第77話 猛毒の急降下
ゴォォォォォォォォォッ!!!
世界樹の壁の奥深く。大地の呪いを最下層へと流し込む『大動脈』の内部は、真っ暗な絶叫の渦だった。
テオの相棒である黒いスライム『アマル』が展開した、完全密閉型の球体防壁。その外側では、強酸と致死量の瘴気が混ざり合った真っ黒なヘドロの濁流が、凄まじい水圧で球体を叩きつけている。
「ひぃぃぃっ! 揺れる! 溶ける! 削られるぅぅぅっ!!」
球体の内部で、テオが涙目で叫びながら、中心部にある純鉄ギアの機構を必死に調整していた。
エルフの精霊銀でコーティングされているとはいえ、外から聞こえてくる『ジュウウウゥゥッ』という激しい腐食音は、防御の限界が近いことを容赦なく告げている。
「テオ! あとどれくらい保つ!?」
マイヤが球体の内壁に手をつき、自身の幻の霊火を薄く展開して、スライムの装甲を内側から必死に補強しながら叫んだ。
「わ、分かんない! でも、コーティングの厚さがもう半分を切ってる! このままの落下速度だと、底に着く前に僕たち全員、強酸の胃袋で消化されちゃうよ!」
「……ふむ。そう焦るな。ほれ、下から面白い振動が伝わってきておるぞ」
極限状態の密室の中、ただ一人、フォニアだけがマイヤの背中にしがみつきながら楽しそうに目を閉じていた。
「あの小娘……ステラと言ったか。あやつ、ただの非力な魔法使いかと思っておったが、とんでもないバケモノじゃな」
「なんだと?」
「今、遥か下層で、途方もない質量の魔力と千年の呪いが正面衝突した。おそらく、あやつが自身でかけていた『魔力制御のリミッター』を完全に外して、呪いと同調したのじゃろう。……すべての属性を内包する莫大な魔力。それが暴走すれば、呪いの防衛機構ごと自爆しかねん大惨事じゃ」
フォニアの言葉に、マイヤの心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
(あの不器用で、いつも申し訳なさそうに笑ってたステラが……自分の命を削ってまで、あんなバカげた魔力を暴走させてるってのか!?)
「テオ!! 落下速度を上げろ! あいつらが全滅する前に、絶対に間に合わせる!!」
「む、無理だよ! これ以上加速したら、底に激突した衝撃でアマルが破裂する!」
テオが叫んだ、まさにその瞬間だった。
ドッゴォォォォォォンッ!!!!!
「ぐあぁっ!?」
「きゃあっ!」
球体が、何かに激突して急停止した。
凄まじい衝撃で球体内の上下が反転し、マイヤとテオはスライムの柔らかな内壁に強かに叩きつけられた。
「な、なんだ!? 底に着いたのか!?」
マイヤが体勢を立て直すと、フォニアが首を振った。
「いや、まだ最下層ではない。……大動脈の『出口の弁』じゃ。毒を溜め込む最下層の手前には、逆流を防ぐための、最も分厚く強固な『呪いの隔壁』が存在する。……ほれ、外を見てみい」
テオがアマルの装甲の一部を薄く透明化させ、外部の視界を確保する。
そこにあったのは、真っ黒なヘドロの海。そして球体の下には、鋼鉄の何十倍もの密度で編み込まれた、巨大な『肉の壁』が、脈を打ちながら出口を完全に塞いでいた。
しかも最悪なことに、球体が隔壁に引っかかって停止したことで、上から流れ落ちてくる強酸の濁流が、アマルの球体を「水没」させようと一気に溜まり始めたのだ。
『ピギィィィッ!!』
アマルが悲鳴を上げ、ミスリルのコーティングが限界を迎え、内壁のあちこちから強酸の蒸気がシュウシュウと漏れ出し始めた。
「まずい! このままじゃ数秒でカプセルが溶けて、僕たち全滅する!!」
テオがパニックになりかける。
「テオ!! 泣き言を言ってる暇はない!!」
マイヤが、テオの胸ぐらをガシッと掴み、その黄金の瞳で真っ直ぐに少年を睨みつけた。
「お前はドワーフの誇り高き機巧技師だろ!? 道が塞がってるなら、お前のその鉄くずで、アタシの道をこじ開けろ!!」
マイヤの強烈な活に、テオはハッと息を呑み、そしてギリッと唇を噛み締めた。
「……やる! アマル、全エネルギーを前方に集中!! 装甲の防御を捨てて、一点突破の【超高速穿孔機】に変形だ!!」
テオの指示を受け、球体防壁がギュルンッと形を変える。
下向きの先端部に、ミスリルと純鉄ギアが幾重にも重なり合った、巨大な漆黒のドリルが形成され、凄まじい轟音と共に超高速回転を始めた。
ギュイィィィィィィンッ!!!
ドリルが肉の隔壁をゴリゴリと削り始めるが、千年の呪いが凝縮された壁はあまりに硬く、ドリルの刃の方が摩擦で赤熱し、砕け始めている。
「出力が足りない……ッ! 貫き切る前に、ドリルの刃が溶けちゃう!」
テオが叫ぶ。
「アタシが押し込むッ!!」
マイヤが、球体の『後方』に向かって巨大包丁を突き出した。
「料理人の火力を舐めんじゃないよ!! 幻の霊火、最大出力ッ!!!」
ボォォォォォォォォォォッ!!!!
マイヤの包丁から、彼女の生命力を削って放たれる青白い業火が、ロケットエンジンの推進力のように球体の後方から爆発的に噴射された。
アマルのドリル回転力と、マイヤの幻の霊火による超絶的な推進力。
二つの力が完全に合わさり、漆黒の球体は、分厚い呪いの隔壁を、まるで熱したナイフでバターを切り裂くように、一気に、そして強引に抉り破っていく。
「開けェェェェェェェッ!!!!」
マイヤとテオの絶叫が重なる。
メキィィィィィッ!!
ドバァァァァァァンッ!!!!
世界樹の最下層を隔てていた、絶対不可侵の呪いの壁。
それが、料理人とドワーフの執念によって、完全に粉砕された。
――最下層。
呪いを両断したルシアが、血まみれのステラを背負い、清浄なマナが満ちる螺旋階段を下りきった、まさにその時だった。
ゴゴゴゴゴォォォォォォンッ!!!!!
頭上の巨大な根の天井が、凄まじい爆音と共に弾け飛んだ。
「なっ……!?」
ルシアが驚愕して見上げる中。
砕け散る天井の瓦礫と、大量の土煙を突き破って、ドロドロに溶けかかった真っ黒なスライムの球体が、最下層の空間へと飛び出してきた。
「とぉぉぉちゃぁぁぁくッ!!!」
パァンッ! とスライムの球体が弾け飛び、中から煤だらけになったマイヤと、目を回したテオ、そして楽しそうに笑うフォニアが、地面をゴロゴロと転がりながら現れた。
「い、痛ぇ……っ」
マイヤがふらつきながら立ち上がり、土煙の向こうに目を凝らす。
そこには、純白の剣を杖代わりにし、背中に血まみれのステラを背負った、満身創痍のルシアの姿があった。
「……ルシア!!」
「マイヤ……テオ……フォニアまで。お前ら、まさか上の階層から、壁をぶち抜いて落ちてきたのか……?」
ルシアが信じられないという顔で笑う。
「当たり前だ! アタシの客が、こんな暗くてカビ臭い地下でくたばるなんて絶対に許さないからな!」
マイヤはルシアの元へ駆け寄り、背中でぐったりとしているステラの状態を確認した。
その全身には黒い葉脈のような呪いの痣が広がり、魔力回路が完全に焼き切れかけているのが、料理人の目にもはっきりと分かった。
「……バカ野郎。どんだけ無茶な魔力の使い方をすれば、こんなボロボロになるんだ」
マイヤは奥歯を噛み締め、最下層の中央へと視線を向けた。
そこには、淡く発光する湖に浮かぶようにして、神聖な『精霊の祭壇』が静かに佇んでいた。
そして祭壇の奥には、星の生命力が極限まで凝縮された、美しくも恐ろしい致死量の輝きを放つ水滴――『世界樹の朝露』が、脈を打つように宙に浮いている。
「……ルシア。ステラをあの祭壇に寝かせな」
マイヤが巨大包丁を背中に背負い直し、覚悟を決めた声で言った。
「エルフの長老から預かった『世界樹の種子』を使うんだ。ステラのバカげた魔力回路を、この星の祭壇で完全に再構築してやる!」
「ああ……頼む、ステラを助けてくれ!」
絶望の分断から、奇跡の合流へ。
千年の呪いを突破した仲間たちが、ついに一つの場所に集った。




