への準備期間を与えられていた。


ギルドの最下層、分厚い石壁に囲まれた大地下工房。

そこでは、三日三晩休むことなく純鉄の甲高い打撃音が響き渡っていた。


「よし、ここのギアの噛み合わせは完璧だ。あとは『蒼海銀』の装甲パネルを、アマルのクッション機構とどう連動させて水圧を逃がすか……」


魔力を一切持たない機巧技師・テオは、顔を煤だらけにしながら巨大な設計図と睨み合っていた。魔法に頼らず、純粋な物理力学とエルフの古代金属だけで、深海の極限水圧に耐えうる潜水艇を造り上げる。その狂気じみた情熱は、完全に職人のそれだった。


一方、地上の市場では、巨大包丁を背負った料理人・マイヤが暴れ回っていた。


「おいおい、この『鎧蟹アーマー・クラブ』、鮮度が落ち始めてるじゃないか! 沸騰海域の近海で獲れた変異種だって言うなら、もっと活きのいいのを出せないのかい!?」


威勢よく魚屋の親父を買い叩くマイヤの背後には、すでに山のような高級食材が積まれている。彼女の食と炎に対する執念は、ランカの商人たちを震え上がらせていた。


そして、ルシアとステラはといえば、賑やかな大通りのテラス席で静かに茶を飲んでいた。

かつて己の莫大な魔力に怯え、俯いていたステラは、今や行き交う人々の活気を楽しそうに眺めている。


ルシアもまた、ヒリつくような殺気は鳴りを潜め、大気のマナと自然に同調しながら静かに目を閉じていた。だが、その胸の奥底で燃える炎が消えたわけではない。

人間の絶望を極上の見世物として嘲笑った魔族の悪意への怒り。そして、圧倒的な暴力の前に膝をつくしかなかった己の無力さへの悔恨。二度と大切なものを理不尽に奪わせないため、彼はただ、刃を極限まで研ぎ澄ますように静かにその時を待っているのだ。


それぞれのやり方で、彼らは来たるべき南東の海――『沸騰海域』への戦いに備えていた。


そんな彼らの喧騒から切り離された、深夜のギルドマスター執務室。


月明かりだけが差し込む薄暗い部屋で、ギルドマスター・メリルは、机に積み上げられた分厚い報告書に目を通していた。

王国の不審な物資移動の記録、南東の港町で目撃された黒い軍艦の噂、そして暗躍する魔族の痕跡。集められた情報を照らし合わせる彼女の表情には、昼間のクッキーをかじる無邪気さはなく、長い年月を生き抜いてきた冷徹な為政者の顔が浮かんでいた。


「……随分と熱心に紙切れと睨み合っておるな、長耳のエルフよ」


不意に、部屋の空気が微かに揺れた。

窓も扉も開いていない。認識阻害と防音の強固な結界が張られたこの部屋に、何の予兆もなく「それ」は現れた。


ルシアの腰丈ほどの背丈しかない、漆黒の羽を持った悪魔――フォニアが、いつの間にか来客用のソファに深々と腰掛け、足を組んでいた。


メリルは報告書から顔を上げることなく、机の引き出しから古い水晶のグラスを二つ取り出し、琥珀色の強い酒を注いだ。


「ノックもなしにギルドマスターの部屋に忍び込むなんて、随分と行儀の悪い悪魔だね。そこにある酒でも舐めな。あんたたちみたいな『長生きの化け物』には、クッキーや甘い茶よりこっちの方が合うだろう?」


フォニアはソファから立ち上がり、ゆったりとした歩みで机に近づくと、グラスを手に取ってペロリと酒を口に含んだ。


「ほう……エルフの秘蔵酒か。悪くない。千年前の魔王城の酒蔵にあったものに近い味がする」


十歳前後に見えるエルフと、人間の子供ほどの背丈しかない悪魔。

外見だけを見れば無邪気な子供の夜遊びのようだが、その部屋を満たしているのは、千年という途方もない時間を生きる者同士だけが持つ、静かで底知れぬ重圧と緊迫感だった。


「さて」

メリルがグラスを傾け、氷をカラリと鳴らす。


「なんで、あんたみたいな大層な化け物が、あんな人間の若者たちに同行してるんだい? あんたの目的はなんだ、フォニア」


メリルの鋭い問いかけに対し、フォニアはグラスの縁から赤い瞳を覗かせ、鼻で笑った。


「退屈しのぎじゃよ。……それに、もう一つ理由がある」

フォニアの赤い瞳から、ふざけた色がスッと消えた。


「……我輩の双子の妹じゃ。エルトラで封印が解かれた時、我輩は南東の海から凄まじい魔族の気配を感じた。ルシアたちにはただ『魔族が集結しておる』としか伝えておらんが……我輩にはすぐに分かった。あれは間違いなく、妹『リフィア』の気配じゃ」


「双子の妹? あんた、千年前の戦火の元凶じゃなかったのかい?」


メリルの言葉に、フォニアは心底不愉快そうに顔をしかめた。


「アホ抜かせ。我輩は完全なる『平和主義者』じゃ! 千年前、エルトラの近くで楽しくピクニックをしておっただけなのに、破壊主義者である妹と間違えられて、貴様らポンコツエルフどもに誤認逮捕されて封印された可哀想な被害者じゃぞ!」


「…………は?」

歴戦のギルドマスターであるメリルの思考が、完全に停止した。


「……ちょっと待ちな。千年もの間、南のエルフたちが命懸けで守り、世界樹を汚染し続けてきた『災禍の魔女』の封印が……ただの、人違いの冤罪だって言うのかい!?」


「いかにも! 全く迷惑な話じゃ! ……そして、我輩の代わりに封印を逃れた本物の破壊主義者リフィアは、この千年間、人間界の影でずっと暗躍し続けておった」


メリルは頭を抱え、しばらく言葉を失った。エルフの歴史の根幹を揺るがすトンデモない真実だが、目の前の小悪魔が放つ「心底迷惑だった」というオーラは紛れもない本物だ。


「……信じられない話だが、あんたのその態度のデカさなら納得だよ。……で、そのヤバい妹が、南東の海を牛耳ってるってことかい」


「おそらくの。……エルフよ、貴様も薄々感づいておるじゃろう。王国が南東の海へ送っている『大量の物資』の本当の中身に」


メリルは顔をしかめ、手元の報告書をバサリと机に放り投げた。


「……奴隷、貧民、それに国に逆らった罪人たち。生きた人間を、貨物船にすし詰めにして送り出してるって噂のことかい」


「いかにも。南東の深海にある『神炎の炉』……あれは海底火山などではない。極限の水圧と沸騰する熱を利用して、人間をベースに新たな魔族を強制錬成する『巨大な培養炉プラント』じゃ」

フォニアは冷酷な事実を、淡々と告げる。

「あやつらは、ルシアの兄を素体にして造り出した『悪魔と化したガルス』……あれを試作品として、あの海の底でより凶悪な悪魔を軍団規模で量産しようとしておるのじゃ」


「……胸糞悪いにも程があるね」

メリルの表情に、強い嫌悪感が走った。


「なるほど、合点がいったよ。王国が元々このランカの地下資源『旧神の脈動』を独占しようとしていた計画は、ルシアたちに完全にぶっ潰された。手柄と資源を取りはぐれて焦った王国上層部は、魔族が持ちかけた『南東の海での代替案』に飛びついたってわけかい」


「その通りじゃ。安全な大地の資源が得られぬのなら、危険な深海の炉を使うしかない。その『燃料』として、自国の民を嬉々として売り飛ばしておるのじゃから、人間とは本当に救いようのない生き物よ」


部屋の空気が、さらに一段階冷え込んだ。


「その南東の海にいる魔族の親玉が、あんたの妹なら。……王都でルシアたちを嘲笑い、人間の絶望を弄んだあの下位魔族ザガンも、あんたの妹の派閥ってことになるね」

メリルは机に身を乗り出し、フォニアを真っ直ぐに睨みつけた。

「ルシアの怒りは、兄貴を殺されたからじゃない。人間の命や尊厳を余興の道具にする、魔族の底知れぬ悪意そのものに向けられている。もし、その元凶の頂点がフォニア……あんたの妹だと知ったら、あの子の刃は、あんたにも向くかもしれない。あんたは、あの子に殺される覚悟があって隣にいるのかい?」


メリルの重い問いかけに、フォニアはしばらく沈黙し、そして――フッと鼻で笑った。


「我輩は平和主義の悪魔じゃぞ? 妹の尻拭いで殺されるなど御免じゃ。……それに、ルシアは貴様が心配するほど脆くはない」


フォニアはグラスを置き、窓の外の月を見上げた。


「迷宮での死闘を経て、あやつは変わった。かつて王都で敗北した時のように、無力感や怒りに呑まれて自分を見失うようなことはもうない。今のルシアは、自らの内に渦巻く理不尽への怒りを、ただ大気のマナを吸い上げるための『燃料(呼び水)』として、完全に冷徹に制御しておる。……あの研ぎ澄まされた刃が、我輩のイカれた妹をどうやって叩き斬るのか。我輩はただ、特等席で見届けるだけじゃ」


「……」

メリルはフォニアの横顔をじっと見つめ、やがて深々とため息をついた。


「だが……あの子たちが、どれだけ理外の力を手に入れても。私から見れば、まだ百年も生きていない、ただの不器用な若者たちさ。いつか限界が来て、壊れてしまわないか、心配で仕方がないんだよ」


幼い容姿の奥底に隠された、歴戦のギルドマスターとしての親心。

それは、千年という時間を生きる長命種族だからこそ抱く、一瞬の光のように燃え尽きていく人間という種族への、愛おしさと哀愁だった。


フォニアは何も言わず、ただグラスの残りの酒を一気に飲み干した。


「……フン。エルフというのは、無駄に感傷的で面倒くさい種族じゃな。我輩は寝るぞ」


フォニアの姿が、闇に溶けるように消えようとする。

その背中へ向けて、メリルはぽつりと呟いた。


「……南東の海は、あんたたち悪魔にとっても死地になるかもしれない。あの子たちの背中……頼んだよ、悪魔」


姿が完全に消える直前。


「……フン。気まぐれじゃ」

というフォニアの小さな呟きが、月明かりの執務室に微かに響いた。


静寂を取り戻した部屋で、メリルは空になった二つのグラスを見つめ、小さく微笑む。


王国の思惑、生きた人間を苗床とする魔族の狂気、そして千年の冤罪。

ルシアたちが飛び込もうとしているのは、世界樹の迷宮すら比較にならない、星の命運を懸けた巨大な渦の中心だった。


「……さて。私も、ギルドマスターとしてできる限りの手回しをしておくとしようかね」


歴戦のギルドマスターは再び不敵な笑みを浮かべ、ランカの長い夜は更けていく。

地下工房から微かに響き続ける純鉄の打撃音だけが、近づく決戦の時を正確に刻んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ